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tokomaさま<br /><br />ご質問いただいた寺嶋和泉守正貞について、現在、長井市報・広報<br />ながいに「直江兼続と長井あれこれ」を連載している安部義彦さん<br />に伺ってきました。書面でご返答をいただいたので、間違いがない<br />ように全文転載したいと思います(^_^)<br /><br />尚、ご不明な点がありましたらコメント欄ではなく、お手数ですが<br />ながいファン倶楽部事務局までメールでご連絡ください。<br />よろしくお願いしますm(__)m<br /><br />アドレスは jibasan@e.jan.ne.jp です。<br /><br />また、安部さんの連載は長井市のホームページからもPDFファイルで<br />ご覧いただけます。こちらもぜひどうぞ。<br />(http://www.city.nagai.yamagata.jp/ →広報ながい)<br /><br />安部さんにいただいた回答は以下の通りです。<br /><br />「魚津城で自刃した寺嶋長資の子が正貞であることが確認できない」<br />ということについて<br /><br />(1)「上杉家年譜」には、慶長6年8月20日に直江兼続の命により、 <br /> 寺嶋和泉が下長井代官にと記されています。<br />(2)「紹襲録」にも代官として寺嶋和泉正貞の名があります。<br /> これには次のようなことが記されてあります。<br /> 氏 名 寺嶋正貞<br /> 通 称 和泉<br /> 石 高 5百石 就職年月日 慶長6年8月20日<br /> 退職年月日 元和2年8月12日<br /> 備 考 上長井代官(後に下長井代官)<br />(3)上記のことから寺嶋長資の子の正貞が代官を務めたことがわか<br /> ります。<br />(4)質問にある「和泉俊喜左衛門長親」や「下永井郷郡史日之郡奉<br /> 行」ということについてはどこに出てくるのでしょうか。調べて<br /> みます。ちなみに当時、米沢地方の郡代、奉行一人で、春日右衛<br /> 門です。<br />(5)寺嶋家のこと<br /> 寺嶋和泉守某のときに上杉謙信に仕え、その子六蔵長資は魚津城<br /> で討死、その後慶長6年に嫡子和泉(喜左衛門とも称す)正貞が<br /> 知行5百石を賜り代官となり、与左衛門吉友、喜左衛門盛秀、与<br /> 左衛門正友、喜左衛門信政と継承されたが延宝4年(1676)7月に<br /> ある事件にかかわり改易の処分を受け、貞享元年(1684)二人扶<br /> 持で再興を許されたが仁兵エ某の時に米沢を出奔して断絶となっ<br /> た。まとめますと、初代、和泉(喜左衛門とも称す)正貞⇒⇒⇒<br /> 2代与左衛門吉友⇒⇒⇒3代喜左衛門盛秀⇒⇒⇒4代与左衛門正友<br /> ⇒⇒⇒5代喜左衛門信政⇒⇒⇒仁兵エ某<br /><br /> 長井遍照寺関係で開基檀徒になっているのは5代の信政で、長井<br /> に残っている寺嶋家は2代から分かれた分家筋の寺嶋家です。<br /><br />(6)追伸<br /> 寺嶋長資関係の資料を探しているのですが、なかなか見つかりま<br /> せん。ただ、米沢市の吉江文書のなかに、長資が魚津篭城中に吉<br /> 江長忠あてにあてた書状があるようです(天正10年4月4日の日付)
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