HOME >

長井水伝説

人々の水への思いや願いが伝説となり…
長井の人々は昔から、さまざまな顔を見せる水と深くかかわりながらくらしてきました。水は、時には豊かな恵みをもたらすありがたいものであり、またあるときには大きな災いを引き起こす恐ろしいものでした。人々の水への思いや願い、人々へのいましめは、やがて物語に託され、親から子へと言い伝えられるようになりました。



◇三淵と卯の花姫(宮・大町に伝わる伝説)
安倍貞任の娘に「卯の花姫」という若くういういしい女性がいました。その頃都からは貞任・宗任兄弟を討つため源頼義とその長男の八幡太郎義家が東北地方にやってきました。貞任は娘を一族のものや侍女とともに長井に送り、この地を守らせました。
卯の花姫は、はじめ八幡太郎義家を心の中で慕っていました。義家は、姫から貞任の戦の作戦を聞き出すため、何度も手紙を送ったりして姫に近づきました。こうして義家は貞任の作戦をひそかに知り、ついに貞任を戦士に追い込みました。義家の姫への便りは、合戦に勝つとなくなりました。姫は、義家の裏切りを知り「父を殺したのは私だった」と涙を流しました。
その後、長井へ攻め込んできた義家軍のことを知ると、朝日岩上の僧衆を頼りにするしかないと、姫は野川の口から山に登り、「三淵の神こそ宮村鎮守の奥の院だから、ここで誓ったことを果たそう」と三淵にやってきて、神に祈りました。しかし、義家の大軍に取り囲まれたことを知ると、「さらば、これまでだ」といって、数十丈の崖の絶壁から三淵に飛び込んで死んでしまいました。供の者たちも姫に続いて身を投げて死んでしまいました。


◇三淵の主は竜神
卯の花姫は義家にだまされ、その妻になることができず、逆に攻められて野川の三淵に身を投げて大蛇(竜神)となりました。宮の総宮神社の奥の三淵の主は竜神で、その祭日の9月15・16日には、奥の院三淵の竜神が舟にのって神社に下向すると信じられています。そのため必ず雨を降らせて、舟の通行をなめらかにします。
竜神は岸についても、すぐ神社にお入りにならないで、化粧坂の観音さまに寄って休息し、身なりを整え化粧をなおしてから神社に入られた。
また、明治初年まで野川の半三郎が、野川口の川原に祭壇をつくり燈明をつけて平伏し、拝んでいると天上の雨雲の中から「半三郎、ごくろうさま」という竜神の声が聞こえたといいます。



◇岩切不動(上伊佐沢)
下伊佐沢は狭い山峡となっており、水のハケ口を失った松川は大水が出るたび荒れ放題にまかせるより以外なかった。それで、田圃はあっても毎年泥海となって、収穫皆無ということも珍しいことではなかった。困り切った百姓たちは不動の森につめかけて神に眼をかけた。
ところが、一夜豪雨が降りしきり「ああ、また大洪水か」と人々はがっかりして、翌朝外に出たらどうしたことだろう。大きな歯をむき出したような川の中の大岩石は踏み砕かれて姿を失い、水のハケ口はぐんと広まり、とうとうたる大河となっている。人々が狂喜乱舞したのも無理はない。気が付くとそばに残っているのは、なんと巨人の足跡のような岩石である。
「ああ、これだ。お不動さまが岩をくだいてくれたのだ」
という話がひろまり、不動尊は岩切不動の名をたてまつられ、人々の崇拝の的となった。もちろん、今まで湿地・泥地だったところは、すっかり水も引いて収穫の多い田と変わっていた。


2012.08.26:

この記事へのコメントはこちら

※このコメントを編集・削除するためのパスワードです。
※半角英数字4文字で入力して下さい。記号は使用できません。