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長井まちあるき物語12  小池医院

  • 長井まちあるき物語12  小池医院
山形県長井市。それは、水と緑と花の奥座敷・・・・・
ゆっくりと まちなみに ふれてみませんか・・・・・
魅力あふれる 深い建物を醸し出す風景に 足を運んで下さい


(協力:本町・中央まちづくり協議会、景観部会  二宮正一氏 小池てる子氏 文教の杜)


昭和23年の本町通り  左に小池医院、その隣は長井郵便局


曳き移転後の小池医院

  旧小池医院の建築は、重厚な一階部分自然石洗い出し外壁の上に、木の骨組み間にリズミカルな斜材や円状の木装飾が並ぶ軽快なハーフティンバーの二階部分、そして矩勾配(90°)の大屋根にどっしりと突き出た八角形の望楼がそびえる。基壇から屋根に至るまで実に興味深い造りとなっているが、特にハーフティンバー様式の遺構は数少なく、時代の経過とともに日本における貴重な建築物となるであろう。昭和6年の時代に西欧のハーフティンバー様式が何故日本に出現したのだろうか?  


ハーフティンバー様式  とても美しい  昭和6年当時、回りの驚きが想像できる

  日本の洋風建築の建設は、ペリー来航数年後には始まり、柱を煉瓦、擬石、ペンキ羽目板で蔽った作りであったが、元来日本建築は柱や梁を現しその間を壁や板でふさぐ。西欧の土着の民家も同じである。大正末期ハーフティンバー様式が紹介されると同時に広まったことも理解できる。


昭和6年(1931)竣工時の写真(小池氏所蔵)  奥玄関部にバルコニー付ポーチ、瓦屋根が見える

建築概要
(竣工時)
昭和6年(1931年)
■建築名  小池医院
■建築主  小池 力
■設計者  泰・伊藤建築設計事務所
■施工    加藤組
■棟梁    加藤久八
■面積    建築面積:118.8㎡  延べ面積:237.6㎡  一階床面積:118.8㎡  二階床面積:118.8㎡

■高さ    11.5m(屋根)
■仕上げ   屋根:瓦葺き(創建時)、カラー鉄板平葺(現在)  望楼:銅版葺き  二階外壁:ハーフティンバー  漆喰壁  一階外壁:自然石洗い出し  開口部  木製建具

(曳き移転工事)
■建築主  小池てる子
■監理    二宮正一
■施工    大泉建設株式会社  曳き工事 四釜建設 
 
2013.10.20:n-old:[歴史的建造物]

長井まち歩き物語 11 やまいち松龍園

  • 長井まち歩き物語 11 やまいち松龍園
山形県長井市。それは、水と緑と花の奥座敷・・・・・
ゆっくりと まちなみに ふれてみませんか・・・・・
魅力あふれる 深い建物を醸し出す風景に 足を運んで下さい

(資料:長井市史、神奈川大学工学部建築学科 西和夫 長井市歴史建造物調査報告書、文教の杜)



    あら町地区の街道西側に店舗を構え、現在も営業しています。店舗の奥に主屋が続き、主屋と店舗の間には取次ぎがあります。敷地奥に3棟の土蔵があり、家財蔵・質蔵・お茶蔵で構成されています。当主は4代目で、「明治40年(1907)からお茶屋を始め、昔はお茶師が6月に新潟県村上から来ており、静岡の二番茶のときが、ここの一番茶だった」とのことです。それ以前は質屋を営んでいました。
  店舗は木造2階建て、平入、切妻造、銅版葺。正面に庇をつけ、1階はガラス戸に格子、2階は障子戸に格子。壁は漆喰塗りで入口に大きな看板を掛けています。ガレージがあるが、もとは大戸がついていました。建築年代は明治36年(1903)、様式技法からもこの頃のものとして矛盾しません。


金看板は昭和35年に静岡の製茶問屋から寄贈されたもの  前身は昭和10年に掲げたが戦争による供出で失ってしまった

  主屋は木造2階建て、平入、切妻造、銅版葺。背面に下屋をつけています。壁は漆喰塗り。南側に玄関を設け、玄関は腰まで下見板張り、建築年代は明治43年(1901)です。
  質蔵は敷地奥の南側に建っています。木造2階建て、妻入、切妻、置屋根形式の鉄板葺きです。背面にトタン被板の覆い屋をつけています。壁は腰まで下見板張り、上部は白漆喰塗り、1・2階とも主屋側に窓が二つずつあります。建築年代は、主屋に質蔵を建てた時の大工の給料を記した文書があり、それによると明治36年となります。
  お茶蔵は質蔵の北側に並んで建ち、木造平屋建て、切妻、妻入、置屋根形式の鉄板葺きです。壁はモルタル塗り、主屋側に庇をつけています。質蔵と同じく覆い屋と前室をつけ、入口脇に小部屋があります。建築年代は、質蔵とお茶蔵が連続していたことから、明治36年と判断できます。
  道路に面した外観は、歴史的雰囲気をよく伝え、建物の構成もこの地域の町屋の屋敷構えを知る上で大切な建物で、あら町地区の町屋の好例として貴重な存在です。



やまいち松龍園のわきを流れる水路  屋敷から流れ込む  そこかしこに水路が張り巡らされている

2013.10.12:n-old:[歴史的建造物]

長井まち歩き物語10  山一醤油店

  • 長井まち歩き物語10  山一醤油店
山形県長井市。それは、水と緑と花の奥座敷・・・・・
ゆっくりと まちなみに ふれてみませんか・・・・・
魅力あふれる 深い建物を醸し出す風景に 足を運んで下さい

(資料:長井市史、神奈川大学工学部建築学科 西和夫 長井市歴史建造物調査報告書、文教の杜・昭和11年長井町町要覧)



  あら町地区の南北に走る街道の東側に立地し、現在も醤油製造場として営業しています。街道沿いに店舗、その奥に若衆の間・醤油蔵・塩蔵・便所、さらにその奥に仕込み場・味噌蔵・納屋が建ち、敷地内に水路が通っています。水路は仕込み場に流れ、桶を洗うのに利用されていました。
  聞き取りによれば、「明治末年の大火により以前の建物は全て焼けてしまったが、その後すぐに着手し、大正9年に現在の建物が一挙に建ち営業を再開した」とのこと。建築技法からもこの頃のものとして矛盾しません。
  多くの建物で構成され、この地域の屋敷構えの様相を知ることができますし、現在も営業していることから、建物の使い方もよくわかります。建築年代は大正期ですが、建物は江戸期の様相を色濃く伝えていると思われます。以上のように多くの意味で、すべての建物が総体として実に貴重。



  平成23年1月26日、三棟が国の登録有形文化財となりました。
①仕込み場 木造平屋建、鉄板葺、建築面積は209㎡。大正9年築。
②醤油蔵 木造平屋建、鉄板葺、建築面積は207㎡です。大正9年築。
③店舗 木造2階一部平屋建、鉄板葺、建築面積248㎡です。大正9年築。



店の正面  店構えと暖簾に歴史を感じさせる


東から臨む  蔵の上部に やまいち醤油の文字
2013.10.10:n-old:[歴史的建造物]

長井まち歩き物語9 旧羽陽銀行

  • 長井まち歩き物語9 旧羽陽銀行

山形県長井市。それは、水と緑と花の奥座敷・・・・・
ゆっくりと まちなみに ふれてみませんか・・・・・
魅力あふれる 深い建物を醸し出す風景に 足を運んで下さい
(資料:長井市史、神奈川大学工学部建築学科 西和夫 長井市歴史建造物調査報告書、文教の杜・昭和11年長井町町要覧)



西南から臨む  初めてのコンクリート造と考えられている


   旧羽陽銀行は、あら町地区の南側の角地に建ち、長井で初めての鉄筋コンクリート構造と言われています。羽陽銀行は大正3年、赤湯銀行・置郷銀行・荒砥銀行の3銀行が合併新立したのが始まりで、昭和15年に両羽銀行に買収され、両羽銀行は昭和40年に山形銀行に改称し現在に至っています。


入口から上部を臨む

  昭和4年に羽陽銀行長井支店が設置され、開業していますが、銀行内の金庫の銘板に昭和9年の年紀があり、他に年代を示す資料を欠くため、建築年代は昭和9年と考えます。様式技法からもこの頃のものと見て矛盾していません。玄関の両脇には、イオニア式柱頭をもつ半円柱が二本立っている。外壁は、元々人造石洗い出しでしたが、今は吹きつけ塗装を施しています。内部は見る事できませんが、金庫室の存在や室内全体の雰囲気など、昭和初期の銀行を伺うに十分です。特にコンクリート造であることや外観の意匠は当時たいへん珍しい存在だったろうと思われます。内部は見学不可。



正面のドア部  当時のまま

2013.10.09:n-old:[歴史的建造物]

長井まち歩き物語8 貿上醤油店

  • 長井まち歩き物語8 貿上醤油店
山形県長井市。それは、水と緑と花の奥座敷・・・・・
ゆっくりと まちなみに ふれてみませんか・・・・・
魅力あふれる 深い建物を醸し出す風景に 足を運んで下さい

(資料:長井市史、神奈川大学工学部建築学科 西和夫 長井市歴史建造物調査報告書、文教の杜・昭和11年長井町町要覧)



  貿上醤油店は大正7年から醤油醸造業を営む家です。かつては、「貿上」の字を「坊上」としていました。現当主は3代目ですが、醤油業を営む前は糸を扱う仕事を生業としていました。井上家には過去帳が残されており、それによると一番古い年号が「元禄4年(1691)10月」とあり、江戸中期まで遡ることができます。また、その昔は宿坊をしており、当主が高校生の頃、昭和30年代まで長屋がありました。長屋は道路向かいにあり、小分けにして人が住んでいました。現在でも一部が車庫として使っています。
  昔の主屋は、平屋の茅葺で店の部分だけが2階建てでした。主屋は昭和46年頃に建物としてはそのままに柱などを取替え、部屋の天井も下げました。店部分は当主が小学2、3年生の頃、昭和20年代に建て替えたといいます。しかし、小屋組みには当初材も残っているといわれ、本体の骨組みは当初の様子を残していると思われます。
  主屋は木造2階建て、切妻造り、鉄板葺き。外壁はリシンかき落とし、一部モルタル吹付け、建具はアルミサッシ。1階庇は垂木と野地板ですが、2階庇は新建材です。店部分は木造2階建て、切妻造りマンサード屋根、鉄板瓦棒葺き、建具は木製で、一部に古い建具を残しています。外壁は、主屋と同じリシンかき落とし。
  店は新しく、その西に続く主屋も表面から見える柱、長押、天井などの材はすべて新しくなっていますが、建物の配置は典型的な構成(店が道路に並行で主屋はそれに直行する)となっています。この地域の屋敷構えの様子、全体の構成をよく示す点で貴重な存在といえます。中は見ることができません。

屋敷蔵
  主屋の北西隅に位置し、主屋内部から出入りします。構造は木造2階建て、切妻造り、置屋根、鉄板葺き。梁間2間半、桁行5間の規模で、外壁は腰部分を板張り、屋根下まで漆喰を塗りその上に屋根を置く屋根形式です。1階は東側に一つ、2階は東側に二つの窓があり、金網と鉄格子を入れています。1階2階同位置にある窓は個別に防火扉があるのではなく上下一つの扉で閉めます。1階2階とも床は板張り。建築年代は屋敷蔵内にある祈祷札に、「若来法世人  長誦此眞言明治参拾八乙巳年」とあり、明治38年(1905)の建設です。

味噌蔵
  工場南西に位置し、工場内部から出入りします。構造は木造平屋建て、切妻造り、桟瓦葺き。外壁は腰部分をモルタル塗り、その上は白漆喰仕上げです。内部は梁と梁の中央を束ねる簡単な構造です。
  味噌蔵の桶に、「大正八年検定、第五□」とあり、この桶は大正8年(1919)のもの。また桶は間口より大きいため中で組んだもの。当初からある桶でしょう。ゆえに味噌蔵自体もの建築年代も、その直後の7年か8年と判断されます。醤油業の過程や様子を知る上で、貴重な存在です。

工場
  主屋の西側に接続して建っています。木造平屋建て、切妻造り、鉄板葺き。小屋組みは和小屋であり、一部光取りが設けられています。垂木と野地板を見せる化粧屋根裏。北側外観は柱を見せた真壁構造だが、壁部分はすべて縦板張り、上部に窓ガラスを入れ、外に鉄の横格子をはめています。西側部分は増築です。
  建築年代は、醤油業を始めた当初からのものと考えられ、操業の大正7年。工場は増築を重ねて大変複雑な平面構成となっています。モロミムロ、味噌蔵などがあり、醤油業の工場の様子をよく示している貴重な存在です。


畑の蔵
  敷地の北西隅に建ち、かつては原材料を入れていました。構造は木造2階建て、切妻造り、置屋根、鉄板葺きです。入口部分のみ前室を庇形式で出ています。梁間2間半、桁行4間半の規模で、外壁は腰部分をモルタル、上部は白漆喰仕上げで、屋根は置屋根です。様式と技法から昭和初期と考えられます。

煙突
  昭和20年代。レンガ積み、隅部を鉄骨で補強しています。高さは約10メートル、太さは下から1メートルの高さで1メートル角、上に行くにしたがって先すぼみしています。頭頂部では約50センチメートル。東面、南面、西面に「貿上醤油店」と白漆喰で書かれています。




2013.10.08:n-old:[歴史的建造物]