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長井 古写真物語8 太陽自動車学院

  • 長井 古写真物語8 太陽自動車学院

長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。
   (協力:文教の杜、長井市史)


      太陽自動車学院

 太陽自動車学院は、長井で初めての自動車学校です。昭和2年10月、西置賜郡内のバス営業の会社、昭和自動車株式会社の階上につくり、運転手の養成に当たりました。長井橋の川原に1000坪の練習場を作って一期15名程の養成を目指しました。
 写真は昭和3年7月とあり、昭和3年1月に独立校舎を作ったので、そのワンシーンでしょう。場所は長井駅北側。練習車を5台、練習場も5000坪に拡大し、同年、女性の運転手2名を育てた事は大変珍しいと評判になりました。更に、昭和4年には別校舎を新築し、職業学校令に基づく正式認可学校の認可指令の公布を受けています。写真の入口柱に、「〇〇公認 太陽〇〇」とありますが、認可を受けてから掲示したと考えられます。
 車関連では、山形県で初めて乗合自動車を購入したのが長井で、明治45年に長井赤湯間を一日4往復していました。また、昭和28年には山形県で初めて長井中学校の修学旅行にバスを用い、その後のモデルケースになったということです。

2013.11.26:n-old:[歴史的建造物]

長井 古写真物語7 駅前歓迎塔

  • 長井 古写真物語7 駅前歓迎塔
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。
                             (協力:文教の杜、長井市史)



              駅前の歓迎塔

 長井駅前の道路、ど真ん中に歓迎塔を設置、観光のPRと歓迎を目的とした看板です。長井駅を降りると、この風景画飛び込んできました。現在は、歩道ができた事を加えると道路幅は当時と同じです。でも、広く見えます。右側手前には、三階建ての和泉屋旅館、左側奥には菊水館(映画館)が見えます。道路奥には歓迎塔がうっすらと映しこまれています。それにしても、空の広さは昔の特徴でしょうか。
 左側の電柱には映画上映の宣伝板があります。それには、3種類の映画ポスターが貼られていますが、そのうちの1種類が判明しました。それは「網走番外地」。昭和34年に公開された第一作で、主演に小高雄二、浅丘ルリ子で日活の作品。この写真も昭和34年に撮影したものとわかります。
 では、歓迎塔の設置はといいますと年表等で昭和34年の整備ですから、出来た年の写真とわかります。上部に立体のデザインがなされ、「歓迎」「長井のつつじまつり」のPR、その下には「長井市・長井市観光協会・長井市商工会」の文字が横書きに並べられています。また上部からワイヤーが両サイドに下がり、国旗等の掲揚に使用されていました。歓迎の文字の上には、長井市章の前身の「〇が六つに長の文字」のマークが掲出されています。
 昭和34年には、次の出来事がありました。ままの上に長井警察署庁舎完成、市議会議員選挙で28名に、置賜地区労働会館完成、祝瓶山荘完成、長井南高校体育館の完成、市役所前道路の舗装などがありました。

2013.11.25:n-old:[歴史的建造物]

長井 古写真物語6 オーディオ時代到来

  • 長井 古写真物語6 オーディオ時代到来
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の古写真から情報を読み取ります。
(協力:文教の杜・長井市史・長井市年表)



      電器屋さんの風景 ステレオが立ち並ぶ

 昭和39年、電器屋さんの店の中。ステレオという言葉がわからず、右と左から違う音が聴こえると聞き、店にいった若者の多かったという。今では当たり前の方式だが、初めてのステレオの音楽を聴いたときは感激したものです。
 右側にあるものは、セパレート型で99,500円。ダイヤモンドシリーズでFM付エコーステレオとなっています。そういえば、エコーがかったオーディオがありました。左側には一体型のステレオで、一括が66,800円、分割が70,200円と表示されています。右下にあるポータブル・オーディオは、オートプレイ方式、6,450円。
 縦の売り出し札には「コロンビア月販を御利用下さい  毎月2,000円よりの払込でコロンビアサウンドを御楽しみ下さい」とあります。安いと思うなかれ。
 昭和39年の米価(生産者価格・60kg)が、5,775円です。大学卒業の初任給はといいますと、調査が昭和43年ですからありません。昭和43年の30,600円と比較しても、ステレオオーディオが、いかに高いものだったか想像できます。給与の2から3ヶ月分ですからね。
 また昭和39年といいますと、なんといっても東京オリンピンクです。あわせてカラーテレビが大々的に売り出されました。テレビに色が付いていることは信じられませんでした。新幹線開業もこの年で、高度成長を感じさせる時代に入りました。一方、新潟地震では大きな被害がでたのもこの年です。 
 

2013.11.22:n-old:[歴史的建造物]

長井 古写真物語5 長井町通り

  • 長井 古写真物語5 長井町通り
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の古写真から情報を読み取ります。
(協力:文教の杜・長井市史・長井市年表)


       長井町通り  NAGAI STREET.

 明治43年12月5日の日付が入った絵葉書です。長井町通りとは、本町通りの風景ではないかと思われます。スタンプには「〒文」「学校増築・電話開通」「43.12.5」「紀念」の文字が、桜の花をデザインした枠取りに入れられています。真ん中に「長井」の文字も。
 この「長井」ですが、長井町のこと。第一次町村合併で明治22年4月1日に、小出村と宮村が長井町となりました。「学校増築」はどうでしょう。明治43年といいますと、中央十字路西側、中村循環器科医院あたりに長井小学校の前身、「長井尋常高等小学校」がありました。学校校舎は5回ほどの増築があったと記録にありますが、その記念の絵葉書と考えられます。
 「電話開通」は、長井町に電話が開通したのが明治43年11月11日。同日、電話交換業務も開始されました。電柱が100本建てられています。写真には右側に堂々とした電柱が誇らしげに整然と写っています。12月5日の日付は、年表に照らし合わせると「長井町内に、51箇所に特設電話が架設された」とありました。
 ちなみに、明治43年という年は、つつじ公園とあやめ公園の記念すべき年です。七兵衛つつじの全てをもらい受け、白つつじの名所として「つつじ公園」の名を用いるようになった年。あやめ公園も明治43年に創設されています。


2013.11.21:n-old:[歴史的建造物]

長井 古写真物語4 選挙広報車

  • 長井 古写真物語4 選挙広報車
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。戦後、食うや食わずの世相から立ち上がり熱気溢れる当時のエネルギーを感じ取って下さい。
(協力:文教の杜、長井市史)

        山形県議会議員選挙の広報車





  山形県議会議員選挙時の公明選挙を訴える広報車の前と後ろの写真です。昭和36年4月23日の投票日をPRするため広報車が準備されました。今のような専用のものではなく、おそらく横断幕を苦労して車に結びつける苦肉の策でしょう。トランペット型スピーカーは、なんと、木製の椅子を逆さに使い雁字搦めの様相。後ろも見えず、大丈夫だったのでしょうか。当時は、これで必死な啓蒙活動を行っていたのでしょう。フロントガラスは、可動式。空気を入れるためでしょうか。車種を調べましたが、残念ながら解りませんでした。
 ちなみに、明治に入り4年7月14日に廃藩置県が布告、米沢藩が米沢県となります。同年11月2日には置賜県と改めます。明治8年に、山形県・鶴岡県・置賜県が併存。明治9年8月3日にようやく、三県を合併して現在の「山形県」が誕生しました。初代県令は三島通庸。明治12年1月20日に、ようやく第一回県議会議員選挙が行われました。

2013.11.19:n-old:[歴史的建造物]