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長井古写真物語13 初の商工会公開討論会

  • 長井古写真物語13 初の商工会公開討論会
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。



 長井市商工会青年部主催の初の公開討論会の様子です。昭和40年9月21日、駅前の労働会館で行われました。討論会には、当時の商工会会長、長井市長、東京電器株式会社社長、長井スタンプ会会長、長井市商工会婦人部会長、長井市議会産経委員長などが出席、「長井市の商工振興と商工会活動はいかにあるべきか」をテーマに真剣な議論がなされました。商工会会員も100名が参加、商工会議所建設の要望などを含め、今後の商工振興に活発な意見がかわされました。
 商工会は、法律施行(昭和35年7月1日)の9月12日に設立、施行前は昭和30年4月16日に創設されています。会場となった労働会館は正式には西置賜労働会館といい、昭和34年6月に建設されました。昭和40年の長井市は、長井小学校体育館(丸屋根)完成、長井工業高校の初の卒業式、福祉協議会が社会福祉法人に、伊佐沢大石分校の廃止などがありました
2014.01.06:n-old:[歴史的建造物]

長井 古写真物語12  堤塘記念絵葉書

  • 長井 古写真物語12  堤塘記念絵葉書

長井市文教の杜に保管している古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み取ります。

 これらの写真は、絵葉書を写したもので記念スタンプが押されているものを集めてみたものです。スタンプには、「提塘記念」「山形懸」「長井町」「41.10.17」の文字と中央に国旗と長井の文字を入れた旗がデザインされています。提塘とは、堤防などを築くことですが、どこなのかわかっていません。野川や白川が考えられますが、洪水に頻繁に襲われている時代でした。ほかにも、絵葉書が存在し、「長井町諏訪堰」「西置賜招魂碑」があり、いずれも同じスタンプが押されています。明治41年10月に存在した絵葉書であることはまちがいありません。


             西置賜郡役所


           長井町野川橋


             長井町宮公園


          長井町松ヶ池公園

西置賜郡役所:明治11年築ですから、およそ30年経った後の姿です。門や玄関のテラス等大きな変化は見受けられません。

野川橋:これは現在の場所の野川橋ではなく、あやめ公園東側を通る南北の道に架かり、長井町と成田を結ぶ橋でした。成田側から撮影した写真で、当時の町民の姿が映っています。

長井町宮公園:現在のあやめ公園高台の写真です。あやめ公園と言われた年は明治43年です。それまでは、宮公園と呼ばれていました。

長井町松ヶ池公園:松ヶ池公園と呼ばれたのは明治29年。それまでは小出公園と呼んでいました。同年に花作地区の七兵衛つつじの古木の一部を譲り受け、移植しています。すべての古木を譲り受けた年は明治43年で、このころから「つつじ公園」の名を用いるようになりました。宮のあやめ公園創設と同じ年となります。しかし、この写真には不思議な点があります。それは、右側に写っている記念碑です。つつじ公園の西南角からの撮影で、明治39年に建立された砲身をかたちとった青銅製の「西置賜招魂碑」です。その左側に写っていなければならない石碑がないのです。それは「征清記念碑」で、明治28年にすでに建立されています。日清戦争の記功碑ですが、写っていないことがミステリーです。謎を秘めた写真ですね。


 

2013.12.12:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語11 館町の通り

  • 長井古写真物語11 館町の通り
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み取ります。


                 館町通り

 この写真は、館町の通りです。撮影は昭和33年と考えられます。立て看板に映画看板が目立ちます。立て看板には、「シルバーピジョン」というスクターと三輪トラックの宣伝があります。映画看板は三つ。中央に立っている男性の左側の看板ですが、「永遠に答えず」と「愛情の都」のPRで二本立て95円という入場料です。永遠に答えずは、昭和32年6月封切の映画で月丘夢路・葉山良二・高田敏江・浅丘ルリ子が出演しています。愛情の都は、昭和33年1月の封切、出演者は宝田明・司葉子・草笛光子・団令子・白川由美等です。多くの方が楽しまれたのではないでしょうか。
 中央男性の右側には、「千両役者」「旅は気まぐれ風まかせ」娯楽3本立ての映画看板が設置されています。もう1本の映画はわかりません。千両は昭和33年2月の、旅はは昭和33年4月の封切です。
 もう一箇所に看板がありますが、それはバスの右側です。洋画の看板で、「カビリアの夜」と「ザ・マウンテン」です。カビリアは、昭和32年11月の封切ですから半年位遅れての映写のようですね。
 左側のバスは山交バスで、米沢駅行きのボンネットバス。多くの方が利用しました。最後に右側の看板は、長井市で設置しています「広報板」で昭和32年5月から市内5箇所に設置されたものです。キャッチフレーズは「明日といわず 今日見ましょう」で、直接的な表現でわかりやすいですね。奥に貼られているポスターは、自衛官採用のタイトルです。
 この写真からは、当時のゆっくりした時間が垣間見れます。砂利道をゆっくり進むバス、わきをゆっくり歩く人、映画看板を見る人など、当時の町並みを含めてゆっくり進んでいます。
2013.12.11:n-old:[歴史的建造物]

長井 古写真物語10 のど自慢

  • 長井 古写真物語10 のど自慢
長井市文教の杜に保管している古写真を紹介します。一枚の写真から当時の情報が読み取れます。
                             (協力:文教の杜、長井市史、年表)

               NHKのど自慢
 NHKのど自慢のワンシーン、ではなく予選会のシーンです。会場は長井中学校体育館で、長井で初めてののど自慢でした。昭和38年6月23日のことです。真ん中に尺八を手にしてるのは、今泉さん。後ろに座っている方々が予選会に参加している皆さんです。胸に番号を付けていますが、79まで確認できます。
 のど自慢がスタートしたのは、昭和21年でラジオ番組でした。テレビに変わったのは昭和28年、カラー化されたのが昭和46年のようです。
 本番では、司会が有名な宮田輝さん。この写真には写っていません。その後、昭和42年、昭和43年、昭和50年、昭和62年、平成18年、平成25年の計7回ののど自慢が開催されました。

2013.11.28:n-old:[歴史的建造物]

長井 古写真物語9 白つつじポスター

  • 長井 古写真物語9 白つつじポスター
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます
                                     (協力:文教の杜、長井市史)



     白つつじ園をPRするポスター

 昭和31年の白つつじ園を宣伝したポスターです。掲示場所はわかりません。当時のイベントとして公園開きや打ち上げ花火、県縦断駅伝競争などが別貼りで周知されています。中でも、「踊り 歌謡曲 万才 折込芝居」が目を引きます。観光映画の夕べとは、謎ですね。手描きのデザインもいいものです。上に「長井の白つつじ園」とありますが、正式に都市公園となるまでには昭和40年まで待たなければなりません。発行は長井市観光協会で「秋鉄」の文字があることから、国鉄の駅構内にも貼られたのでしょう。
 このポスターの下に2枚のポスターが隠れています。その内の一枚が判明しました。県政番組のラジオ放送のポスターでした。隠れていたポスターが次の写真です。




 右側に貼られているものは何でしょう。これは電話番号と店等を記載した、今で言う電話帳のようなもの。下部に「長井電気通・・・」とあります。回りには、商店などの宣伝があります。長井電報電話局の地鎮祭が行われたのも、昭和31年5月12日でした。
2013.11.27:n-old:[歴史的建造物]