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長井古写真物語 18 好評だった共同炊事

  • 長井古写真物語 18 好評だった共同炊事
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。




 昭和34年10月号の「長井市報」では「好評だった共同炊事」で取り上げられました。
 「秋のとり入れ時には、猫の手も借りたいほど忙しい毎日が続きますが、この忙しい時期を合理的に働こうと豊田羽黒地区では、9月23日から2週間、共同で炊事を行い、地区民からたいへんよろこばれました。 羽黒地区は農家が35戸。一戸平均の田の面積は1ヘクタールという稲作の単作地帯です。 この共同炊事は、農繁期の炊事を共同で行い、それによって余った時間を作業にまわし、さらに栄養をおぎなって作業の増進と健康を保持しようというものです。 今回の共同炊事は、昼と夜の副食だけを行い、栄養指導には長井保健所の栄養士があたり、個人宅の炊事場を借りて調理を行って、配膳棚から各戸に配膳しました。 ある日の献立を見てみますと、昼はなすのしぎ焼、キャベツの塩もみ、夜はさんまのなんばん漬、みそ汁となっており、1日のカロリーは主食を入れて3千キロカロリーをこすという栄養ぶりで、地区民からたいへん好評をよびました。 同地区では今後、主食を含めた共同炊事を行いたいといっています」
 記事内容ですが、掲載された写真と別に看板が保存されていました。取材した時のメニューの表示です。このように当日のまかないを周知していたのでしょう。地区民の結束も、自ずと高まる事も予想できますね。
 




















2014.01.26:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 17 移動テレビ展

  • 長井古写真物語 17 移動テレビ展

長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。




 移動テレビ展が催された一こまです。NHK長井テレビ局が開局した事を記念して、長井小学校の体操場で開催されました。昭和36年12月16日、17日の二日間、テレビや電気器具の展示やNHKテレビ相談、電力・電気相談、生花、化粧、料理、バレー、日本舞踊、民謡、歌謡曲、児童唱歌、コーラス、器具演奏、ファッションショー等をテレビカメラで撮影、その画面をテレビで見せるものでした。なんと盛り沢山のイベントでしょうか。下の写真は化粧の場面、末広提供の文字が見えます。見てる人々は、おそらく目を開いて見てた事でしょう。
 長井地方は、電波の辺地と言われ、特にテレビの受像が悪く市民からは強い要望が出されていました。市民待望のテレビ中継局が飯豊町眺山に完成することの記念で、移動テレビ展が催されたわけです。昭和36年に着工され12月末に完成、開局となりました。YBCも翌年春に中継局が建設され、ようやくテレビがきれいに見れる時代になりました。

2014.01.24:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語16 中央十字路

  • 長井古写真物語16 中央十字路
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。



 中央十字路の一こまです。撮影は昭和30年で、歩行者天国の写真ではありません。中央にあるのは「歓迎門」といわれるあやめ祭りに合わせて建てられたもので、臨時的なもの。左側には長井市役所のPR板でしょうか、ポスターやお知らせが貼られています。歓迎門は当時盛んに設置されていました。常設では駅前通りに鉄骨造で設置されていました。
 歓迎門には地域の酒のPRが、門の下には「森林まつり」の看板があります。森林まつりは、昭和30年7月1日から5日までの期間、長井小学校のほとんど使用して開催。秋田営林局・山形県・長井市の主催で大々的に催され、なかでも、野川ダム周辺のパノラマ展示が目玉で林業商品販売等も行われました。この頃はよく催しに学校を使っていましたが、授業はどうしたのでしょう。謎ですね。また、裏側には、県縦断駅伝の横断幕も見られます。一番手前には「貯蓄」を呼びかける横断幕もあります。目標が65億円となっていますが、昭和30年の長井市一般会計予算は1億1千4百万円、多いのでしょうか?
 中央十字路と書きましたが、当時は「山交十字路」と言われていました。山形交通長井営業所があったためです。奥には長井消防署の火の見櫓が見えます。しかしこの人の多さはどうしたのでしょうか? 自動車は遠慮がちですね。この山交十字路に自動信号機が着いたのは昭和37年9月1日ですから、まだまだ車社会には時間を要しますね。
2014.01.23:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 15 野呂川沿いに桜植樹

  • 長井古写真物語 15 野呂川沿いに桜植樹
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。



 写真は、都市下水路「野呂川」沿いに植樹している一こまです。植えている団体は「長井ロータリークラブ:会長は四釜京七氏」。昭和43年春のことです。苗木(吉野ザクラと八重ザクラ152本)1メートルのものを会員で、野呂川沿いと今泉のおいたま荘・泉荘・やまなみ学園に植樹したもの。
 写真の撮影地は、現在のつつじ館から東側を撮ったものです。右側に野呂川、遠くに東山とその手前には最上川堤防があります。長井バイパスは昭和42年から5ヵ年事業でスタートしましたが、まだこの箇所の工事は、見受けられません。完成は昭和46年です。完成後、文化会館が49年に新築とバイパス周辺は一変します。
 長井ロータリークラブの創設は、昭和37年7月4日で初代会長に竹田清五郎氏でした。社会貢献事業の一環事業です。
 今、春先にはこの桜が見事に咲き競い、市民観光客の目を楽しませています。野呂川に映る桜も見事で、先人の活動に感謝。

2014.01.22:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語14 横森スキー場にロープ塔

  • 長井古写真物語14 横森スキー場にロープ塔
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。



 
写真は横森スキー場の一こま。ロープ塔が初めて設置された年は、昭和40年12月で利用者がごったがえしています。175メートルのロープが回転し次々と人を送り出します。便利ではありますが、握力がない子供は相当苦労したようです。スキー靴は皮製でズボンは中に入れるタイプでした。横森スキー場が市営となったのは昭和33年でヒュッテができるのは、昭和43年まで待たなくてはなりません。それでも、楽しいひと時でした。
 ちなみに、市民スキー大会の第一回は今泉の八ヶ森スキー場で、昭和33年から横森に移り第三回大会を開いています。昭和40年度の大会は10回目となります。



2014.01.10:n-old:[歴史的建造物]