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長井古写真物語 23 観光パンフレット

  • 長井古写真物語 23 観光パンフレット
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。



 昭和41年度版の観光パンフレットです。「花のながい」と銘打って、長井市観光協会が1500部制作しPRに使用しました。このパンフレットは、全部カラー印刷。当時は珍しいものでした。最上川辺の千本桜や久保桜、外田山の桜、白つつじ、あやめ、はぎを紹介しています。物産のページには工業製品も掲載。マルコン電子のコンデンサ、協同薬品の薬、郡是の生糸、東輝電気の電球、そしてメリヤス製品。ようやく、銘酒が出てきますが、つづいて長井ほうき、銘菓が。一度長井へ来て下さいと招いています。

(トップ写真は、文教の杜に保管しているガラス瓶です)
2014.02.03:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 22 ダイヤル即時通話記念

  • 長井古写真物語 22 ダイヤル即時通話記念
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。




 昭和41年5月22日、画期的な出来事がありました。この日から、東京や仙台などへの電話が自動即時通話となったもの。写真は同日、長井電報電話局において羽田長井市長が記念通話式に望み、実際に話しているシーンです。通話式には他に竹田副議長が参列、同じく記念通話しました。電話の受話器の帯には「祝 全国即時網編入記念通話」の文字が書かれています。羽田市長が話した相手は、東京・東輝電気株式会社社長と仙台市長でした。
 市報では、電話のかけ方を次のように説明しています。長井からは、東京123局の1234番に電話する時は「03-0123-1234」とダイヤルすれば通話できます。なお、長井局の市外局番は「0238-82」で、東京などから長井の2111番に電話する時は「0238-82-2111」とダイヤルすると、すぐつながりますと説明しています。現在のようになったのはこのときからですね。しかし、農集電話や赤電話は100番に申しこむことと、但し書きがされていました。やはり、現在と同じようになるにはもう少し時間がかかるようです。また、現在の携帯電話が出現することは、当時の方々はおそらく誰一人予想だにしなかったと思います。

(トップ写真は、文教の杜保管のガラス瓶コレクションです)
2014.01.31:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 21 南長井駅竣工式

  • 長井古写真物語 21 南長井駅竣工式
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。



 祝賀会の写真が続きますが、これは昭和35年5月20日に開催された「南長井駅」の竣工落成式の模様。長井南高校の体育館で催されました。長井市制施行10周年式典と同様、見事に男性だけの列席者ですね。今では考えられませんが、当時はこれが当たり前でした。テーブルには折り箱と果物、日本酒のビンが並べられています。万国旗もつき物でした。
 南長井駅は、市や商工会・県立長井南高校PTAなどが、秋田鉄道管理局に設置要望していましたが、功を奏し実現の運びとなったものです。長井線では、西宮内駅に次いで2番目の駅員のいない無人駅。長井駅と南長井駅の間は、1100メートルで全国でも短い区間でしたが、開駅で南高校の生徒や小出南部と平野、伊佐沢地区のみなさんにはたいへん便利になりました。総工費は250万円、全額地元の負担でした。
 20日当日の清めの式は、午前11時6分長井駅発の列車が南長井駅到着と同時に行われ、花束贈呈も行われました。引き続き、体育館で竣工式が挙行されました。


(トップカラー写真は、文教の杜に保管されているガラス瓶です)
2014.01.30:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 20 長井市制施行10周年記念式典

  • 長井古写真物語 20 長井市制施行10周年記念式典
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。




 今年の長井市は市制60周年にあたります。さまざまな事業が組まれる事と思いますが、写真は昭和39年11月15日に行われた「長井市市制施行10周年・長井線開通50周年」の記念式典の一こまです。場所は旧郡会議事堂の中央公民館講堂。見事に男性ばかりで、テーブルには折り箱とリンゴ、杯がのっています。演壇には来賓と思われる方が挨拶をしていますが、どなたかはわかりません。
 10周年を記念した事業の一つに、市役所屋上にチャイムが設置されこの日から朝6時と正午、午後9時の3回鳴らされました。音色はウェストミンスター寺院の鐘の音色でした。式典は午前10時30分から開会され、午後は目抜き通りで鼓笛隊の行進や提灯行列で盛大に祝ったようです。
 人口を見てみると、昭和38年11月は35,651人、7,405世帯。合併時の昭和29年11月は37,289人、6,716世帯でした。長井市で一番多い人口を数えたのは昭和23年で39,944人(現在の市域に換算)。
 昭和39年の出来事を見てみると、市の各出張所廃止や犬税・公益質屋の廃止、野呂川都市下水路の着工、長井小学校体育館新築そして特別に馬頭観世音菩薩像のご開帳などがありました。今年の長井市でも特別に馬頭観音様のご開帳があると聞いていますが、50年前にも記念開帳が行われたんですね。

(トップカラー写真は、文教の杜に保管されているガラス瓶です)
2014.01.29:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 19 合理化図る住民台帳

  • 長井古写真物語 19 合理化図る住民台帳
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。



 市は、昭和42年7月の住民基本台帳法改正に伴って昭和43年から台帳の改善を行い、窓口の合理化を行ったことのワンシーンです。今はありません。職員が観ている機材は「バイデキス」といわれるもので、これまでバラバラだった市役所の窓口が一本化され、出生・死亡・転入・転出・転居・世帯の変更・氏名の変更・選挙関係の手続きなどが市民課の窓口でできるようになったものです。
 昭和43年11月15日から運用、住民票は各地区ごとの世帯を50音順にそろえ、台帳式から世帯一人ひとりのカード式となりました。個人票のカードには、住所・氏名・本籍からの異動の関係をはじめ、国民健康保険・国民年金・福祉年金・選挙の各資格の有無などを書き込み、市民の届けに応じて写しなどが手早く出せるようになりました。
 












2014.01.28:n-old:[歴史的建造物]