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長井古写真物語 28 長井工業高校が設立

  • 長井古写真物語 28 長井工業高校が設立
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。



 山形県立長井工業高等学校は、昭和37年4月1日に設立されました。日本経済の発展が著しく、特に工業生産の伸展につれて中堅技術者を求める社会的な情勢に対応したもので、山形県では同時に新庄・長井・酒田に工業高校を新設したものです。とは言え、写真は新設時の校舎で、山形県立長井北高等学校と併設されたものです。門柱にも、左側に「山形県立長井工業高等学校」、右側には「山形県立長井北高等学校」が表記されています。
 工業高校は機械科と電気科の2科で、生徒数は機械科49人(定員50人)、電気科47人(定員50人)、定時制の機械科29人(定員30人)でスタートしました。第一回入学式も長井北高等学校で行われ、新校舎が整備される昭和39年3月までは、北校の女生徒にまじって勉強していました。第一回卒業式は昭和40年3月5日で、この式典も元北校(北高等学校は南高等学校と再統合され長井高等学校に)で行われました。当時の卒業生徒数は92名。この校舎も今はなく、現在は置賜総合支庁西庁舎が建設され、残るは周囲に植えられている桜のみとなりました。

(トップ写真は文教の杜コレクションのガラス瓶です)
2014.02.12:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 27  東北農政局白川農業水利事務所

  • 長井古写真物語 27  東北農政局白川農業水利事務所
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。



 昭和44年10月2日、東北農政局白川農業水利事務所が開設されました。場所は、長井市役所西側にあった元公共職業安定所の建物。現在は花壇になっています。安定所が手狭になったため、市第二庁舎(元商工会館)東側に昭和37年春に新築移転し、その建物を利用しました。看板掲出している人は、当時の羽田市長です。
 水利事務所は、昭和45年に飯豊町中津川に建設される国営白川ダムのため設置されたもの。白川ダムは洪水調節と農業用水などをねらいとする多目的ダムで、長井市の白川沿岸をはじめとする飯豊町、川西町に通ずる導水路や幹線水路などがつくられるもの。1市2町の耕地4,613ヘクタールを潤します。
 事務所には、所長以下20名の職員が勤務、庶務・工事・用地の3課で構成されていました。

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2014.02.10:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 26 市民模擬議会

  • 長井古写真物語 26 市民模擬議会
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。



 昭和45年2月7日、ときわ館(映画館)において市民模擬議会が開催されました。主催は設立5周年を迎えた長井青年会議所。明るく豊かな長井市を作るために語り合い、考え合おう、というねらいで本格的な模擬議会となりました。集まった傍聴人は350人、午後1時から4時までの3時間にわたる議論が繰り広げられました。
 当時の青年会議所理事長は外田陽氏。市側から羽田市長をはじめ市議会議長、助役、教育長、農業委員会会長、各課長。市民代表に地区長会、商工業界、婦人会、農協青年部、青年団の代表者で、模擬議員となり質問を行いました。その内容は「長井線存続運動は」「観光行政は」「重度身障者に対する手当ては」「市民文化会館建設計画について」などでした。本番さながらの模様を市報は伝えています。
 平成26年2月8日、第10回まちづくり少年議会が開催されます。この機会にぜひ膨張されては如何でしょうか。

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2014.02.07:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語25 外でフォークダンス

  • 長井古写真物語25 外でフォークダンス
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。



 外でフォークダンス? 今では不思議な風景ですが当時はバレーボールなども外で行っていました。写真はフォークダンス大会ではなく、「西置賜地区農村青少年技術交換大会」レクリエーションの一こまです。
 この大会は、長井農業改良普及所と西置賜農村青少年クラブ連絡協議会の主催で開催されたもの。農村青少年の技術向上と教養の向上を目的に明日の農家づくりの一助にと企画されたものです。郡内から女子28名を含む110名が参加、技術の交換や話し合いが進められました。
 男女の比率が違うため、男女ペアが少ないように見えますが、皆さん楽しそう。この後、持ち寄った記念品の交換会も行われています。昭和43年夏の大会は商工会館で会議、レクリエーションは長井小学校広場で開催、前年は旧北校で開催されています。
(トップ写真は、文教の杜コレクション「ガラス瓶」です)


2014.02.05:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 24 東分校

  • 長井古写真物語 24 東分校
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。



 この写真は、致芳小学校東分校です。撮影は昭和41年。致芳小・中学への渡船通学が廃止され、11月1日からスクールバス通学に変わったと同時に、東分校が廃止されました。
 東分校の歴史は、明治14年に森小学校として開校したことが始まりで、大正2年に致芳尋常高等小学校が創立され「東分校」となりました。このとき、本校の高等科に渡船通学したのは4人で、このときが渡船通学の始めです。以来、昭和41年まで53年間続きました。
 写真の校舎は、大正6年に建築されたもので、地区民の文化施設としても集いの場、心の交流の場として親しまれてきました。
 致芳地区は、最上川で川西地区と川東地区に二分されており、川東地区の森と東五十川の児童生徒は、小学1年生から4年生までが東分校に、小学5年生以上は川西地区にある小中本校に渡船通学していたものです。64人乗りのスクールバスは、朝2回午後3回運行、143人が利用しました。
(トップ写真は文教の森コレクションのガラス瓶です)
2014.02.04:n-old:[歴史的建造物]