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長井古写真物語 43 ときわ館

  • 長井古写真物語 43 ときわ館
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。



 現在、ヨークベニマルが立地する前にあった映画館「ときわ館」です。掲示ポスターから昭和61年の撮影と考えられますが、昭和63年にはタウンセンターとしてオープンしました。ときわ館は、昭和3年夏に開館し、そのときの映画は日活の「地雷火組」で出演者は大河内伝次郎、河部五郎、酒井米子等の名優でした。
 開館した人は、菊水館のオープン時に米沢から出張映写された小林氏で、開設当時は第七ときわ館として営業していました。昭和7年ごろには今泉に第八ときわ館を新設しましたが、昭和18年に神奈川大船の海軍軍需工場にするため買い上げられ、姿を消しました。
 ときわ館新設当初の昭和3年には、菊水館と演芸館の3館があり娯楽の少ない時代に多くの楽しみを提供していましたが現在は1軒もなくなりました。

(トップ写真は、文教の杜コレクションのガラス瓶です)

2014.03.12:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 42 菊水館

  • 長井古写真物語 42 菊水館
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。



 菊水館は長井駅前に大正12年に開館した長井町初めての常設映画館です。同年9月3日に上棟式、10月落成、11月上旬に杮落としを兼ねて開館されました。創設の主唱者は大町の外田修氏で健全映画館の必要性を説き、宮地区を代表する顔ぶれが名を連ねた株式組織を立ち上げオープンにこぎつけました。
 上映に当たっては、米沢で常設映画館「ときわ館」を営業していた小林氏に依頼、ピアノ・フィルム・映写技師・弁士・映写機など一切を持ち込んで毎週2回出張上映をしていました。翌大正13年には松竹・日活と契約、常時上映となります。長井はもとより飯豊・白鷹からもぞくぞくと訪れ活況を呈しましたが、その後経営難となり、貸館制をとり経営者が変わっていきますが、戦後テレビの普及によって映画館は斜陽化し昭和49年5月、閉館しました。

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2014.03.11:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 41 郵便局

  • 長井古写真物語 41 郵便局
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。



 この郵便局は長井郵便局舎で、昭和7年に改築されたものです。本町通りの旧小池医院北側にありました。
 郵便事業は、長井の開局が明治5年7月1日で、小出粡町関野宅を小出郵便取扱所として開設したことが始まりでした。その後明治8年8月には小出郵便局と改称、あわせて郵便為替業務を開始しています。明治22年、小出電信局を合併して小出郵便電信局と改称。明治36年4月、長井郵便局と改称し小出本町に局舎を新築します。この局舎の写真はまだ見当たりません。明治43年には電話通話事務と交換事務を開始、大正5年には簡易保険事業開始、大正15年には郵便年金事業を開始しています。
 昭和7年7月、局舎が狭隘となったことから写真の局舎を建築、昭和37年まで使用されました。昭和25年普通局に昇格、電信電話業務を分離して長井電報電話局とし、電話局舎は昭和32年7月完成し移転しました。
 郵便局舎も、昭和37年10月1日に栄町(山形銀行南)に新築移転、現在はままの上(市役所南)に再移転しています。


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2014.03.07:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 40 長井公立病院

  • 長井古写真物語 40 長井公立病院

長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。



 昭和3年11月、長井町・長井村・西根村・平野村・豊田村・伊佐沢村で長井公立病院組合を設立。そして昭和4年11月各々に設置していた伝染病院を一箇所で運用する共同の伝染病院が現在の場所に完成、患者の収容を始めました。
 しかし、地域住民から一般病院設立の強い要望があり、伝染病院と併設で新築することになります。昭和14年2月には、一般患者を収容し治療を行うための管理・診療棟と一般病棟が完成。昭和14年3月28日に、名称を「長井公立病院」と改め、一般診療を開始しました。この日が開院記念日となる訳ですが、その後長井市となってから「長井市立病院」、昭和39年4月1日には「「長井市立総合病院」となっていきます。
 長井公立病院の初代院長は志田蔵之助氏で診療科は内科・外科・眼科・耳鼻咽喉科・産婦人科・小児科で51の病床を備えていました。


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2014.03.04:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 39 郡会議事堂

  • 長井古写真物語 39 郡会議事堂
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。



 西置賜郡会議事堂は明治44年10月に竣工しました。この議事堂の前は、現在の税務署付近にあったとされ、町村制施行当時の建築であったため、老朽化と旧式の建物であったため運用上甚だ不便であったことから、郡長の発案で新築に至りました。
 明治44年2月8日、郡会が議事堂建築の建議書を郡長に提出、早急な建築を望む旨の内容でした。「明治44年度において、郡有苗圃地を敷地に充当すること。速やかに具体的成案を作り予算を郡会に附議すること。特別会計とすること。郡蓄積金と中学校設備積立金を繰り入れること。在来の議事堂は置賜織物同業組合に特売する提案をすること」。相当踏み込んだ内容は、郡長の発案を郡会が手続き上建議していることがわかります。
 議事堂は、西置賜には初めての本格的洋風二階造りで、2階に議事堂、1階はそれぞれ議長室をはじめ、最新の設計による各室が設けられました。
 その後、郡制の廃止とともに郡教育会の手に移り、看板は「西置賜郡教育会館」「西置賜郡教育会図書館」の二本立てとなり西置賜郡の文教の中枢として多彩な活動の場としての役割を担いました。長井市が誕生すると、建物を長井市が買い取り、「長井市中央公民館」「長井市立図書館」となり、戦後の文化活動の拠点になりました。 昭和48年7月、建物を解体、65年の幕を閉じました。
 もう一枚の写真を。



 この写真は郡役所と一緒に写っているものです。右側に明治44年の新しい郡会議事堂、中央には明治11年築の郡役所、そして、その奥に「織物事務所」が少し映っています。建議書のとおりに実行されたとすると、旧郡会議事堂の建物ということになりますね。大正3年の長井の地図には「織物事務所」と記載があります。


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2014.03.03:n-old:[歴史的建造物]