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長井古写真物語 48 長井警察署二代目庁舎

  • 長井古写真物語 48 長井警察署二代目庁舎
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。



 
長井警察署の二代目庁舎は大正9年、現在の山形銀行南に新築されました。一代目の庁舎が、時代の趨勢に合わなくなったことや老朽化したことにより、移転したものです。山形県県会では大正8年に新築予算が議決され、翌大正9年7月2日に起工、12月15日に竣工し28日に移転を完了しました。
 敷地の535坪を県に寄附し、庁舎建物を県で建築したものです。建坪は121坪で、他に署長官舎30坪、経費は27660円でした。


(トップ写真は、文教の杜コレクションのガラス瓶です)


2014.04.07:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 47 長井警察署初代庁舎

  • 長井古写真物語 47 長井警察署初代庁舎
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。



 初代長井警察庁舎は、明治14年、大町摂取院入口の北側、撞木橋の北隣に新築されました。明治14年4月7日起工、11月24日に開業しました。庁舎手前に写っているのは、撞木橋と上人松です。
 敷地は東西14間(25.2m)、南北6間半(11.7m)で、本庁舎一棟(間口5間、奥行き5間)、外に留置場一棟、便所、掲示場、柵13間半、板塀19間半の整備でした。寄附で賄われ、寄附金総額は1967円。
 洋風建築三層造りで三階は望楼で、警鐘台となっています。明治11年に洋風建築の西置賜郡役所ができ、続く14年にこの建物ができたわけですから、当時の人は驚いたと想像できます。最先端のハイカラな警察署庁舎は長井の名物となりました。


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2014.04.04:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 46 三由軒製糸場

  • 長井古写真物語 46 三由軒製糸場
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。



 長井は、製糸業の盛んな地域でした。写真は昭和9年当時の工場です。
 三由軒製糸場は、明治20年7月、つつじ公園の進展に寄与した横山孫助氏が、単独経営の工場として開業しました。当初は木製炭火製糸機20釜でスタートしたといわれています。明治28年、四ツ谷に工場を新設して仏国式製糸機械48釜を設備、32年には製糸講習所を設立するなど意欲的でした。43年にはボイラーを設備、70釜の大工場となりました。製品は優良で、羽前エキストラに含まれ、信用は確実で着実な成績を収めました。大正10年の生産高は、生糸4530貫目、屑物1400貫目、繭買入高春繭34000貫目、夏秋蚕14000貫目。従業員は163人。11年には工場の大改築を行い活況を呈しましたが、昭和17年2月の企業整備令によって製糸業を廃業しました。


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2014.04.03:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 45 長井小学校のさくら

長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。



  長井町立尋常高等小学校の南から撮影した昭和9年の写真と考えられます。小学校前は、田圃が広がり唯一1本のさくらが咲いています。現在は道路沿いに桜並木がありますが、この当時ありませんでした。しかし、桜並木は昭和9年に植栽されていますので夏以降でしょう。
 この1本の桜は、ここに移転する前の敷地にあった中から、消防組や運送店の協力で道路をひきずり、移植したものと考えられます。その後、桜並木が形成されましたが、これらは皇太子の誕生を記念して西根村から若木を植えたものです。小学校の歴史は「長井まち歩き1 長井小学校第一校舎」を参照下さい。


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2014.04.02:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 44 最上川堤防千本さくら

  • 長井古写真物語 44 最上川堤防千本さくら
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。



 これから、長井の桜群が咲き競う時期を迎えます。最上川千本桜の古い写真を紹介しましょう。この写真は長井駅から東に直進した突き当たりの場所です。
 大正3年に植栽されたもので、当時は「大正天皇御即位記念桜」と呼ばれていました。立原和愛、桑島治三郎、中村現蔵が発起人となり、旧堤防南古川橋から長井小学校東まで苗木が植えられました。特に、白つつじ公園の東側堤防沿いには、すぐに花見ができるよう、吉野桜や八重緋桜の成木が植えられました。植栽の間隔は4間(7.2m)。昭和8年に、当時の建設省直轄工事として堤防の改修計画が立てられ、桜を伐採し改築堤する運びとなりましたが、行政の強い要望により残されることになりました。大東亜戦争中では、燃料不足から全部を伐採することになりましたが、終戦を迎え、残存しました。これが今観られる桜です。

 また、対岸の桜も見事ですが、こちらは昭和13年から3年かけて植えられた桜です。




 さくら大橋東から撮影された写真です。これは、東岸の小堤防築造を記念し、また西岸の桜に対峙するよう計画され、将来の観光地を目指しました。経費は長井町の公園予算から100円づつ3年間支出、労力は金井神青年会の土屋善五郎氏ら、無償協力を得て泉山から諏訪堰までの2キロメートルに5間(9m)間隔で植栽されました。
 昭和30年代前半の写真、桜はまだまだ細いですね。いずれも樹種はソメイヨシノです。


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2014.04.01:n-old:[歴史的建造物]