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長井古写真物語 78 あやめ公園開園記念碑の裏

  • 長井古写真物語 78 あやめ公園開園記念碑の裏

「長井市文教の杜」に保管している古写真のコレクションを紹介します。

 

あやめ公園が開園した明治43年、その基をつくった金田勝見。昭和10年、金田勝見を顕彰しようと回りで立ち上がりますが、一人のための顕彰碑はいかがなものか、と開園記念碑となります。全国的にも有名な「剣花坊」「飴ン坊」「五花村」の川柳がそれぞれの揮毫されたとおり、掘り込まれています。その上に、佐藤柊坡氏揮毫による「開園記念」がかぶせられています。当時建立に走り回った方々の写真です。

 

 

昭和12年7月11日、高橋忠吉所有の写真。左から、小松千歳・中村春風・井上長太郎・竹田竹枝・女子・岡部吉平・中村現蔵・高橋忠吉・斎藤涙光・田中留五郎・遠藤利吉・大竹三郎・男子、となっています。

 さらに、石碑の裏側はなかなか目にすることが少ないと思いますが、そのブロンズ板には次の記載があります。関係者が刻まれています。

明治四十三年七月開園 記念碑

歴代町長 鑪信行  湯原弥三郎  横山孫助  堀越源三郎  佐藤鶴吉  横沢仲右衛門

功労者  梅津利助  長沼帆四郎  加藤嘉津馬  青木茂助  小松幸七  長沼惣右衛門  長沼忠兵衛  小笠原嘉内  平吹才助  深瀬久助  手塚庄三郎  齋藤與次兵衛  加藤秀弥  須佐次兵衛  金田勝見  遠藤安兵衛  梅津平四郎

建碑寄付者 有志芳名  長沼惣右衛門  長沼忠兵衛  芳賀作右衛門  長沼清蔵  長沼あ艪三郎  渡部源内  大竹寅雄  金田源吾  海老名喜兵衛  堀越源次郎  昭和自動車会社  長井川柳社  川崎李山  風間五右衛門  遠藤茂助  齋藤善之丞  高橋礼太郎  井上太一  井上長太郎  遠藤利吉  高橋熊次  羽陽勧業無盡長井出張所  加藤嘉一  岡部吉平衛  加藤与市  板垣弥五郎  梅村慶次郎  桜井清太郎  黒沢長助  工藤七右衛門  アヤメ高台店組合  井上榮七  高橋本藏  白井つる  高橋次助  工藤勝榮  鈴木為蔵  佐藤吉衛  高橋徳太郎  加藤源之助  高梨みつ  大竹しげ  勝見たよ  金子てい  竹田さだ  伊藤みゑ  渡部きよ  鈴木ユウ  志村庄助  長宇商店  伊藤蘇堂  佐藤柊坡  井上忠助  佐藤一瓢  竹本  金田彦次郎  東洋酒造會社  多田野清次  石川健藏  鈴木慶助  高橋徳次  安城和七  広谷與七  新野良太郎

主催  長井川柳社  千歳山洋  呉越郎蓮台  安泰子涙光  好月吉ン坊  竹枝杢平土  春風新畝  善坊乄太  美秋月華子

発起者  中村現藏  井上長太郎  岡部吉平  遠藤利吉  竹田喜蔵  高橋忠吉

石工  田中留五郎

 ぜひ、あやめ公園に行かれましたら、開園記念碑の裏側をご覧ください。

 

 

この写真は、現在のものです。

 

(トップ写真は文教の杜コレクション「ガラス瓶」です)

 

 

2014.06.19:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 77 あやめ公園改造模型

  • 長井古写真物語 77 あやめ公園改造模型

「長井市文教の杜」に保管している古写真のコレクションを紹介します。

 

 昭和30年代は、あやめ公園の誘客が進んだ半面、あやめの育成状況や施設等の土産物などに課題が見え始めた時代でもあります。ある方からあやめ公園改造案の提供がありました。

 

 

写真は、昭和34年6月に成田・管野久助氏から寄贈された「あやめ公園改造案模型」です。昭和33年11月3日に落成した新市役所庁舎のロビーに飾られました。この模型は、市が「観光都市長井の設計」という論文募集で同氏が応募入選、それを基礎に造られたものです。模型には説明として資料がありますが以下の内容です。

一、模型は水路・山・樹木・公園入口は現状のまま。

一、あやめ公園の重点を清流に置き、水とあやめの調和を主眼とした。

一、流線型の山と水に対して円型花壇・方型花壇を作り、変化と調和を。

一、中央噴水高台の北に見晴台、県一碑を頂上に。噴水も大柳下に移す。

一、円型花壇から見晴台に架けた橋は擬装橋。土の道路の両側をコンクリートで工事、橋にみせる。睡蓮池の水温を高くするためと散策の気分を良くする。

一、睡蓮池の像は、ニンフィアの女神を象徴いたもの。台高水面より八尺、像は等身大。

一、円型花壇の中心は電灯とし高さ三間。

一、野川堤の樹木はポプラ。

一、あやめ会館南の小山二つを含めて日本庭園にすると面白い。

  などなど。今見ても面白いアイディアが詰まっています。当時のあやめ公園に対する市民の思いがひしひしと感じとることができます。

 

(トップ写真は、文教の杜コレクション「ガラス瓶」です)

 

 

 

 

2014.06.18:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 76 あやめまつりの街宣

  • 長井古写真物語 76 あやめまつりの街宣

「長井市文教の杜」に保管している古写真のコレクションを紹介します。

 

あやめまつりの宣伝が県外に初めて出た年は昭和28年。県内の宣伝は前から行っていましたが、県外客のを誘客しようとバス仕立てで仙台・福島郡山等に出向きました。

 

 

 

 写真はバスに飾り付けた横断幕と山形駅前広場のあやめPRです。長井踊り(長井音頭)を披露ししています。参加された方から聞きますと、一日数か所回るので終わるころにはヘトヘト、バスには今のようにエアコンもないし、道路は砂利道が多かったし・・・。相当ハードでしたね。

 

(トップ写真は文教の杜コレクション「ガラス瓶」です)

2014.06.17:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 75 三橋美智也の長井盆唄

  • 長井古写真物語 75 三橋美智也の長井盆唄

「長井市文教の杜」に保管している古写真のコレクションを紹介します。

 

 長井でも、さまざまなあやめ祭りに係るレコードが発売され、中でも長井踊りのきっかけとなった唄が「長井盆唄」です。

 

 

 制作のきっかけを作った人は、五十川出身の色摩辰雄さん。昭和38年、東京で活躍されている青年実業家・色摩氏が、郷土長井のために民謡制作にと200万円を贈られました。みんなに愛唱してもらうためにも、作詞作曲者・歌手は第一人者でなければと、三橋美智也と大津美子の唄、矢野亮作詩、吉田矢健治作曲のコンビでキングレコードから出すこととなりました。三橋が「長井盆唄」を、大津が「長井ブルース」をうたい、盆唄には踊りの振付も一緒に行われました。8月4日、発表会が長井中学校体育館で三橋・大津の二人を招いて催されました。

 同じ年の8月16日、17日、18日の3日間、長井で初めての「長井祭り」が開催されます。このお祭りは、白山・皇大・總宮神社の祭りを一つにしたもので、その1日は長井パレードがスタートします。三橋美智也の唄う「長井盆唄」に合わせて目抜き通りを踊りました。これが長井踊りの始まりです。

 

(トップ写真は文教のコレクション「ガラス瓶」です)

 

2014.06.16:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 74 東海林太郎

  • 長井古写真物語 74 東海林太郎

古写真から情報を読み取ります。長井の昔を楽しんでください。「長井市文教の杜」に保管している古写真のコレクションを紹介します。

 

長井音頭・長井小唄で成功を収めた青木庄吉・多田野清次は、第2弾を企画。近代的な歌詞とメロディーを持つ歌の制作を考えます。そこで制作された唄が「恋のぼんぼり」です。作詞は長井高等女学校出身の浦季子、作曲・山田栄一、唄は〆香でした。発表会はあやめ祭り期間中の昭和10年6月25日、菊水館で開催されました。

 昭和10年10月17日、当時人気歌手であった東海林太郎のアトラクションを長井で行うこととなります。

写真は、東海林太郎アトラクションの宣伝をしてるカット。菊水館前です。アトラクションは演芸館で昼夜2回の公演でした。東海林太郎、山田栄一指揮するポリドール楽団、上山芸妓の一行の舞台は、通路までいっぱいになったといいます。「赤城の子守唄」「国境の町」「むらさき小唄」に加え、「恋のぼんぼり」等をマイク無しの肉声で歌い、「東海林節」でうならせました。残念ながらその写真はありませんが、記念写真が次の一枚です。

 

(トップ写真は文教の杜コレクション「ガラス瓶」です)

2014.06.13:n-old:[歴史的建造物]