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ながいまちなみ物語 3 長井駅前通り 2

  • ながいまちなみ物語 3 長井駅前通り 2

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。大正3年は、長井にとって大きな飛躍の年になる。長井軽便鉄道が長井まで開通、長井駅が開業した。合わせて電気が初めて長井に。

 

この一枚の絵葉書も長井駅開通時のもの。写りこんでいないが、奥に長井駅。両側には連担したまちなみが見て取れる。現在の中村循環器科医院に所に長井小学校があったが、その西側の区域のように見える。目線も高い。このころになると、茅葺屋根だけではなく、トタン屋根も確認できるがそう多くはない。この人だかり、近郷から集まったとされているが、当時の息吹も感じ取れる一枚である。

 

(資料:文教の杜・長井市史・長井年表)

 

 

2014.08.11:n-old:[歴史的建造物]

ながいまちなみ物語 2 長井駅前通り

  • ながいまちなみ物語 2 長井駅前通り

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。大正3年は、長井にとって大きな飛躍の年になる。長井軽便鉄道が長井まで開通、長井駅が開業した。合わせて電気が初めて長井に。

 

大正3年11月15日、軽便鉄道が長井まで開通し、長井駅が「長井ステーション」として開業した。写真は「祝開通」の文字が入る歓迎ゲートだ。奥に見えるのが、初代長井駅。駅前からの撮影。

 

 

見物に集まった人々を撮影した写真。駅前通りの左側、小出地区側には建物が並び「祝開通」の文字も見えるが、右側、宮地区側には建物らしきものは見当たらない。臨時的なものはあるのだが、田んぼが広がっていたようである。道路の両側には提灯が下がり祝賀ムードを作っている。長井駅に伸びる道路は、長井駅開業に合わせた整備であるため、当時は田んぼだったことが当然であった。その後急速にまちなみが形成されていくことになる。

 

(資料:文教の杜・長井市史・長井年表)

2014.08.08:n-old:[歴史的建造物]

ながいまちなみ物語 1 本町通り

  • ながいまちなみ物語 1 本町通り

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。

 

 

明治43年12月月5日の日付が入る本町通り。石川肉店あたりからの風景とされている。日付の12月15日は「長井町内に51個所に特設電話が架設」された日。電柱100本建てられ、この写真には8本写りこんでいる。

この道路は明治以前からある。両側には切妻屋根が多く、茅葺屋根である。道路は砂利道で両側には側溝があり、切石組みと素掘りの堀が混在している。道路の修繕で砂利を敷いていくために次第に高くなっていく。そしてついには20センチもの高さになっていった。当時はあら町・本町・栄町・大町までのこの道路沿いが唯一の商店街だった。

この同じ年、舘町から神明町を通って病院までの「東裏道路」が出来上がる。

そして、同じ明治43年、長井の人がに初めて自動車を見ることになる。秋のこと。キリンビールの宣伝にのために、仙台からやってきたのである。その自動車はイギリス製で「ローレント・クロメントバイヤー号」。珍しい自動車を見ようと、弁当を持って集まったとされている。この道路も走ったにちがいない。

(資料:長井市史・年表・続長井夜話・文教の杜)

2014.08.07:n-old:[歴史的建造物]

ながいまちなみ物語 古地図編 9

  • ながいまちなみ物語 古地図編 9

長井の街並み編。第1回から数回古地図が出てきます。めまぐるしく街並みが変わります。昭和38年の地図で、中央部小出地区。

 

 

①常盤館 昭和3年夏に開館。日活の「地雷火組」が最初の映画。昭和63年のタウンセンターオープンまで続いた。

 

②荘内銀行長井支店

 

③演芸館 開館は大正6年。演芸館の建物は、山形県庁(現在の文翔館)の落成を記念して開催された「奥羽六県連合共進会」の会場に建設され、その名も演芸館として県庁敷地西側にあったものだ。それを長井町の有志が払い下げを受け、そっくりそのまま移築したもの。経営は幾多の変遷を経て、昭和49年、公園整備に合わせて解体された。

 

④つつじ公園 明治29年に松ケ池公園として開園。七兵衛つつじを移植、明治43年にはつつじ公園と呼ぶようになった。以降、町、そして市となってからも整備を重ね市民の憩いの場と。ひょうたん池は、大正3年から大正12年の間で整備されている。

 

⑤殖産銀行長井支店

 

⑥白山神社・長遠寺

 

⑦協同薬品工業 昭和21年に全国製薬(株)東北工場を設立操業を開始、現在の市役所西南に立地した。翌22年に協同薬品工業(株)に改名、昭和26年には全購連(現在の全農)の配置方式による生産工場の指定を受ける。地図上に移設したのは昭和35年。 

 

⑧薬師堂

 

⑨検察庁

 

⑩簡易裁判所 長井区裁判所が設置されたのが明治23年8月1日、大正7年には米沢区裁判所出張所と。簡易裁判所となったのは昭和22年8月11日、小出青年学校校舎であった。現在の場所には昭和24年11月3日、庁舎ができた。

 

⑪長井南高等学校 昭和38年では長井南高等学校である。この前身は「県立長井中学校(大正9年)と「町立長井実科高等女学校(大正10年)だ。女学校は大正14年に県立となる。昭和23年には学制改革により、それぞれ、「長井第一、長井第二高等学校」名を改める。昭和25年には統合し「長井高等学校」と。昭和30年に分離、「長井南高等学校」と「長井北高等学校」になる。長井北高等学校は長井工業高等学校新設(昭和37年開校)のため、昭和37年で生徒募集停止する。そして再び統合するのが昭和39年で、「長井高等学校」となり現在まで続く。激動の時代、複雑な経路をたどる。

新体育館は、昭和34年の年。7月18日に竣工式挙行

2014.08.05:n-old:[歴史的建造物]

ながいまちなみ物語 古地図編8

  • ながいまちなみ物語 古地図編8

長井の街並み編。第1回から数回古地図が出てきます。めまぐるしく街並みが変わります。昭和38年の地図で、中央部宮地区。

 

 

 

 

 

 

①野川橋 野川橋が永久橋となったのは、昭和33年3月21日。市民待望の橋は、大々的に渡り初めで祝った。それまでは木橋で、水害による落橋でしばしば悩ませた。

三代夫婦9組が渡り初めに

 

②屠場 衛生的で本格的な市営の屠場は、新生長井市となった昭和29年の翌年昭和30年6月30日にオープンした。91.75坪の建物と敷地378坪、予算は350万円。

 

③新しい道路 十日町から野川橋までの新しい道路。昭和10年に整備された。それまでは、あやめ公園の西側を走る道路が、成田方面に行く唯一の幹線だった。また、十日町郵便局から長井橋に通ずるバイパス整備は昭和38年から3年間で、地図にはまだ示されていない。

野川に架かる永久橋となった野川橋。橋と十日町を結ぶ一直線の新しい道路。

 

 

④十日町郵便局 新築は昭和30年ころ現在地に。それまでは長沼酒造前にあった。

 

⑤總宮神社・普門坊・遍照寺

 

⑥あやめ公園 この昭和38年、花菖蒲の新種、長井古種が発見された一年後だ。

 

⑦長井工業高校 この校舎は昭和38年当時は建設中。新校舎で授業を行ったのは昭和39年4月1日からで、全部が完成するのは翌年の昭和40年3月31日だ。工業高校が開校したのは昭和37年4月だが、長井北高校舎を使っていた。

 

⑧谷地橋 谷地橋が永久橋となったのは昭和43年1月のこと。昭和38年当時は木橋だった。

 

⑨母子寮 母子寮が竣工したのは長井町時代の昭和28年6月1日だった。

増築中の母子寮

 

⑩東京電器会社 東芝長井工場が東京電器と社名変更、昭和25年2月(長井市合併前)で、昭和45年6月1日にはマルコン電子となった。つなみに、工場前の道路が舗装されたのが昭和36年。

 

⑪長井中学校 町立長井中学校竣工落成式が昭和27年7月12日、盛大に開催された。建坪1209坪、予算が2500万円。

 

⑫百間道路 昭和7年に開通。長井駅西土地区画整理事業が昭和32年から35年で完了、幸町と清水町が誕生した。

 

⑬市立病院 前身は昭和4年に開院した伝染病の長井公立病院。以後、昭和14年には一般診療も行う病院に。昭和35年以降、診療棟を新築、長井市立総合病院になったのは昭和39年4月1日。

 

⑭市役所 昭和33年2月29日着工、竣工は昭和33年11月3日。竣工落成式典と合わせ、盛大な祝賀行事が行われた。そして、新市庁舎の使用に先立ち、11月4日から6日までの3日間、一般に公開、参観者が2万人とある。

市制施行10周年時の記念写真  

 

⑮長井小学校 体操場はのど自慢等多くの事業に使われた。丸屋根の体育館ができたのは、昭和40年だ。

 

⑯職業安定所 市役所西にあった安定所が手狭になったため、昭和37年、長井小学校南に新築ブロック平屋建て。

 

⑰保健所 昭和15年に落成、26年には増築している。

 

 

 

2014.08.01:n-old:[歴史的建造物]