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ながいまちなみ物語 8 栄町通り

  • ながいまちなみ物語 8 栄町通り

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。写真は大正14年に発行された町勢要覧に掲載された「撞木橋上人松」として紹介された写真。

 

 

当然に撞木橋は木橋で、通りを南方の方向を撮影したもの。連担した街並みが今と変わらない。岩城屋が撞木橋に並ぶ。

 

反対の方向は、明治14年の下記の写真。上人松がきれいに写っている。「上人松」は、宥日上人袈裟かけの松と伝えられる。建物は明治14年に建設された初代長井警察署庁舎で、上の大正14年の写真撮影時には現在の山形銀行南に移転した。警察二代目庁舎は大正9年のとき。

 

 

上人松左の建物は、現在の岩城屋さんではなく松月まんじゅうさん。大正3年の長井線開通に合わせ駅前に移転、その後岩城屋さんとなったとのことである。

 

(資料:文教の杜、長井市史)

 

 

2014.08.18:n-old:[歴史的建造物]

ながいまちなみ物語 7 県立中学校通り 

  • ながいまちなみ物語 7 県立中学校通り 

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。

 

 

昭和9年に発行された長井町勢要覧に掲載された写真。山形県立長井中学校は大正9年に創設された。校舎の竣工は大正10年10月15日であるため、この写真はすべてが完成していないことになる。当初は、長井小学校の校舎を間借りしていた。

あら町から中学校までの道路は昭和3年に整備されたが、この時点では学校前には家並みは存在していない。

 

(資料:文教の杜・長井市史)

 

2014.08.15:n-old:[歴史的建造物]

ながいまちなみ物語 6 櫻堤防道路

  • ながいまちなみ物語 6 櫻堤防道路

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。

 

 

昭和9年の長井町勢要覧に掲載された長井小学校(当時は尋常高等小学校)と同写真。学校の前の道路は「櫻堤防道路」と呼ばれていた。その道路の南側は一面の田んぼで、まったく家並みはない。櫻堤防道路は、現在の四釜ガソリンスタンドから東の最上川堤防まで、新しく切られた道路だ。「桜」は大正天皇即位を記念し、堤防沿いに、大正3年植栽されたもの。

 

(資料:文教の杜、長井市史、長井年表)

2014.08.14:n-old:[歴史的建造物]

ながいまちなみ物語 5 長井駅前通り 4

  • ながいまちなみ物語 5 長井駅前通り 4

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。

 

 

 

昭和30年暮れから昭和31年冬の写真。中央十字路南西角にあった梅屋商店、写真右側の建物は朝日パチンコ店だ。その奥に小浦履物店、木村家がと続く。木村家の食パンの看板、非常に目立った表示で、夜はネオンが輝いた。道路中央には長井市で整備したできて間もない歓迎ゲートがある。夜になると、こちらもネオンがつくようになる。

 

この写真は、上記写真の年代の少し前のものと考えられる。初売りの光景で多くの町民でにぎわった。

 

(資料:文教の杜・長井市史)

 

 

 

2014.08.13:n-old:[歴史的建造物]

ながいまちなみ物語 4 長井駅前通り 3

  • ながいまちなみ物語 4 長井駅前通り 3

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。長井駅前通りの第3弾、昭和9年の駅前通りの姿だ。

 

昭和9年発行の市勢要覧に掲載された写真。前段の「長井駅前通り2」の20年後の写真だ。奥が長井駅、右端の建物は現在の中央安城の場所。すずらん灯が整備されているが、駅側と中央十字路近くのデザインが異なっているのが面白い。道路も舗装されている。舗装されたのは昭和8年6月4日で、長井で初めての舗装道路である。しかし、舗装はここまで(中央十字路付近)のようである。ボンネットバスが時代を感じさせる。

 

昭和8年の写真。上の写真の1年前である。舗装道路がきれいに写っている。道路の北側が写っているが、立派なまちなみを形成している。お菓子屋があり、常設映画館・菊水館も。すずらん灯が整然と並びなかなかの家並みだ。写真に写る「歓迎塔」はあやめ祭りのもの。あやめ公園は昭和5年に名所県一位になって以来、長井線を利用した観光客でにぎわった。長井駅からあやめ公園まで、人がつながったという話を聞くが、あながち嘘ではないかもしれない。

 

(資料:文教の杜・長井市史)

2014.08.12:n-old:[歴史的建造物]