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ながいまちなみ物語 13 山交十字路四隅と東

  • ながいまちなみ物語 13  山交十字路四隅と東

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。

 

 

昭和33年。山交十字路(現在の中央十字路)四隅の写真。奥右に中央安城、朝日パチンコ、木村家。奥左には梅屋商店。この道路をまっすぐ進むと長井駅だ。手前右に山交営業所、手前左には食堂すゞや。

 

 

東北角にあった山交営業所の建物。昭和33年。

 

 

南東角の食堂すゞや。南に鈴木薬局、駒屋、川村硝子と続く。昭和33年。

 

この1枚はっ昭和35年。食堂すゞやから東に、コンノ美容院、第一生命、バス待合、ハギノヤラジオ店、神戸食堂、協同薬品と続く。ちなみにバスは勧進代行きだ。

 

(資料:文教の杜、長井市史)

2014.08.25:n-old:[歴史的建造物]

ながいまちなみ物語 12 東京電器上空

  • ながいまちなみ物語 12 東京電器上空

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。

 

 

昭和33年から34年の空撮写真。幸町上空から東京電器を中心に南を望んでいる。昭和25年2月に東京電器と改名、前身は東芝長井工場で、操業は昭和17年8月だった。マルコン電子と再改名するのが昭和45年6月1日から。創業前の昭和16年9月2日、大相撲横綱の双葉山が来町し、地固めをおこなった。以来、前を走る道路は「双葉通り」と。

東京電器南東角からは南に「百間道路」が伸びる。昭和7年に開設。正式には「北台水上線」だが線路から百間・182メートル離れていることから、その呼び名となった。当時は長井町の凶作による雇用対策事業として充てられた。

長井中学校は昭和27年7月12日の新築。

下記写真は双葉通りで、砂利道。舗装道路となったのは昭和36年、この道路に踏み切りが整備されたのが昭和37年4月だった。

 

右側の建物が東京電器だ。その手前は田んぼが広がる。

 

(資料:文教の杜、長井市史)

2014.08.22:n-old:[歴史的建造物]

ながいまちなみ物語 11 十日町、寺東

  • ながいまちなみ物語 11 十日町、寺東

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。

 

 

 

昭和33年から34年の写真。十日町上空から寺東地域を撮影している。十日町の交差点は現在と同じクランク。十日町郵便局は昭和30年に移転、十日町郵便局から長井橋へのバイパス道路はまだ未着工だ。完成は昭和41年。

 

(資料:文教の杜、長井市史)

2014.08.21:n-old:[歴史的建造物]

ながいまちなみ物語 10 横町と成田

  • ながいまちなみ物語 10 横町と成田

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。

 

 

昭和33年から34年の空撮写真。野川に架かる野川橋は昭和33年3月21日に渡り初めが盛大に催された。野川橋に伸びる道路は、十日町と成田を結ぶもので昭和10年に。それまでは、あやめ公園東を通る道が唯一の成田へ行く道だった。左側に斜めに走る道がそれだ。この街道の延長上に旧野川橋が架かっていた。それを如実に表した写真が下記の写真だ。

 

 

成田側の左には「萩公園」が。もとは、「あけぼの園」と言っていた。安部林蔵氏が私的に造園したもので、昭和2年から。もみじや萩など、大変な評判となった名物は、おはぎと棒鱈煮。

永久嬌となった野川橋の渡り初め。昭和33年3月21日のこと。以前の木橋はたびたび流されている。鈴なりの市民の多さに、永久嬌の期待が垣間見える。

 

昭和33年8月、成田地区から撮影。

 

左下には「あやめ公園」が写っている。現在の北駐車場にあたるエリアは、まだ整備が進んでいない。

 

(資料:文教の杜、長井市史)

 

2014.08.20:n-old:[歴史的建造物]

ながいまちなみ物語 9 山交十字路 

  • ながいまちなみ物語 9 山交十字路 

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。

 

 

昭和30年の中央十字路を北へ写した写真。歓迎ゲートが見えるが、あやめまつりのPRゲートだ。中央十字路はこのころ「山交十字路」と呼んでいた。十字路に山形交通長井営業所があったからで、小出・宮地区は、中央地区の呼び名ではなく「本庁地区」と呼んでいた。中央地区と名を変えるのは昭和38年だ。

中央十字路には四隅に梅屋、鈴木薬局、中央安城、山交営業所。山交側の北には、ストウ呉服店、長井市消防署(大正9年から)、長井警察署(大正9年から)、両羽銀行(大正15年から)と続く。長井郵便局は昭和37年に栄町に移転するので、この時代にはない。また、電報電話局も昭和32年建設であるため、まだ写っていない。

左側の梅屋商店の手前には、市役所がある。町役場がそのまま市役所となっていた。梅屋商店の看板に「ニッポンビール」ととあるが、現在のサッポロビールのこと。明治9年に開業し、戦後ニッポンビールとして再スタート、昭和32年に再びサッポロビールに。星のトレードマークは今も変わらない。

 

(資料:文教の杜、長井市史)

 

2014.08.19:n-old:[歴史的建造物]