長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。戦後、食うや食わずの世相から立ち上がり熱気溢れる当時のエネルギーを感じ取って下さい。
(協力:文教の杜、長井市史)
歓迎アーチ(東面。東から西を臨む)
長井駅前通りを長井駅を向いて撮影した写真です。消防演習の一こまで、昭和37年ころのもの。歓迎アーチは、長井年表では昭和30年6月とされています。長井市となったのは、昭和29年11月15日ですから、翌年には整備されたようです。アーチ上部にある章は、市章のデザインと考えられますが、昭和30年、その際公募で決定しましたが正式採用とはならなかったようです。市章は昭和38年10月17日に制定され、長沼孝三氏がデザインしました。〇が六つ、これは長井町・長井村・西根村・平野村・伊佐沢村・豊田村が合併、それぞれの町と村を表しているようです。中央には「長」の文字。デザインされた方は、芳文社にお勤めの大沼喜三郎氏でした。
しかし、アーチには酒の銘柄がありますが、市内の醸造元ではありません。なぜ? 実は、この面は裏側なのです。長井駅から降りてくる方々に対しての歓迎アーチでした。それでは裏側をみてみましょう。
西面のアーチ(長井駅側から臨む)
長井駅から降りた方々が見る西面です。こちらに長井の酒の銘柄が並びます。撮影は昭和42年で、当初のアーチデザインと変わっています。また、夜景の写真もありますが、撮影年代は残念ながらわかりません。
アーチ夜景(駅側から)
まばゆいばかりのネオンサインです。今あっても、目立つのではないでしょうか。右側にあやめ、左側につつじが配されています。奥に木村家のネオンも。食パンのデザインで、印象深いつくりになっています。