長井まちあるき物語  斎藤織物 工場

  • 長井まちあるき物語  斎藤織物 工場

山形県長井市。それは、水と緑と花の奥座敷・・・・・
ゆっくりと まちなみに ふれてみませんか・・・・・
魅力あふれる 深い建物を醸し出す風景に 足を運んで下さい

(資料:長井市史、神奈川大学工学部建築学科 西和夫 長井市歴史建造物調査報告書、文教の杜)



  斎藤織物は、白つつじ公園の南西、館町北地区の北西に位置し、敷地のすぐ南東を野呂川が流れています。道路の北東に立地し、敷地の南西に門を構え、西に工場、東に主屋・土蔵と北東方向へつながり、南には池や大小の樹木を配した庭を設けています。敷地内には水路が巡らされており、水路の水は南から北方向へ流れています。
  工場の構造は、木造2階建て、妻を切妻造りマンサード風に仕立てた屋根、鉄板瓦棒葺き、平入り。柱を見せた真壁構造で、小屋組みは三角形を単位として組まれたトラス構造です。外壁は白漆喰塗仕上げの上に下見板張りとし、南面は更にその上にモルタル目地切り仕上げ、西面は腰をトタンで覆っています。梁(はり)間4間、桁(けた)行7間の規模で、設計基準尺は芯々6尺3寸。建築年代は、御当主からの聞き取りにより、昭和40年(1965)です。
  間取りは、1階に南から北へ事務所。製品置き場・原材料置き場、2階に絣加工場からなり、原材料置き場の北側は取り次ぎ・もう一つの工場となります。事務所は、床・壁・天井ともに新建材で、撚糸加工や染色加工、整経加工、図案、墨付け加工、緯絣加工、くし返し加工、機織りなど長井紬に必要な様々な加工技術の写真が解説付きで飾られています。
  原材料置き場は床をフローリング、壁を新建材、東面は腰を竪羽目板張り、腰上を白漆喰塗仕上げ、西面は梁成(はりせい)が1尺3寸と2本とも大変太くなっています。柱は杉、梁・肘木(ひじき)は松を使用し、柱には以前の床高の痕跡が見られます。北側の階段には根太(ねだ)を切った跡があり、かつてはこの位置にはなかったのではないかと考えられます。絣加工場は床をフローリング、壁は腰を竪羽目板張り、腰上を白漆喰塗仕上げとし、天井は石膏ボードで塞いでいます。柱には柱番付があり、柱や梁、屋根組はすべて金具で補強しています。
  この工場は、かつては郡是製糸株式会社長井工場の繭乾燥場として使用されていたもので、このあたりの太い材を郡是長井工場に提供して造られたものです。郡是長井工場は大正9年(1920)2月に羽陽館川村製糸場を買収し、創業を開始しましたが、同年7月11日の出火により全焼してしまいました。しかし、同年9月には着工のための地固めを行っていますので、翌年の大正10年(1921)には完成したと考えていいと思います。その後、現在の敷地を魚屋から買い、昭和40年(1965)に郡是の繭乾燥場を解体・移築しました。転用材が多く、二度打ちや埋木など諸所に移築した痕跡が見られます。梁が太いのが特徴で、柱位置は郡是にあった当時と変わらないといいます。奥の平屋の工場は昭和50年(1975)頃の建築です。
  現御当主は三代目で、斎藤家が織物業を始めたのは約60年前からで、当初は館町の北の方で営んでいました。郡是長井工場の繭乾燥場が、当初のままの構造で使用されており当地区の生業の様子をよく示す点で貴重です。

2014.04.24:n-old:[歴史的建造物]