西置賜郡役所 かいわい物語

  • 西置賜郡役所 かいわい物語
幕藩体制の封建時代が終わり、明治維新という新しい国家をつくろうと世の中が急変した時代があった。その時代を象徴する建造物がこの郡役所だ。山形県内には11棟造られたが、その後解体されたり焼失したり、今残っているのは6棟になった。そこで、この旧西置賜郡役所を中心に、これまで残された古い地図や写真を元に、明治から現在までのまちの移り変わりをたどってみる。
(協力:文教の杜)


 
明治41年発行の絵葉書  西置賜郡役所

  この写真が撮影された年号は不明だが、玄関のテラスが創建当時(明治11年)のままだ。写真の左側には樹木の間から総二階の洋館が見える。「明治44年は新しい郡会議事堂が郡役所の北側に建ち、現在の税務署のあたりにあった古い郡会議事堂がリメイクされ西置賜郡織物同業組合の事務所になった」という記録があるが、その古い議事堂はいつの建造なのか今のところ資料が無く不明だ。

 
 新しい郡会議事堂が写っている絵葉書。明治44年の竣工である。ヨーロッパを真似た欧化主義は、公共の建物や道路、河川改修などで次第に風景が変わり、人々の暮らしぶりも変貌した。同時に富国強兵策が進められ、静かに戦争の軍靴の音が近づいてくる時代でもあった。

古い地図を訪ねて
 大正元年と3年、それに昭和9年の地図を紹介。この地図は実測ではなく、いわば略図だが、道路の有無、建物の位置、地名の変遷などが読み取れ興味深い。

地図1 大正元年


 鉄道が今の長井駅あたりまで引かれているが、まだ駅の表示がない。長井小学校は現在の駅前、中村餅屋さんあたりにあった。しかし、駅前通りの道路新設のため移転を余儀なくされ、大正3年に解体され、子供たちは寺などの施設に分散して授業が行われたという。当時は、宮と小出地区は何かにつけ競争していたので、学校や駅の場所の選定にはいずれ紛糾したと伝えられている。
 地図上の破線は宮と小出の境界線で、かなり重要な意味を含んでいた。ちなみに現在の栄町は当時は地図にも表記されているように町堺の意味の「境町」という地名をあてていた。ついでに、ところどころ道路を横断するようにギザギザ線があるが、町の境界線を指している。この部分を丁切り(ちょんぎり)と呼び、獅子舞いがここを通過するときは今でも特別な振りをするところがある。

地図2 大正3年


 
この地図は、長井まで鉄道が開通した大正3年11月15日、その記念に印刷されたものだ。ここに載っている小学校の位置は、現在の神戸食堂さんの付近だが、このとき小学校はまだ建築中で、校舎は翌年の大正4年4月に完成した。しかし、2年後の大正6年5月23日に発生した長井大火のため、類焼してしまうという、とても不運な校舎だった。斜線が引かれている部分は、家屋が密集している町だとすると、駅前通りは長井線開通を当て込んで短期間で建物ができたことになる。
 さて、駅の名前が「長井ステーション」となっている。そもそも駅という字は、旅人や荷物を運ぶ馬の中継地のことで、馬は尺取虫のように荷物をリレーして、引き継いでいく、という意味で「馬+尺=駅」となる。だから、駅という名前もまだ生きていたので、それと区別するために、鉄道の方はステーションとか停車場と呼ぶのが普通だった。ちなみに「駅伝」は走者が馬、人や荷物はタスキ、そうやって物を運ぶのが駅伝、と考えるとわかり易い。(ただし、ランニングの駅伝の公式命名は大正6年が最初という。年を経て駅伝の名は、今や国際語になっている)そのことからいえば、このごろちまたの「道の駅」という呼び名は、かなり久しいリバイバルだ。


地図3 昭和9年

 昭和9年発行の「長井町要覧」に載った長井町略図。この年は鉄道が長井まで開通し、同時に電灯が灯されて20年という節目の年で、その記念に印刷されたものだ。しかし、時世、昭和5年に起こった世界恐慌が日本にも波及し、またこの年東北は大冷害で稲も実らなく、世情も日ごとに軍国主義に向かうという暗い時代だった。町では凶作のための雇用対策に土木工事を企画、現在の百間道路(北台水上線=線路から百間:182メートル西に、線路に平行して造られた道路)の工事が行われた。
 地図では駅西の部分が点線になっている。長井小学校は現在の場所にあり、新しく切られた今の四釜ガソリンスタンドから東も堤防までの道路は、「桜堤防道路」と名前がついている。桜堤防とは、大正時代はじめ、大正天皇即位を記念して、最上川の堤防沿いに桜を植えたことからの命名だ。現在は使われていない「高砂町」「尾上町」などの町名も見えて興味深い。さて、この地図では丸数字で私設名が記されている。表記の分を記した。
①宮公園(あやめ) ②県立長井高等女学校 ③郡教育会館 ④郡農会 ⑤長井土木出張所 ⑥長井十日町郵便局 ⑦長井税務署 ⑧長井繭市場 ⑨長井停車場 ⑩常設菊水館 ⑪両羽銀行長井支店 ⑫長井警察署 ⑬長井公立病院 ⑭長井町役場 ⑮長井町営電気部 ⑯長井登記所 ⑰長井郵便局 ⑱郡是製糸場 ⑳長井演芸館 21 小出松ヶ池公園(つつじ) 24置賜織物同業組合 26山形県蚕業取締長井支所 27常設常盤館 28長井農業倉庫 29長永館製糸場 30羽前銀行長井支店 31山形県太陽自動車学院 32長井小学校



明治から平成まで 郡役所かいわいの歴史
■明治4年    宮村大字大町のあおそ蔵を藩庁から借りて宮学校創始(郡役所東)
■明治6年2月 小出村本町に啓蒙学校創立。
■明治9年6月 天皇、東北地方巡幸に出発。大久保利通が巡幸の先発として5月23日東京を出発。この日米沢から成田村佐々木宇右エ門の製糸業視察、後6月12日最上川を舟で下り庄内に向かう。菅原白龍接伴役に。
■明治10年2月 宮村警察出張所を宮村警察署と改称。
■明治11年7月 郡区町村編成法発布。
■明治11年8月 西置賜郡役所工事着工(当初区役所建設の予定だったが、中途で郡役所に変更)、同年11月落成。
■明治11年11月 23日から29日まで郡役所一般公開。
■明治11年12月 1日竣工から大正14年6月30日まで48年間、西置賜郡役所として使用。
■明治15年12月 長井―荒砥間の郡道(東街道)竣工。同時に「長井橋(木橋)」完成。
■明治15年    有志の献金により小出電信分局設立。町中に電信柱が立ち、電線がはりめぐらされた。


■明治15年     宮小出学校創設、後に平章(へいしょう)学校と

  
■明治19年11月  白川橋(木橋)竣工。
■明治20年7月  小出の横山孫助三由軒製糸場を創業。
■明治20年7月  宮村に初めて象の見世物かかる。


■明治21年6月  長井大橋竣工(元伊佐沢橋のところ、長さ90m、幅3.6mの木橋)。橋賃を徴収する。
■明治22年3月  小出郵便局と同電話局が合併して、4月1日から長井郵便電信局となる。
■明治22年4月  1日。市町村制が施行、第1次町村合併が行われた。現長井市域の町村合併は、長井町、長井村、西根村、平野村、豊田村、伊佐沢村(当時は東置賜所属)。
■明治22年6月  15日、野川大洪水、平野の締切堤防決壊する。
■明治22年9月  1日、日本鉄道上野―青森間全通。
■明治29年9月  1日、長井町小出に松ヶ池公園創設。



■明治31年5月  24日、南宋画家菅原白龍東京で没(66歳)、郷里の正法寺に埋葬。
■明治32年5月  15日、福島―米沢間に鉄道開通。
■明治32年7月  19日、西置賜地方大洪水。
■明治33年4月  21日、鉄道赤湯駅まで開通。
■明治34年4月  11日、鉄道山形まで開通。
■明治34年    宮公園に本格的劇場偕楽館創設。
■明治43年    宮公園下、金田勝見が経営する茶屋の脇にあやめを植えた。あやめ公園の創始。

■明治44年10月 西置賜郡会議事堂、郡役所の北隣に竣工。
□大正3年11月  15日、長井線長井まで開通。同時に長井に電灯ともる。


□大正10年3月  31日山形県長井実科高等女学校創設、長井小学校に併設。
□大正13年12月  9日、伊佐沢の久保ザクラ国指定文化財になる。
□大正14年9月  1日、県立長井高等女学校、高野町に新築完成、10月30日竣工式。
□大正14年6月31日~昭和17年7月1日 郡役所は県及び中央官庁等の出先機関の事務所に転用使用。
◇昭和4年3月  10日、長井税務署、現在の場所に新築移転。
◇昭和6年12月  12日、長井橋・長井大橋同時開通。
◇昭和6年12月  30日、撞木橋開通。
◇昭和17年7月1日~57年3月31日  旧郡役所を西置賜地方事務所として使用。
◇昭和29年11月15日  長井町、長井村、西根村、平野村、伊佐沢村、豊田村が合併し、長井市となる。
◇昭和34年春  旧郡会議事堂を市で買収する。4月1日から中央公民館と市立図書館として機能する。
◇昭和43年7~8月 旧郡会議事度解体される。(のちに西置賜建設事務所が建つ)図書館と公民館は、一時女学校へ移転。
◇昭和43年12月  女学校跡地南西に長井市ベビーホーム建つ。
◇昭和44年7月   長井市立図書館が女学校跡地北の建物で開館する。
◇昭和46年      女学校跡地北西側に長井市青少年ホーム建つ。現置賜西庁舎体育館。
◇昭和55年3月15日 旧女学校解体される。中央公民館は市民文化会館に移る。
◇昭和55年12月6日 鶴岡高校教諭大沢力氏が旧郡役所を調査、報告書を受ける。
◇昭和56年6月  白つつじ公園内に長井市立図書館完成。
◇昭和57年3月23日 西置賜合同庁舎完成。
◇昭和59年6月21日~平成1年5月10日 長井ダム工事事務所として使用。
◇昭和61年1月29日 文教の杜構想委員会へ市長から文教の杜の整備構想について諮問、翌年1月、残された歴史的建造物はそのまま活かして整備する旨答申。
◆平成1年8月  現大町公民館西にあった旧建設業会館を解体。
◆平成2年~  長井市に寄せられた民俗文化財資料の収納庫として使用。
◆平成4年3月28日 旧西置賜郡役所と旧桑島眼科医院が市指定文化財になる。
◆平成7年11月8日 強風のため旧教育事務所の屋根が吹き飛ばされ、後解体される。
◆平成10年2月20日  文教の杜B区の用地の一部売却予定が、議会からの要請で反故になる。
◆平成12年3月  歴史的建造物保護研究会から「旧西置賜郡役所改修調査委託業務報告書」受ける。
◆平成15年5月9日  文教の杜丸大屋敷の建物が県文化財となる。


◆平成15年8月30日  改修のため旧郡役所内に収納されていた民俗資料の整理に着手。
◆平成15年9月  あおそ門改修される。
◆平成16年5月11日  改修工事竣工報告会を開催。のち5月16日まで一般公開。
◆平成16年6月26日  郡役所、桑島記念館周辺でランタンマーケット開催。
◆平成16年110月16日~17日  郡役所前でアートセッションin登城町を開催。
◆平成17年3月28日  旧郡役所の愛称「小桜館」に決まる。

※最初の写真は、昭和2年、長井駅の北側に創設された「太陽自動車学院」
 

2013.09.05:n-old:[歴史的建造物]