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長井市 広報マンが写した半世紀 Ⅰ

  • 長井市 広報マンが写した半世紀 Ⅰ
 昭和291115日、長井市が誕生した。往時の広報マンが記録した写真が、ここ文教の杜に収蔵されている。コマ数にして2万枚。その中から昭和30年代の暮らしと町の風景をこれからシリーズ10回で紹介。
(提供:文教の杜ながい/長井市/小口昭氏)

市消防訓練 ホースから出てくる噴水は 子供にとって絶好の遊び材料だった 長井駅前で(昭和29年)


■駅伝大会 町村合併1周年記念で開催された各支所めぐりの駅伝大会 西根チームが優勝した (昭和30年11月)


■橋が流された 野川橋は昭和30年代に再三流された (昭和31年7月)


スキー大会 豊田地区八ヶ森スキー場で開かれた もちろんスキーウエアなどは無かった (昭和32年2月)
 


■中央十字路 正面の建物は残っているが電報電話局は無くなった 自転車の男の法被にはローマ字が


■板塀のビラ 選挙や映画のビラが貼られた板塀 町の美観など気にしない時代だった (昭和33年5月)


■交通事故 タンクローリー車の横転事故 場所は不明 (昭和33年7月)


■申し合せ事項 豊田地区での張り紙 文面は明瞭そしてうまい字だ (昭和34年1月)


初売り 中央地区本町の初売りの様子 この年の正月は雪が少なかった (昭和35年1月2日)


■南長井駅 市民の希望がかなった南長井駅の新設 (昭和35年5月20日)


■少年相撲大会 あやめ祭りにあわせて相撲大会が開かれた場所は總宮神社境内 (昭和35年7月3日)


■七夕飾り 市内目抜き通りで七夕まつりが行われた 本町 (昭和35年8月)


■婦人消防隊 出稼ぎで男手が少なくなり婦人消防隊が結成された 大石 (昭和37年2月)


■郷土力士 成田出身の相撲力士野形山のち羽前山の里帰り そして後援会が結成された (昭和35年)


■成田の水害 昭和30年代時々洪水に見舞われた 家並みは大内宿を彷彿とさせる (成田県道)


■大雪 この後未曾有の大雪に見舞われるも除雪排雪は進んでいなかった 大町(昭和38年2月)


■長井おどり 長井ブルースと長井盆唄が発表され 記念の長井おどりパレードが行われた (昭和38年8月16日)


■横断幕 交通安全の横断幕 豊田小学校付近 まだヘルメットは義務ではなかった (昭和38年8月)


■渡り初め 何度も洪水で流された野川橋 ようやく永久橋ができて晴れての渡り初め (昭和33年3月21日)


■移動図書館 いなほ号 市長用車のジープを転用して使っていた (昭和39年4月)


■昼前の中央十字路 通行人もまばらな四辻 自転車が真ん中をゆっくり走ってゆく (昭和33年)


■大相撲長井場所 一日限りの大相撲 大鵬の姿が見える 長井小学校グラウンド (昭和39年7月)


■旧郡会議事堂 旧西置賜郡役所の北にあった建物 市立図書館置賜教育会図書館に使われていた 昭和43年7月解体 (昭和35年頃)


■ドアがない なぜかドアが持ち去られた電話ボックス 小出地内 (昭和39年8月)


■ラジオ体操 夏休み早朝のラジオ体操 子供の数にびっくり 大町税務署前 道路上だ (昭和36年8月)


■長井専門店会招待音楽会 会場は長井中学校体育館 (昭和33年5月)


■公立病院 大町にあった市立病院正面は西向きだった 昔の地図にこの辺を高砂町と記入 (昭和30年代前半)


■体育館工事 長井体育館の工事中の写真 長尺のトタン板の長さに驚く 完成したのは昭和40年4月 平成25年には建て替えられた


■市庁舎建設 昭和33年春に着工した市庁舎 8月23日完成 建物の堅牢さはたいしたものだ 


■日本体操祭 長井小学校で開かれた大会 写真はバトンを使ったマスゲーム (昭和31年5月13日)


■ヘリコプター ダムの工事で来ていたヘリをチャーター しばし鳥の目で写した (昭和31年5月


■遍照寺と野川橋 昭和11年まであやめ公園東の道路が成田の道と橋でつながっていた (昭和31年5月)



■大町上空から北 現在の緑町は一面田圃 十日町には面影が残る建物もある (昭和31年5月)



■幸町上空から東 道路の向こうに十日町郵便局が見える この道路工事で宮遺跡を発見 (昭和35年5月)



幸町から南方 中央が東京電器 左下が幸町住宅 右に長井中学校体育館が見える (昭和31年5月)
2013.08.01:n-old:[歴史的建造物]

長井 丸大扇屋 ガラス瓶物語

  • 長井 丸大扇屋 ガラス瓶物語
300年をこえる歴史を持つ町屋・丸大扇屋。そこに息づくガラス瓶にも深い歴史を感じる。そのコレクションを紹介します。
〔資料提供:文教の杜〕




インク瓶 サイエンスインキ  昭和  木製のふたが付いている。



食材瓶 トマトケチャップ  昭和初期 「愛知県ソース工業会員 
愛知県知多郡八幡町深谷藤太郎」の名前が見える




食材瓶 マヨネーズ10g入り 昭和初期 大正8年に食品工業(株)設立、
大正14年マヨネーズ製造開始、昭和32年に会社名をキューピー(株)に。
マスコットのキューピーのデザインはほとんど変わっていない。左手で瓶を
持ち、右手でスプーンを持ってすくい取る、持ちやすく滑らないようにデザ
インされた姿は美しくもあり見事 KEWPIE BRAND Mayonnaise  Sauce 

  
     
   
薬瓶 時代不詳

   
 
丸瓶 時代不詳 底に菱にFSのマーク

 
   
薬瓶 時代不詳 脇に目盛、気泡が多く入っている。器形が美しい

 
   
角瓶 時代不詳 底にNのマーク

 
   
丸瓶 時代不詳 底にス3号の文字


   
丸瓶 時代不詳

 
   
丸瓶 時代不詳 底に2410の文字


   
牛乳瓶 時代不詳 「全乳 十八竕(デシリットル)」の文字

 
   
丸瓶 時代不詳

 
   
薬瓶 時代不詳 「ヘルプ 定僭金参拾銭」の文字

 
   
目薬瓶 時代不詳 EYE LOTION ROHTOの文字

 
   
目薬瓶 大正時代 「池田模範堂」の銘。ムヒが有名
 
 
   
薬瓶 大正時代 六角 「博盛堂 一滴奇効 精神薬 健胃腸」の文字

 
    
薬瓶 梅干精 時代不詳 表に「梅干精/専売特許/携帯至便/陸軍糧秣
廠買上」。裏に効能書き。 ※糧秣(りょうまつ)軍隊で兵の糧食と馬のまぐさのこと


   
 
   薬瓶裏の効能書き

   
 
椿油瓶 時代不詳 東京井善製 
和洋折衷のデザインが美しい 商品名は「為徒々油(いづつあぶら) 井善は
有名なみずあぶらの店だった


   
 
   椿油瓶ラベル

   

 
薬瓶 昭和初期 桑島眼科醫院(長井市)の銘

 
   
薬瓶 時代不詳 無名

 
   
養毛剤瓶 昭和初期 ワカミズという養毛剤 大日本雄弁會講談社を社名
にしたのは大正14年からで、講談社に社名変更したのは昭和33年。講談
社で養毛剤を売っていたとは驚き 瓶やレッテルのデザインもなかなか洗
練されている


 
 
薬瓶 時代不詳 吉川醫院(長井市)の銘

 
   
日焼け止めクリーム瓶 大正時代 レッテルは水着姿の女性の図に文字の
全てが英語で書かれている 「WEATHER OIL A PERFECT 
SKIN OIL FOR ATHLETES. USEFUL FOR SPORT 
ALL YEAR ROUND THE HILL PHARMACY 
TOKYO YOKOHAMA」


 
   
   クリーム瓶ラベル

   
 
ジュース瓶 昭和20年の張り紙があり終戦間際に作ったおとぎり酒が
入っていた 裏にリンゴジュースの効能書きがある 製造は山形県小松町
(現川西町)大武工業謹製とある



2013.07.31:n-old:[歴史的建造物]

長井 丸大扇屋建物物語

  • 長井 丸大扇屋建物物語
丸大扇屋は300年前から代々呉服商を営んだ商家です。長井は京都や大坂との舟運による交易で栄えました。昔の町屋の様子は、時代と共に変わり、当時の姿を残しているところは大変少なくなりました。そんな中、幕末から明治、大正にかけての昔の様子を残す丸大扇屋は、貴重なものとして平成3年、市の文化財に指定され改修工事を行い、平成15年には県指定の文化財となりました。
ここでは、それぞれの建造物について概要を案内します。
(資料提供:文教の杜ながい)


店①  嘉永元年(1848)の棟札(むなふだ)が残っている。この棟札は、建物を造営するときに、おはらいのために記したもので、板の札に建造年号や棟梁(とうりょう)の名前などが記録されている貴重なもの。

 店は舟場から宮の町の中心部に通じる主要な道路に面している。別の記録には西暦1818年、店から出火して母屋まで類焼したとの記録がある。そのために建て替えられか、すでにどこかにあった建物を移転して使ったことも考えられる。
 平成の改修工事では、一部分が戦後ガレージに改造されたものを、店の様子を復元。全体を7cm嵩上げし、コンクリート瓦だった屋根を焼瓦に葺き替えた。



店の内部




店蔵②  嘉永元年(1848)の棟札が残っている。建造以来ほとんど改造していない。全体的に沈下が見られるが、強度、構造上に問題はないようだ。この建物は、商品の呉服類をしまっておく蔵だった。また、店と店蔵は隣接しているというスタイルは、他にも良く見られる。平成の工事では屋根のトタンを葺き替えた。

店蔵と店の間に母屋への入り口がある

 
 

母屋③  明治23年(1890)の建造と記録が残っている。囲炉裏(いろり)のある板の間は、建造当時は土間だったものを、数度にわたって板敷きにして、また裏縁はのちに増築したものだ。これらは、柱の傷や解体して調べてわかったものだ。天井裏の柱にその当時の大工さんの名前が書いてあり、新蔵を建てた棟梁の名前もあった。平成の改修工事では、できるだけ昔の姿に復元し、公開されている。




囲炉裏の奥に台所が見える


母屋の帳場箪笥と帳場格子


ダイドコ  入り水  


上段の間  欄間もすばらしい


内蔵④
  この蔵は棟札がなかったが、幕末の建造と思われる。おもに日常の生活に使う道具をしまっておいた蔵だ。平成の改修では西側に土台が15cm沈んでいたが、これ以上の沈下がないと思われるので、床だけを平に張り替えた。一階のみ展示室として公開している。

内蔵の外観

 

新蔵⑤  明治31年(1898)の建造で、四棟の蔵で一番新しい。一階は蔵座敷に、二階は書籍や家財道具の収蔵に使われていた。蔵のつくりも完成度が高くなった時代で、建造当時からほとんどくるいや傷みがなかった。構造材、床板、壁板はほとんどクリを使っている。一階は蔵座敷を復元、二階は展示室となっている。

新蔵の外観


味噌蔵⑥  天保3年(1832)の棟札がある。ここの蔵で一番古い年号。柱のほとんどが根継ぎ(腐った部分を新しい柱で継ぐこと)をされているので、この蔵もかつて大きな修理工事があったか、他から移転されたものと思われる。一階の北側は土間になっていて、味噌や醤油を作るところだった。南側と二階は農具などを入れておいたようである。現在は歴史史料の保管収蔵に使っている。

 中央が味噌蔵


東南からのぞむ
 

新座敷⑦  図では②⑤⑥の蔵の東側が、直線に並んでいるが明治の終わりごろに敷地を東に拡張した。そこに建てたのが離れの新座敷で大正2年(1913)の建造である。まるごと一つの山の木を吟味して、材料を集めたといわれている。床下も高く、空気が流れ建物を長持ちさせている。

 

長沼孝三彫塑館⑧  ここで生まれ、東京で活躍された彫刻家長沼孝三氏の作品を紹介する美術館で、平成4年(1992)に新しく建ったもの。まわりの歴史的な建造物になじむように外壁の素材を選んでいる。彫塑館が建つ前は、ここは畑だった。

 

籾み蔵⑨  籾(もみ)や藁(わら)などを入れておくもので、板蔵とも呼ばれている。建造年は不明だが、大正以降に解体移転して持ち込まれたものである。


 

2013.07.30:n-old:[歴史的建造物]

長井 丸大扇屋物語

  • 長井 丸大扇屋物語
  舟運で栄えた長井そして幕末から明治にかけての京文化ただよう町屋のただずまい・・・・・。旧長井町の北部十日町で、古くから反物商を営んだ丸大扇屋の建物群が平成15年5月、県指定文化財となりました。町屋の歴史を年表と写真で紹介します。(資料提供:文教の杜ながい)
 
 丸大扇屋の建物が、平成15年5月9日、県の文化財に指定されました。古くは天保3年の年号が書かれた祈祷札(きとうふだ)が残る味噌蔵から、大正2年に建てられた新座敷まで全部で7棟です。指定に当たり建物を調査された東東北芸術工科大学の宮本長二郎教授は、「丸大扇屋は創立以来の由緒が明らかで、屋敷構えは大正3年以前の豪商の姿を伝え、その後の増改築が少ない点でとても珍しいものです。また母屋以下の各建物は、建設された近世・近代の各時期の先進的な様式技法を示し、伝統的な木造建築の近代化の課程を追うことができる点で、学術的に貴重で、意匠的にも優れている」と調査で述べています。

  これらの建物は、これからもふるさとの宝として、後世まで伝え、生涯学習やまちづくりに活かしていこうと思います。また、市内には市民運動で残ったものを含め歴史的建造物が多く残っています。これからもまちの顔として大切にしたいものです。


北口(風間書店側)から中に入ると、左に店蔵、右に店、前方右に母屋、正面にに新蔵(座敷蔵)があり、またたく間に時代を逆戻りしたかのようだ。


母屋正面の庭は、舟運でバラスト(舟を安定させるための底荷)代わりに積まれ運ばれた雲州(うんしゅう、島根県東部)灯篭が四基ある。庭の造りにも京文化の影響が随所に見られる。一番大きな石は、市内西根川原沢産の白い石で苦労して運んだ話が伝わる。



店と店蔵の間から屋敷に入る。間口が狭く奥行きが長い地割は京都風の影響だ。隣の新町、小出のあら町にも見られる。

 
味噌蔵は何度も修繕、あるいは材料が再利用された跡があり、棟の下の牛梁(うしばり)などの様式から18世紀までさかのぼるだろうと推測される。この建物は市内の古文書、歴史、教育資料を収蔵している。


母屋(おもや)の帳場箪笥(ちょうばだんす)と帳場格子(ちょうばごうし)、当時の家具や食器類もそのまま残っているのは貴重だと評価された。


母屋の前の雁木(がんぎ)造り、新潟県など雪国に多い構造だが、通りに面していないのは、珍しい。
 
 
丸大扇屋の

1640(寛永17年)このころ初代長沼忠兵衛が椿(現飯豊町)から宮へ出、店を構える。初めは荒物、紙など商う。
1694(元禄7年9最上川舟運、宮まで開通
1711(正徳元年)青苧、生糸、真綿を仲介
1757(宝暦7年)宝暦の大水
1764(明和元年)丸大扇屋と称する
1785(天明5年)天明の飢饉
1800(寛政12年)この頃から木綿、古手、糸、綿などを商う
1818(文政元年)店から出火、母屋も焼失
1832(天保3年)味噌蔵にこの年の年号が記された棟札が残る
1836(天保7年)天保の飢饉
1844(弘化元年)7代目忠兵衛宮村肝煎になる
1848(嘉永元年)店、店蔵にこの年の年号が記された棟札が残る
1862(文久2年)十日町に市神の石塔立つ
1889(明治22年)小出村と宮村が合併、長井町となる
1890(明治23年)第3回内国博覧会に長井紬出品
母屋を建造
1898(明治31年)新蔵を建造
1913(大正2年)新座敷を建造
1914(大正3年)赤湯・長井間鉄道開通
1920(大正9年)生糸織物株価大暴落
1930(昭和5年)世界恐慌日本に波及
1934(昭和9年)東北大冷害
1944(昭和19年)東京江戸川区の学童疎開受け入れる
1945(昭和20年)太平洋戦争敗戦
1954(昭和29年)長井市誕生
1988(昭和63年)丸大扇屋を市に寄贈
1990~1991(平成2~3年)全体の改修が行われる
1991(平成3年)丸大扇屋が市指定文化財に
1992(平成4年)長沼彫塑館開館
1995(平成7年)丸大扇屋資料館として公開
1997(平成9年)山形経済同友会から景観デザイン賞を受ける
2003(平成15年)丸大扇屋が県指定文化財に
 
2013.07.29:n-old:[歴史的建造物]

長井市  広報マンが写した半世紀10

  • 長井市  広報マンが写した半世紀10
 昭和291115日、長井市が誕生。往時の広報マンが記録した写真が、ここ文教の杜に収蔵されています。コマ数にして2万枚。その中から昭和30年代の暮らしと町の風景を紹介します。
(提供:文教の杜ながい/長井市/小口昭氏)


■木の松川橋  伊佐沢村松川橋開通は大正4年10月25日  下伊佐沢と西大塚を結び後 昭和23年9月15日の台風で流失した  (昭和34年)



■オーディオ時代到来  毎月2000円払い込みでサウンドをお楽しみくださいと売り込み  オーディオライフの到来  左と右が違う音に感激  (昭和39年)



■新装長井市立病院  一部改築工事が完了し近代的な病院となる  前身は昭和14年一町五カ村連合伝染病院  昭和29年に市立病院となった  (昭和37年2月)



■ワンちゃんも遊ぼ  大八車は大人八人分の仕事をするからだと  犬にリードをつけなくても仲良く一緒に 
 


■面子 パエンコをしている  パッチンとも  坊主頭にゴムの短靴(たんくつ)ズボンにシキシアテをしている  後ろにはウコギ垣が見える  (昭和39年春)



■慈愛の像の除幕  うららかな春の日  長沼孝三作「慈愛の像」が母校長井小学校に建つ  後に「慈愛」は校是に  慈愛の像の土台石は元々校庭にあったものを上下逆にして利用  上より下が短い  (昭和32年5月3日) この像が建つ前は、昭和15年建立の二宮金次郎ブロンズ像があったが、昭和18年の金属回収令によって応召し取り除かれてしまった



■長井町役場  昭和29年11月15日に一町五カ村が合併長井市が誕生する  役場は後に除きゃくされた  胸像は横山孫助像  現在は白つつじ公園に 


 
■大石分校  伊佐沢北部大石地区にあった分校  1年から3年生がここで学んだ  昭和40年12月1日に廃止となり その後スクールバスで伊佐沢小学校に通った  (昭和32年)



■自転車隊  雪消後の好日に勢ぞろい  自家用車を持つことなどまだまだ遠い時代だった  堤防の上はもちろん砂利道



■市議会議員記念写真  長井土木出張所(現小桜館)前で  昭和29年の町村合併で市議会議員89人に  昭和30年5月5日の第一回市議会議員選挙まで続く  (昭和30年春)



■天上川  増水のため地区民出動  羽田市長が見回り  (昭和34年)



■被災地への支援物資  太平洋沿岸を襲ったチリ地震津波  昭和35年5月24日  被災地へ支援物資を送るため受付場所となった市役所  (昭和35年)



■津波を報じた新聞  めったにない大きな地震と津波の被害を各紙一面で大きく報じた  (昭和35年)



■のど自慢  NHKあやめのど自慢  長井中学校体育館で開かれた  (昭和39年6月)



■あやめの宣伝バス  旧山形県庁前  あやめ祭りのPRをとボンネットバスに幕を張り福島と仙台にも出動  (昭和35年)



■相撲巡業長井場所  千代の山第14代横綱  長井小学校グラウンドで郡是・東芝・組合製薬の提供  市役所新庁舎の地固めも (昭和31年6月16日)



■七夕飾り  本町商店街の七夕祭り  それぞれのお店で飾っていた  さぞかし時間と経費がかかったろう  賑やかだ  (昭和35年)



■県大会報告パレード  長井中学校野球部が県大会準優勝  体操などを含めると長井が総合優勝した  長井南高等学校から長井市役所まで凱旋  (昭和39年夏)



■中央商店街  長井の中心部の商店街  多くの看板と消防署の火の見櫓が見える  (昭和39年7月)



■豊田泉保育所  宝光院  養蚕農作業などで親は多忙だった  特設の滑り台で遊んでいる  季節託児所とも呼んだ  (昭和35年頃)



■成田出身の野形山  二段目まですすんだ  市長室で羽田市長と握手  (昭和34年)



■草履つくり  豊田の島貫さん冬仕事で草履つくり  そばにはニワトリの餌がある  (昭和39年)



■長井町商店街主催  三橋美智也ショーが長井中学校体育館で開かれた  レコードA面に長井盆歌 B面には大津美子の長井ブルース  レコード発売は昭和38年  (昭和34年)



■洪水  河川改修もままならず大雨が降ると水増しはつきものだった  手前の並木は川岸補強のためだが秋には稲杭のかわりに  (昭和33年)



■長井家畜診療所  田の害虫駆除防除は稲作に欠かせない  この頃から背負い式の機械が登場した  (昭和32年)



■体育館でコンサート  長井南高等学校講堂でソプラノ歌手大谷洌子コンサートが開かれた  音響は素敵だった?  この4年後の昭和34年には新体育館が建った  (昭和30年秋)




■県美展巡回展  会場は中央公民館(長井北高校講堂)で開催  このときの日本画県展最高賞は高内桂司さん彫刻は金田義宏さん  前売り大人50円当日は70円だった  (昭和39年9月15~17日)



■田んぼの絵描きさん  この時代絵描きがスケッチしている光景は珍しかった  ちびっ子ギャラリーがいっぱい  (昭和36年秋)



■公共事業  戦後失業者の雇用対策でいろいろな公共事業が行われた  場所は高野町の側溝工事  (昭和30年秋)



■祝瓶山のつり橋  つり橋を渡るにはコツがいる  おまけに下が丸見え  渡ったあとは不思議な達成感が  (昭和39年)



■公明選挙かかし  この一票売るまい買うまい誘いまい  選び方一つで決まるよい政治  幸せを築く力だこの一票  あやめわんぱく隊出動  (昭和32年)



■ダットサンイズミヤハイヤー  場所は長井駅前  あれ?サイドミラーがない  (昭和34年)



■袋飛び  致芳小学校の運動会  米を入れた麻袋を使っての競争  どこでも定番の競技だったが今は見れなくなった  (昭和39年9月)



■牛乳給食  育ち盛りの中学生の体位向上のためにと10月7日から市内5校で牛乳給食が始まった  子供たちには評判が悪かった脱脂粉乳からの開放  (昭和38年10月)



■仮想山車行列  山形県畜産品評会  長井小学校235点出品中央十字路など目抜き通りで行列  自家用車もまだ少なく町行く人も多い  山交バスはいつまで待っていたのか  (昭和32年10月19日~21日)
2013.07.18:n-old:[歴史的建造物]