長井まち歩き物語2 長井駅
ゆっくりと まちなみに ふれてみませんか・・・・・
魅力あふれる 深い建物を醸し出す風景に 足を運んで下さい
(資料:長井市史、神奈川大学工学部建築学科 西和夫 長井市歴史建造物調査報告書、文教の杜・昭和11年長井町町要覧)
現在の長井駅は昭和11年に
長井駅は、長井軽便線として大正2年に赤湯・梨郷間が開通、翌大正3年に長井まで延伸され開設されました。開業当時の駅舎はその後、大正14年3月に拡張し大正15年には乗降所上屋を建て、更に昭和11年3月の改築となり、その駅舎は現在まで多くの方々に利用されています。
停車場の絵葉書 年代不詳
人力車が 年代不詳 長井市史から転写
開業時の様子 長井町始まっての人出で、駅前通りは身動きもできないほど 南側に開通に合わせて二、三の建物ができたが、北側は一面の田圃 ゲートには「祝開通」の文字 長井市史から転写
昭和11年7月7日発行 長井町要覧から 新装オープン後の写真 「長井駅」の文字がない
昭和40年代初期 多くの通勤通学者が
現在の駅舎
現在 西側から撮影
長井駅本屋は、木造平屋建て、屋根切妻造り、車寄せ部分から待合室部分に棟方向を変えた切妻屋根を載せています。北側の外部空間は昭和25年の増築。西側の庇(ひさし)空間は現在壁ですが、かつては外部でした。
構造はトラス構造(三角形を基本単位としてその集合体で構成する構造体)。線路寄りに下屋。外壁は縦羽目張り、上部はモルタル漆喰仕上げとなっています。内部の壁は漆喰仕上げですが、一部ボード張りになっています。天井はボード、四隅に空気抜きがあります。床はモルタル仕上げ、目地を切ってあります。腰壁は板張り。柱は4寸角で、設計はメートル制です。
待合室は、当初の空間を良好に保っています。腰掛は一部当初のままですが、一部は畳を敷いて奥行きを広げています。
待合室の南に事務室がありました。現在は、「ギャラリー停車場」と「山形鉄道窓口」として活用されています。車寄せ部分は、位置は当初のままだが、鉄骨を使うなど、近年の改装が加えられています。コンコースは昭和11年の図では待合室からすぐにホームに出ていましたが、昭和25年に本屋の北に増築して改札口を設け、現在はさらに昭和11年の旧位置にコンコースが戻っています。
昭和11年建設とする図が現存。沿線住民から長く親しまれており、長井の歴史・発展を伝える上で欠かせない建物です。
長井駅ホーム
開業当初のプラットホーム 軽便機関車の長い煙突が見える 機関車の左にホーム ホームの左に駅舎が見える 長井市史から複写
長井駅1、2番線ホームは、長井駅本屋の西面に線路を挟んで位置します。ホームは、木造平屋建て、屋根切妻造り、鉄板葺き。妻部の上部を縦羽目で隠しています。構造は斜材を用いる独特のもの。斜材の上が当初材です。ボルトの大きさも斜材の上下で違います。設計は、梁(はり)10尺、桁(けた)15尺の尺寸法でつくられ、柱は5寸柱の角材。部材は全てペンキ塗り。
年代を明確に示す史料はありませんが、寸法がすべて尺寸で設計されていること、様式技法から判断して、建築年代としては大正期と考えられます。
斜材を用いる独特な構造の小屋組と柱からなる連続的な外観が、往時の鉄道景観を今によく伝えており、貴重です。
現在のホーム 小屋組みが見事だ
ホーム全景
当時の官舎が残る
当時の小屋も残っている
長井まち歩き物語1 長井市立長井小学校 第一校舎 木造校舎
ゆっくりと まちなみに ふれてみませんか・・・・・
魅力あふれる 深い建物を醸し出す風景に 足を運んで下さい
(資料:長井市史、神奈川大学工学部建築学科 西和夫 長井市歴史建造物調査報告書、文教の杜)
長井市立長井小学校第一校舎 木造校舎
長井小学校は、市内6校のうち最大規模の小学校です。少し長井小学校の歴史に触れてみましょう。
現在の長井小学校第一校舎
4回も建て替え 火災にも
明治5年の区学校を始まりに、啓蒙学校、小出小学校・宮小学校と経て、明治15年に小出小学校と宮小学校を統合して「平章学校」となりました。これが長井小学校の前身です。最初は、現在の長井駅前通りの中村循環器科医院あたりにありました。その後、鉄道敷設によって長井駅が大正3年に開設されましたが、駅から東へ新道を切ることになり校舎を移転させることなります。大正4年5月に竣工した第2期の小学校の場所は中央十字路東のココス付近。ところがその2年後の大正6年5月23日に大火にあい、全焼してしまいます。
昭和8年に現在の場所に開校
建設当初は田圃の中。樹木も少ない。
そして昭和8年、現在の場所に長井町立尋常高等小学校としてスタートするわけです。「長井小学校」と改称されたのは昭和22年。当時現在の第一校舎と同じ木造校舎が3棟並んでいたが第2校舎が昭和45年に、第3校舎が昭和47年にコンクリート造に改築されました。第一校舎は昭和60年から平成元年にかけて改修、外観や内装は当初からほとんど変わらず残っています。規模も大きく意匠も優れ、昭和初期の木造校舎はたいへん貴重です。
現役の木造校舎は数少ない
校舎は、二階建てで平入(建物棟の正面に入り口がある)、切妻造、桟瓦葺き、瓦は赤瓦、一部黒瓦、正面及び東西両端に妻を見せる階段室の張り出しがあります。建築面積は1157平方メートル。全国的に見ても、現役の木造校舎は数が少なく、登録有形文化財として平成21年1月22日に指定されました。
玄関入口部
玄関入口の二階部
校舎に係る年表
明治15年 第一期の小学校創設 宮と小出両村統合の校舎を新築 初めは「宮小出学校」 次に「平章(へいしょう)学校」と改めた
大正元年の地図 中央の長井学校 その西にまだ長井駅がない
明治43年の絵葉書 第一期の校舎が正面に 右側には私立置賜盲学校が
明治20年 小学校令により「長井高等尋常小学校」と改名
明治25年 小学校令により」長井尋常高等小学校」と改名
明治38年4月 実業補習学校が附設された
5回の増築があった
大正2年 東京鉄道局長井軽便鉄道の敷設が始まり、小学校の後ろ(西側へ)八十間の距離に長井駅が設けられることとなり、学校前面の県道の東に3400余坪を買い上げ、大正3年5月起工、翌4年5月に竣工、第二期の校舎ができた。3万8千余円の建設費
大正3年の地図 長井駅ができる 校舎は現本町通りを東に越えて建設
第二期の小学校正面
大正6年5月23日 大火により、第二期の校舎が消失。応急措置として、遍照寺、織物同業組合等11カ所で分散授業。同年同所に、校舎を一部新築
大正7年~8年 同場所に建坪801坪、総経費8万1千円余で新築。第三期校舎。以降、木造2階建て96坪 の教室を増築
第三期の校舎 火災で第二期校舎が焼失したため、いち早い建設を 大正11年当時の写真 長井市史から複写
第二期の校舎建設中の写真 長井市史から複写
児童数の増加により、校舎・グラウンド等の新設を余儀なくされる。現在の場所に第四期の校舎を整備。現在の場所に
昭和7年11月30日 敷地土盛工事
昭和7年12月26日 校舎増築地地鎮祭を行う
昭和8年2月7日 校舎増築工事入札。遠藤茂助と請負契約
昭和8年5月30日 校舎上棟式
昭和8年8月22日 校舎一棟竣工
昭和8年9月8日 校舎移転改築工事入札。青木儀蔵落札請負
昭和8年 新築第一校舎落成
昭和9年6月30日 工事竣工
昭和16年 国民学校と改名
昭和22年 長井小学校と改名
長井市 広報マンが写した半世紀 Ⅳ
(提供:文教の杜ながい/長井市/小口昭氏)
■駅前の歓迎塔 長井駅前の道路ど真ん中に設置 つつじまつりのPRだ (昭和37年頃)
■駅前の歓迎アーチ 消防訓練の一こま 歓迎アーチの左上部にはあやめのネオンサイン (昭和37年頃)
■歓迎ゲート 中央十字路 あやめまつりの臨時歓迎ゲート 市内と近郷清酒の銘柄 (昭和33年頃)
■歓迎ゲート2 アングルをかえて北方を見る 正面には頭殿山 電柱のビラには驚く 作業台もあった
■東京電器への道 昭和16年9月工場敷地の地鎮祭に横綱双葉山を呼んだので通称「双葉通り」と
■東京電器と百間道路 まっすぐに伸びる道は長井線の線路から西へ182メートル離して新設された 通称百間道路と
■野川団地 できてまだ新しい団地 布団や畳が干してある (昭和31年5月1日)
■野川団地2 西根の田圃はまだ耕地整理されていない 耕運や水を引くには苦労していた
■清水団地と野川 この頃は清水町という地名はなく 一本松団地と呼ばれていた
■長井警察署 昭和34年3月完成 ままの上にあった 煙突は石炭暖房のため (その前は現山銀あたりに)
■バイクの運転免許実地試験 場所は現在の長井郵便局南 旧警察署の北隣にあった (昭和34年5月)
■長井南高等学校の体育館 創立40周年を記念して建てられた こけら落としに辻久子のコンサートがひらかれた (昭和34年)
■豊田支所 白川橋付近にあった 昭和32年4月支所から出張所になった
■長井母子寮 標柱に皇太子結婚記念植樹と 旧マルコン電子北東十字路のところにあった (昭和34年)
■ままの上の保育園 長井市保育園は現在の保健センター近くにあり子供の数も多かった
■図書館での長井文化財展 旧郡会議事堂で この建物は中央公民館や図書館に使われた (昭和38年11月)
■県議会議員選挙投票宣伝カー 写真はシリーズ3で掲載した「選挙広報車」を裏から撮影したもの この細工はなかなかのもの 幕は道路に張られる横断幕を流用 スピーカーの台は椅子 あるもので間に合わせた時代だ
■盆踊り大会 長井小学校での盆踊り この様子はNHKラジオで紹介された (昭和31年夏)
■長井の秋祭り自動車大パレード 長井商工会議所主催のパレード
■市役所屋上から 山交バスターミナル 市役所の南にあった バスは庶民の足 屋根の突起は換気口 (昭和34年)
■市役所屋上から 手前が協同薬品の工場 遠方左手に郡是の煙突が見え貴重なランドマークに (昭和34年)
■市役所屋上から 昭和32年7月10日に完成した電電公社の建物が
■市役所屋上から 手前に常楽院 遠くに郡会議事堂の三角屋根が見える 奥は西山大石沢 (昭和34年)
■市役所屋上から 杉木立は總宮神社右手に遍照寺 煙突は長沼酒造と大二醤油店 (昭和34年)
■市役所屋上から 右手に長井小学校のプラタナス 白い建物は長井病院 奥にと場が見える (昭和34年)
■長井小学校体育館工事 右手上に昭和37年完成のプールの土台が見える 体育館は昭和40年春に完成した
■舗装工事 風間書店の西 アスファルトフィニッシャーは無かった 揃いの作業服もない (昭和35年頃)
■館町南の三叉路 看板ビラの多いこと 三輪トラックそういえばありました (昭和33年)
■長井大相撲 大相撲長井興行 郡是・東芝・製薬の提供 市役所庁舎新築地固めで (昭和31年6月16日)
■国勢調査 市制施行後初の調査 この時長井市の人口は3万6千有余人 大事な看板に張り付ける (昭和30年)
■共同募金 赤い羽根運動助け合いの心を倍に これでVサイン (昭和35年)
■白つつじあやめポスター この当時はつつじとあやめが一枚のポスターだ (昭和32年5月)
■白つつじポスター ローカル色が強い ポスターもおもしろいが右側のビラも興味深い (昭和31年)
■花のれん 自分傘と主人?の唐傘を持って 後ろのポスター「花のれん」は昭和34年東宝映画
長井市 広報マンが写した半世紀 Ⅲ
(提供:文教の杜ながい/長井市/小口昭氏)
■田下駄 耕運機で代かきをし田下駄で均し田植えをしている 子供が手伝うため田植え休みがあった
■共同炊事 農繁期のため豊田歌丸本郷地区では共同炊事がおこなわれた (昭和36年)
■託児所訪問 農繁期のため季節託児所を開設 市長さんがキャラメルをもって慰問にやってきた (昭和36年)
■木炭の出荷 暖房や炊事の燃料は薪炭が主だった これは炭の等級分けをしているところ
■造花づくり 致芳森地区では冬になると木で造花を作った 彼岸や盆の墓参りなどに手向けるのに使われた
■米の出荷 農協に集められた米俵 耕運機はその名のとおり耕したり運んだりと大活躍
■冬の堆肥運搬 雪消しの春が近づく頃堆肥運搬が始まる 屋敷の肥塚から牛橇で運ばれた 手伝いだろうか学生服の子供が一生懸命だ
■活字拾い 新聞書籍雑誌の文字は活版といわれる活字印刷だった しかしここ十数年活字は消えた
■金井神の箒づくり 一本一本が手づくりのこの作業は冬仕事 丈夫で長持ちが自慢とのこと (昭和35年頃)
■市章誕生 合併以来永年市章が無かったことから 長沼孝三氏が「私がつくってあげよう」と・・・・ (昭和38年10月)
■消防演習 長井小学校校庭での消防演習 脚半はなかなお目にかかれなくなった 左の建物は第一体操場
■移動健康診断 無医地区診療として検診車がやってきた バスへは桟橋を渡って乗り降り
■健康家庭表彰式 駅前の映画館を貸しきっての表彰式 健康優良児の赤ちゃんが表彰された時代 (昭和33年)
■木地山ダム完成祝賀会 野川第二発電所の完成ともに開催 会場は長井中学校体育館 (昭和36年10月)
■広報板 各地に広報板が設置された それまでは板塀電柱など そこかしこにビラを貼る慣わしだった
■選挙広報車 選挙で投票を呼びかける宣伝カー 椅子がのっているが横断幕がたれないよう引っ張っている
■市役所移動相談 電話や車の普及も進んでいない 担当者が地域を回って相談を受けた (昭和38年)
■NHK夏季移動相談 当時のラジオは数少ない娯楽の一つ うたのおばさん松田トシのステージ (昭和31年)
■春の売り出し 道路は乾いているのにみんな長靴をはいている 町中以外はまだ雪が (昭和35年)
■幼年クラブ 本屋の店前 この雑誌は大正14年講談社から刊行さ昭和33年3月で終刊したという
■大八車 行商でしょうかリヤカーの一つ昔の運搬車 ソリや荷車を専門に作る大工さんがいた
■入学式 晴れて一年生 ランドセルのほかにズック入れというのがあった 胸には大きな名札が 奥の建物は長井保健所 (昭和33年4月4日)
■子ども会 豊田羽黒公民館で日頃お世話になった親を招き 劇や踊りで感謝する会が開かれた (昭和36年3月)
■舟場の奴振り 小出皇大神社の祭礼に奉納 舟運でいろんな文化も移入された
■パレード この時代祝賀パレードや仮装行列が盛んに行われた 中央十字路
■公益質屋 急なお金を用立てるための衣類や貴金属など 質入するところがあった (昭和35年12月)
■唐傘の寄贈 森分校に傘が寄贈された 傘には持ち主とかの文字が大きく墨書きされていた (昭和35年10月)
■桂谷分校 野川ダムの西にあった分校 林業木地師などを業としていた (昭和37年)
■写真展示 中央公民館(旧郡会議事堂)で芸術祭が開催された 天井が高い (昭和39年)
■芸術祭 長井文化協会の公演部門の発表会 譜面を懐中電灯で照らしている 長井小学校体操場 (昭和36年11月)
■横森スキー場 初めてスキー大会が開かれた八ヶ森(5年前)よりスタイルも洗練されてきた ロープ塔なんてものはまだない (昭和36年)
■つつじ公園 遠くでバレーボール大会が開かれている 当時催事には貴重な広場だった 中央の建物は演芸館 その東に弓道場があった (昭和31年5月)
■交通整理 中央十字路で水道工事だろうか 後ろには山形交通のバスの運転手が
■ゴミ箱 木製のゴミ箱が作られた これから各地区へ配られるところ 野川辺にゴミ焼却炉が
■早春水郷の景 雲雀が鳴きこれから新緑を迎える 好い季節どこにでもあった風景だが
長井市 広報マンが写した半世紀 Ⅱ
(提供:文教の杜ながい/長井市/小口昭氏)
■市役所前の舗装工事 工事の手袋がすごい 遠く長井小校庭に2年前に建った「慈愛像」が見える (昭和34年秋)
■米の供出 長井駅前の農協で 今ではめったにお目にかかれない米俵 収穫の喜びが伝わってくる
■秋の交通安全 長井小学校児童の鼓笛隊パレード (昭和36年10月13日)
■秋の交通安全パレード 児童の下校時間に合わせたものか多くの子供たちが写っている (昭和36年10月13日)
■中央十字路 自家用車は庶民にはほど遠く もっぱら自転車が庶民の足だった 時間は昼時か (昭和35年)
■レコード屋さん 駅前のレコード屋さんの店前 33回転のLPレコードが普及してきた頃だ (昭和36年頃)
■駅前の売り出し 旧暦の正月 駅前の売り出しの様子 天幕を張った出店が並んでいる ひとごみがすごい
■中央十字路から 駅前方面を望む 左の鉄塔は電柱 十字路にあり縦横に張られた電線の接触を防ぐため高くしたものか
■中央十字路の様子 中央十字路を往来するバス 右手のバスはエンジンが車体の前にあるボンネットバスだ (昭和35年頃)
■歓迎アーチ 駅前に ネオンサインがまばゆかった 酒の銘柄はなぜか市外のものばかり 中央上部には市章のかわりに6地区を表す〇を6個あわせたデザイン そのなかに長の文字 市章が制作されたのが昭和38年で長沼孝三作 (昭和35年)
■歓迎アーチ表側 駅のほうから見たアーチ こちら側には地元の銘柄が
■消防大会 駅前通りで市の消防大会が開かれた 左手の電信柱には作業用の足場がついている (昭和36年5月7日)
■分列行進 駅前での第11回山形県消防大会分列行進の様子 (昭和35年6月26日)
■キャラバンカー 中央十字路で山交のニュースカー「うぐいす号」を仕立て あやめ祭りの宣伝をしている 屋根には大きなスピーカー (昭和33年)
■昼前の中央十字路 道路が広く見える 小さく「うぐいす号」が写っている (昭和33年)
■声援 長井中学校の生徒が大会旗を持って走っている 沿道の人が声援をおくっている (昭和32年頃)
■中央十字路 夏の風景 影の位置から真昼に近い バスの前に風を入れる窓がついている (昭和33年頃)
■山ほどのおかず 30円で山ほどのおかずが買えると書いてある 当時の米価で換算すると約120円くらい (昭和33年頃)
■消防署から 消防署の火の見櫓から中央十字路を見下ろす 季節は冬だが雪は少ない
■駐禁の標識 昭和36年4月1日から駐車禁止となった本町通り 標識に英語が見えるが戦後進駐軍がいたことのなごり
■横断幕 本町通りに春の交通安全の横断幕 人は右車は左だけどちょっとバラバラ (昭和35年4月)
■中央十字路から北 ハンドバックもって 現在のあやめ交番の前付近から撮る (昭和31年頃)
■夕暮れどき 本町通り この時間帯は自動車はほとんど走っていない (昭和33年頃)
■点滅信号機 館町南の点滅信号機 珍しく乗用車が写っている (昭和33年頃)
■あら町通り 新庁舎落成記念で自衛隊のブラスバンドの街頭行進 (昭和33年11月4日)
■あら町 薬師寺前につつじ公園入口の歓迎アーチが作られた (昭和31年頃)
■コンクール 警察署前で案山子コンクール(栄町) おかぁさん下駄を履いてこの自転車に乗るとは
■県都市訪問縦断 現在の県縦断駅伝の前身 栄町をスタート (昭和31年5月20日)
■地区駅伝 県都市訪問縦断と同じ場所 消防署の火の見櫓が見える (昭和35年9月23日)
■十日町郵便局 三角屋根で目印になる建物だった 昭和61年頃道路拡張のため北に移転した (昭和30年頃)
■雪割り除雪 春になると地区民総出で道路の雪を割りトラックで排雪した (昭和36年3月6日)
■稚児行列 脇を歩くのは親御さんのようだ 少年の表情が神妙だが何か訳がありそう 栄町
■道路でマリつき 自転車が道の真ん中を走っている 道路にセンターラインが無い この写真は市報で交通ルールを守ろうキャンペーンで使用 人は右車は左を一生懸命PRした時代 (昭和35年)
■バスの前 市民の足はもっぱら自転車とバス それにしてもゆったりしたものです 中央十字路(昭和35年頃)
■ほっと 雪割除雪 向こうに排泄してくれるトラックが待機している 十日町末広通り (昭和36年3月6日)