山形県長井市。それは、水と緑と花の奥座敷・・・・・
ゆっくりと まちなみに ふれてみませんか・・・・・
魅力あふれる 深い建物を醸し出す風景に 足を運んで下さい
(資料:長井市史、神奈川大学工学部建築学科 西和夫 長井市歴史建造物調査報告書、文教の杜・昭和11年長井町町要覧)
貿上醤油店は大正7年から醤油醸造業を営む家です。かつては、「貿上」の字を「坊上」としていました。現当主は3代目ですが、醤油業を営む前は糸を扱う仕事を生業としていました。井上家には過去帳が残されており、それによると一番古い年号が「元禄4年(1691)10月」とあり、江戸中期まで遡ることができます。また、その昔は宿坊をしており、当主が高校生の頃、昭和30年代まで長屋がありました。長屋は道路向かいにあり、小分けにして人が住んでいました。現在でも一部が車庫として使っています。
昔の主屋は、平屋の茅葺で店の部分だけが2階建てでした。主屋は昭和46年頃に建物としてはそのままに柱などを取替え、部屋の天井も下げました。店部分は当主が小学2、3年生の頃、昭和20年代に建て替えたといいます。しかし、小屋組みには当初材も残っているといわれ、本体の骨組みは当初の様子を残していると思われます。
主屋は木造2階建て、切妻造り、鉄板葺き。外壁はリシンかき落とし、一部モルタル吹付け、建具はアルミサッシ。1階庇は垂木と野地板ですが、2階庇は新建材です。店部分は木造2階建て、切妻造りマンサード屋根、鉄板瓦棒葺き、建具は木製で、一部に古い建具を残しています。外壁は、主屋と同じリシンかき落とし。
店は新しく、その西に続く主屋も表面から見える柱、長押、天井などの材はすべて新しくなっていますが、建物の配置は典型的な構成(店が道路に並行で主屋はそれに直行する)となっています。この地域の屋敷構えの様子、全体の構成をよく示す点で貴重な存在といえます。中は見ることができません。
屋敷蔵
主屋の北西隅に位置し、主屋内部から出入りします。構造は木造2階建て、切妻造り、置屋根、鉄板葺き。梁間2間半、桁行5間の規模で、外壁は腰部分を板張り、屋根下まで漆喰を塗りその上に屋根を置く屋根形式です。1階は東側に一つ、2階は東側に二つの窓があり、金網と鉄格子を入れています。1階2階同位置にある窓は個別に防火扉があるのではなく上下一つの扉で閉めます。1階2階とも床は板張り。建築年代は屋敷蔵内にある祈祷札に、「若来法世人 長誦此眞言明治参拾八乙巳年」とあり、明治38年(1905)の建設です。
味噌蔵
工場南西に位置し、工場内部から出入りします。構造は木造平屋建て、切妻造り、桟瓦葺き。外壁は腰部分をモルタル塗り、その上は白漆喰仕上げです。内部は梁と梁の中央を束ねる簡単な構造です。
味噌蔵の桶に、「大正八年検定、第五□」とあり、この桶は大正8年(1919)のもの。また桶は間口より大きいため中で組んだもの。当初からある桶でしょう。ゆえに味噌蔵自体もの建築年代も、その直後の7年か8年と判断されます。醤油業の過程や様子を知る上で、貴重な存在です。
工場
主屋の西側に接続して建っています。木造平屋建て、切妻造り、鉄板葺き。小屋組みは和小屋であり、一部光取りが設けられています。垂木と野地板を見せる化粧屋根裏。北側外観は柱を見せた真壁構造だが、壁部分はすべて縦板張り、上部に窓ガラスを入れ、外に鉄の横格子をはめています。西側部分は増築です。
建築年代は、醤油業を始めた当初からのものと考えられ、操業の大正7年。工場は増築を重ねて大変複雑な平面構成となっています。モロミムロ、味噌蔵などがあり、醤油業の工場の様子をよく示している貴重な存在です。
畑の蔵
敷地の北西隅に建ち、かつては原材料を入れていました。構造は木造2階建て、切妻造り、置屋根、鉄板葺きです。入口部分のみ前室を庇形式で出ています。梁間2間半、桁行4間半の規模で、外壁は腰部分をモルタル、上部は白漆喰仕上げで、屋根は置屋根です。様式と技法から昭和初期と考えられます。
煙突
昭和20年代。レンガ積み、隅部を鉄骨で補強しています。高さは約10メートル、太さは下から1メートルの高さで1メートル角、上に行くにしたがって先すぼみしています。頭頂部では約50センチメートル。東面、南面、西面に「貿上醤油店」と白漆喰で書かれています。
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長井まち歩き物語8 貿上醤油店
2013.10.08:n-old:[歴史的建造物]
長井まち歩き物語7 鍋屋本店
山形県長井市。それは、水と緑と花の奥座敷・・・・・
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魅力あふれる 深い建物を醸し出す風景に 足を運んで下さい
(資料:長井市史、神奈川大学工学部建築学科 西和夫 長井市歴史建造物調査報告書、文教の杜・昭和11年長井町町要覧)
鍋屋本店は、十日町で現在も荒物屋を営んでおり、街道に沿って店舗が建ち、その奥に主屋が直角に接続しています。
店舗は、木造つし(屋根の下に作った物置場)二階建て、茅葺、平入、片側が寄棟、もう一方が切妻です。切妻の妻は漆喰塗り、反対側は荒土壁。棟に鉄板を被せ、正面二階部は窓に格子を見せます。聞き取りによれば「当初は農家だったが、明治6年の十日町の大火により全焼消失し、明治31年生まれの6代目が3つか4つの時に立て直した」とのこと。主屋の居間に、明治33年の年紀をもつ看板が掛けてあり、少なくともこの頃にはすでに建物があったことが確認されます。
内部は、当初土間と畳で構成されていましたが、現在、畳はありません。天井は根太天井。東側は増築された倉庫、南側は主屋と繋がっています。現在、店舗と主屋は壁を隔てて直接繋がっていますが、もとは店舗と主屋の間には取次ぎがあり、その西側に2間ほどの中庭がありました。
主屋は木造平屋建て、切妻造、茅葺、平入。煙出しがあります。棟にはトタンを被せ、軒は出し桁で支え、壁は漆喰塗り。
この地域の典型的な間取りを知ることができること、屋根が茅葺であること、道路に面した立面も一部改変はありますが歴史的な雰囲気をよく伝えていること、年代が明らかなことなど貴重な存在であるといえます。
平成20年5月7日、国の登録有形文化財となりました。
①主屋 木造平屋建、茅葺、建築面積は132㎡です。明治後期。
②店舗 木造平屋建、茅葺、建築面積は44㎡です。明治後期、昭和40年頃改修。
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魅力あふれる 深い建物を醸し出す風景に 足を運んで下さい
(資料:長井市史、神奈川大学工学部建築学科 西和夫 長井市歴史建造物調査報告書、文教の杜・昭和11年長井町町要覧)
鍋屋本店は、十日町で現在も荒物屋を営んでおり、街道に沿って店舗が建ち、その奥に主屋が直角に接続しています。
店舗は、木造つし(屋根の下に作った物置場)二階建て、茅葺、平入、片側が寄棟、もう一方が切妻です。切妻の妻は漆喰塗り、反対側は荒土壁。棟に鉄板を被せ、正面二階部は窓に格子を見せます。聞き取りによれば「当初は農家だったが、明治6年の十日町の大火により全焼消失し、明治31年生まれの6代目が3つか4つの時に立て直した」とのこと。主屋の居間に、明治33年の年紀をもつ看板が掛けてあり、少なくともこの頃にはすでに建物があったことが確認されます。
内部は、当初土間と畳で構成されていましたが、現在、畳はありません。天井は根太天井。東側は増築された倉庫、南側は主屋と繋がっています。現在、店舗と主屋は壁を隔てて直接繋がっていますが、もとは店舗と主屋の間には取次ぎがあり、その西側に2間ほどの中庭がありました。
主屋は木造平屋建て、切妻造、茅葺、平入。煙出しがあります。棟にはトタンを被せ、軒は出し桁で支え、壁は漆喰塗り。
この地域の典型的な間取りを知ることができること、屋根が茅葺であること、道路に面した立面も一部改変はありますが歴史的な雰囲気をよく伝えていること、年代が明らかなことなど貴重な存在であるといえます。
平成20年5月7日、国の登録有形文化財となりました。
①主屋 木造平屋建、茅葺、建築面積は132㎡です。明治後期。
②店舗 木造平屋建、茅葺、建築面積は44㎡です。明治後期、昭和40年頃改修。
2013.10.07:n-old:[歴史的建造物]
長井まち歩き物語6 長沼合名会社
山形県長井市。それは、水と緑と花の奥座敷・・・・・
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(資料:長井市史、神奈川大学工学部建築学科 西和夫 長井市歴史建造物調査報告書、文教の杜・昭和11年長井町町要覧)
十日町地区にあり、敷地は1000坪以上の広さがある。主屋・作業場・前蔵・中蔵・内蔵・仕込み蔵・新蔵・付属倉庫・稲荷社が敷地に建ち、敷地内に水路があります。醸造業は大正5年から始められ現在も営われています。
平成20年5月7日に国の登録有形文化財となりました。文化財としては六棟。
①仕込み蔵 土蔵造平屋建、鉄板葺、建築面積は142㎡です。大正期。
②新蔵 土蔵造2階建、鉄板葺、建築面積は62㎡です。明治19年。
③前蔵 土蔵造平屋建、鉄板葺、建築面積は110㎡です。大正前期。
④中蔵 土蔵造2階建、鉄板葺、建築面積117㎡です。大正期。
⑤店舗兼主屋 木造平屋建、鉄板葺、建築面積は149㎡です。天保9年(1838年)、昭和33年改修。
⑥内蔵 土蔵造2階建、鉄板葺、建築面積40㎡です。江戸末期。
主屋は、木造平屋建て、切妻屋根、平入、もとは茅葺でしたが現在は鉄板瓦棒葺。棟に煙出しがあります。道路側の妻壁は漆喰塗り、小壁も白漆喰塗り。建築年代は、主屋の上段の間の南釣束に打ち付けてあった祈祷札に「法世人 長誦以真言 天保九戊戌」とあり、天保9年(1838)であることがわかります。
主屋
多くの建物で構成され、この地域の屋敷の構成をよく示している。主屋の年代も明らかで、現在はトタンをかぶせていますが、茅葺の様相も残り、歴史的雰囲気を知ることができます。現在道路に面した部分は改修されていますが、古写真によって当初の姿も判明し、復原考察も可能です。誠に貴重な存在。中は見ることができません。
街道沿いにそびえ立つ煙突 ランドマークにもなっていたであろう
蔵のあおり戸
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(資料:長井市史、神奈川大学工学部建築学科 西和夫 長井市歴史建造物調査報告書、文教の杜・昭和11年長井町町要覧)
十日町地区にあり、敷地は1000坪以上の広さがある。主屋・作業場・前蔵・中蔵・内蔵・仕込み蔵・新蔵・付属倉庫・稲荷社が敷地に建ち、敷地内に水路があります。醸造業は大正5年から始められ現在も営われています。
平成20年5月7日に国の登録有形文化財となりました。文化財としては六棟。
①仕込み蔵 土蔵造平屋建、鉄板葺、建築面積は142㎡です。大正期。
②新蔵 土蔵造2階建、鉄板葺、建築面積は62㎡です。明治19年。
③前蔵 土蔵造平屋建、鉄板葺、建築面積は110㎡です。大正前期。
④中蔵 土蔵造2階建、鉄板葺、建築面積117㎡です。大正期。
⑤店舗兼主屋 木造平屋建、鉄板葺、建築面積は149㎡です。天保9年(1838年)、昭和33年改修。
⑥内蔵 土蔵造2階建、鉄板葺、建築面積40㎡です。江戸末期。
主屋は、木造平屋建て、切妻屋根、平入、もとは茅葺でしたが現在は鉄板瓦棒葺。棟に煙出しがあります。道路側の妻壁は漆喰塗り、小壁も白漆喰塗り。建築年代は、主屋の上段の間の南釣束に打ち付けてあった祈祷札に「法世人 長誦以真言 天保九戊戌」とあり、天保9年(1838)であることがわかります。
主屋
多くの建物で構成され、この地域の屋敷の構成をよく示している。主屋の年代も明らかで、現在はトタンをかぶせていますが、茅葺の様相も残り、歴史的雰囲気を知ることができます。現在道路に面した部分は改修されていますが、古写真によって当初の姿も判明し、復原考察も可能です。誠に貴重な存在。中は見ることができません。
街道沿いにそびえ立つ煙突 ランドマークにもなっていたであろう
蔵のあおり戸
2013.10.04:n-old:[歴史的建造物]
長井まち歩き物語5 荒川家住宅
山形県長井市。それは、水と緑と花の奥座敷・・・・・
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魅力あふれる 深い建物を醸し出す風景に 足を運んで下さい
(資料:長井市史、神奈川大学工学部建築学科 西和夫 長井市歴史建造物調査報告書、文教の杜・昭和11年長井町町要覧)
荒川家住宅は、高野町、道の角に建つ家です。建築年代は課税台帳に大正12年(1923)とありますので、それ以前となります。建設当初は教会として、その後ビリヤード場として使われていました。
東南から望む
外観は木造2階建て、入母屋造り、屋根は鉄板葺き、独特の意匠を持つ棟飾りをつけています。外壁は板張りです。2階南側は半間せり出しており、西面に高さの低い2階建て部分が接続しています。東面1階には下屋庇をつけ、2階には縁を突き出し、2階屋根には半円形のドーマー窓があります。北面1回には窓があり、上に小さな庇をつけています。庇を支える持送りの意匠が面白いです。
荒川家住宅は2階建物部分の意匠、屋根の棟やドーマーマドの意匠、外壁のペンキ塗りの意匠など大正期の雰囲気をよく示す大正モダン建築の貴重な建物であるといえます。また、外観は洋風ですが内側は和風という構成も面白い。大正12年と年代も明らかで、この年代は町の中心部としては古いものであり、この点でも貴重です。中を見ることはできません。
東から望む 二階屋根にドーマーマドの意匠が見える
ゆっくりと まちなみに ふれてみませんか・・・・・
魅力あふれる 深い建物を醸し出す風景に 足を運んで下さい
(資料:長井市史、神奈川大学工学部建築学科 西和夫 長井市歴史建造物調査報告書、文教の杜・昭和11年長井町町要覧)
荒川家住宅は、高野町、道の角に建つ家です。建築年代は課税台帳に大正12年(1923)とありますので、それ以前となります。建設当初は教会として、その後ビリヤード場として使われていました。
東南から望む
外観は木造2階建て、入母屋造り、屋根は鉄板葺き、独特の意匠を持つ棟飾りをつけています。外壁は板張りです。2階南側は半間せり出しており、西面に高さの低い2階建て部分が接続しています。東面1階には下屋庇をつけ、2階には縁を突き出し、2階屋根には半円形のドーマー窓があります。北面1回には窓があり、上に小さな庇をつけています。庇を支える持送りの意匠が面白いです。
荒川家住宅は2階建物部分の意匠、屋根の棟やドーマーマドの意匠、外壁のペンキ塗りの意匠など大正期の雰囲気をよく示す大正モダン建築の貴重な建物であるといえます。また、外観は洋風ですが内側は和風という構成も面白い。大正12年と年代も明らかで、この年代は町の中心部としては古いものであり、この点でも貴重です。中を見ることはできません。
東から望む 二階屋根にドーマーマドの意匠が見える
2013.10.02:n-old:[歴史的建造物]
長井市役所等物語
昭和29年11月15日、一町五カ村が合併し長井市が誕生した。長井市役所は昭和33年に建築され現在に至っている。ここまでの物語を、現在わかっている資料で紹介する。
(資料:年表、長井市史、事務報告、文教の杜資料)
■明治17年 宮村小出村の戸長役場を摂取院に置く
■明治22年4月1日 市町村制が施行され、第一次町村合併が行われた かっこの後は首長
長井町 (小出村・宮村) 猿橋政孝
長井村 (成田村・五十川村・白兎村・森村) 高橋門左エ門
西根村 (勧進代村・草岡村・川原沢村・寺泉村) 高世純一
平野村 (平山村・九野本村) 深沢園吉
豊田村 (今泉村・歌丸村・河井村・泉村・時庭村) 井上代造
伊佐沢村(上伊佐沢村・下伊佐沢村・芦沢村)(当時東置賜郡) 鈴木千誉太
■明治26年 小出の念仏堂に、一時仮役場を移す。
■明治27年9月 現中央十字路南西に役場を新築完成。予算は1,600円、総建坪数は60坪。竣工式は10月14日。
大正3年当時(市史から)
長井町役場新庁舎正面 右側に横山孫助胸像が
■大正12年4月1日 長井町徴章が決定
■昭和5年9月29日 自治功労者横山孫助の胸像建立、除幕式。
■昭和17年2月24日 町議会は、長井町役場庁舎改築を議決
■昭和21年11月7日 長井町会条例を制定
■昭和27年6月30日 長井町住民登録条例設定
■昭和29年4月25日 県の提唱で長井ブロック町村合併促進協議会を結成
■昭和29年9月14日 合併協議会において、一町五村を廃し「長井市」を設置する案を決定
■昭和29年9月17日 一町五村の各町村議会で合併案を議決
■昭和29年11月15日 長井市誕生。県下9番目。長井中学校で開庁式行う。長井線全線でジーゼル化、 試乗会催す。市制施行祝賀式と気動車開通祝賀式挙行。学童の旗行列、市民の提灯行列仮装行列あり。人出3万人。ミス長井コンテストで新市の誕生を祝う。人口37429人、面積216.03平方㎞。長井で初議会。議長遠藤利吉、副議長竹田源芳。市議会議員数89人。長井市体育協会結成。連合青年団組織される。長井公立病院を長井市立病院と改める
■昭和29年12月10日 長井市報を隣組回覧方式で創刊
設計:日建設計工務KK東京事務所
工事管理:同
施工:株式会社戸田組仙台支店
着工:昭和33年2月29日
竣工:昭和33年11月3日
面積:714.04坪
内訳 1階 242.366坪
2階 212.806
3階 223.942
塔屋1階 11.642
2階 11.642
3階 11.642
建築費:55,000,000円
建築物の仕上げ
(外部)正面、側面等建物周壁は、柱迎及窓額縁人造石研出し、壁面はセメント、ガンスプレー仕上げ、玄関段石は稲田小叩き仕上げ、外壁回り窓及入口はスチールサッシドアーオイルペンキ仕上げ
(内部)玄関、ホール及議場壁はゾラコート塗り仕上げ、市長室、助役室及正副議長室壁はサテシタンポ叩き仕上げ、会議室、議場の一部壁は孔明三井ボード張り、応接室及会議室の一部壁はホモトーン張り仕上げ、他の壁はプラスター仕上げ、廊下間仕切りは木造とし両面三井ボード張り仕上げとす。
床は、孔明吸音テックス及プラスターボード張りとする。木部及鉄部ともオイルペンキ仕上げ、一部クリアラッカー仕上げとする。
設備:給水設備・井戸深さ60尺、排水設備・汚物260人浄化槽1基、強電設備・3300ボルト受電変圧器2台、照明設備・蛍光灯と普通灯、弱電設備・電気時計 拡声器 登退庁表示機、電話設備・町内電話交換設備160回線、暖房設備・前田五-14S前ストーカー ラジエーター コンペクトヒーター 議場温風暖房、避雷設備・煙突上部に一箇所
場所:市役所新庁舎
国会議員代表 木村代議士
県議会議長 代 紺野県議
県市長会 代 酒田市長
来賓者 418名 外市議会議員28名 職員代表として各課長
●落成祝賀行事
11月4日 神町自衛隊音楽隊外演奏 市庁舎前
11月4日~7日 物産展示会 市庁舎
11月7日 郷土展 市庁舎
農産物品評会 市庁舎
木炭品評会 市庁舎
敬老会 中央会館
11月5日 緬羊品評会 つつじ公園
11月10日 肉牛品評会 今泉家畜市場
10月25日~11月15日 菊花品評会 市役所前空き地
●新市庁舎の使用に先立って、11月4日、5日、6日の三日間、庁舎を一般人に公開した参観者約2万名
■昭和34年11月 長井市施行5周年記念式典行う。ミス長井カーニバル等の記念の祭行う。市役所前道路の舗装工事行う
■昭和36年6月 市報、回覧から各戸配布に
■昭和38年2月11日 市初の市政功労者表彰。市役所2階会議室で
■昭和38年9月3日 初の移動市民相談
■昭和38年10月17日 長井市章制定、デザインは長沼孝三氏
■昭和39年1月1日 市内五地区の出張所を廃止 写真は豊田支所 白川橋付近にあった
(資料:年表、長井市史、事務報告、文教の杜資料)
■明治17年 宮村小出村の戸長役場を摂取院に置く
■明治22年4月1日 市町村制が施行され、第一次町村合併が行われた かっこの後は首長
長井町 (小出村・宮村) 猿橋政孝
長井村 (成田村・五十川村・白兎村・森村) 高橋門左エ門
西根村 (勧進代村・草岡村・川原沢村・寺泉村) 高世純一
平野村 (平山村・九野本村) 深沢園吉
豊田村 (今泉村・歌丸村・河井村・泉村・時庭村) 井上代造
伊佐沢村(上伊佐沢村・下伊佐沢村・芦沢村)(当時東置賜郡) 鈴木千誉太
■明治26年 小出の念仏堂に、一時仮役場を移す。
■明治27年9月 現中央十字路南西に役場を新築完成。予算は1,600円、総建坪数は60坪。竣工式は10月14日。
大正3年当時(市史から)
長井町役場新庁舎正面 右側に横山孫助胸像が
■大正12年4月1日 長井町徴章が決定
■昭和5年9月29日 自治功労者横山孫助の胸像建立、除幕式。
■昭和17年2月24日 町議会は、長井町役場庁舎改築を議決
■昭和21年11月7日 長井町会条例を制定
■昭和27年6月30日 長井町住民登録条例設定
■昭和29年4月25日 県の提唱で長井ブロック町村合併促進協議会を結成
■昭和29年9月14日 合併協議会において、一町五村を廃し「長井市」を設置する案を決定
■昭和29年9月17日 一町五村の各町村議会で合併案を議決
■昭和29年11月15日 長井市誕生。県下9番目。長井中学校で開庁式行う。長井線全線でジーゼル化、 試乗会催す。市制施行祝賀式と気動車開通祝賀式挙行。学童の旗行列、市民の提灯行列仮装行列あり。人出3万人。ミス長井コンテストで新市の誕生を祝う。人口37429人、面積216.03平方㎞。長井で初議会。議長遠藤利吉、副議長竹田源芳。市議会議員数89人。長井市体育協会結成。連合青年団組織される。長井公立病院を長井市立病院と改める
■昭和29年12月10日 長井市報を隣組回覧方式で創刊
■昭和30年 市章を公募。印刷会社勤務の大沼喜三郎氏デザインのものが第一位入選。正式採用ならず
駅前にあった歓迎ゲート。ゲートの上部に「丸が6個、長」がデザインされたものが入選作
■昭和30年5月5日 長井市議会議員選挙、28名。
■昭和30年9月7日 初めての教育委員公選
■昭和30年11月12日 市制1周年記念支所めぐり駅伝開催。市役所分室・・致芳・・西根・・平野・・伊佐沢・・豊田・・市役所のコース。西根チームが優勝
■昭和32年4月1日 従来の各支所を出張所に改める
■昭和32年5月 長井市議会臨時会で新市庁舎建設の位置を決定
■昭和33年10月29日 長井市市民歌制定。芳賀秀次郎作詞、海鋒義美作曲
■昭和33年11月3日 長井市新庁舎落成式挙行
設計:日建設計工務KK東京事務所
工事管理:同
施工:株式会社戸田組仙台支店
着工:昭和33年2月29日
竣工:昭和33年11月3日
面積:714.04坪
内訳 1階 242.366坪
2階 212.806
3階 223.942
塔屋1階 11.642
2階 11.642
3階 11.642
建築費:55,000,000円
建築物の仕上げ
(外部)正面、側面等建物周壁は、柱迎及窓額縁人造石研出し、壁面はセメント、ガンスプレー仕上げ、玄関段石は稲田小叩き仕上げ、外壁回り窓及入口はスチールサッシドアーオイルペンキ仕上げ
(内部)玄関、ホール及議場壁はゾラコート塗り仕上げ、市長室、助役室及正副議長室壁はサテシタンポ叩き仕上げ、会議室、議場の一部壁は孔明三井ボード張り、応接室及会議室の一部壁はホモトーン張り仕上げ、他の壁はプラスター仕上げ、廊下間仕切りは木造とし両面三井ボード張り仕上げとす。
床は、孔明吸音テックス及プラスターボード張りとする。木部及鉄部ともオイルペンキ仕上げ、一部クリアラッカー仕上げとする。
設備:給水設備・井戸深さ60尺、排水設備・汚物260人浄化槽1基、強電設備・3300ボルト受電変圧器2台、照明設備・蛍光灯と普通灯、弱電設備・電気時計 拡声器 登退庁表示機、電話設備・町内電話交換設備160回線、暖房設備・前田五-14S前ストーカー ラジエーター コンペクトヒーター 議場温風暖房、避雷設備・煙突上部に一箇所
●市庁舎第一期工事竣工式●
日時:11月3日午前10時場所:市役所新庁舎
- 開会のあいさつ 羽田助役
- あいさつ 斎藤市長、横山市議会議長
- 工事経過報告 飯沢市庁舎建築実行委員長
- 感謝状贈呈 日建設計工務株式会社東京事務所
- 祝辞 自治庁長官 代 黒金次官
国会議員代表 木村代議士
県議会議長 代 紺野県議
県市長会 代 酒田市長
- 閉式のあいさつ 羽田助役
- 祝宴
来賓者 418名 外市議会議員28名 職員代表として各課長
●落成祝賀行事
11月4日 神町自衛隊音楽隊外演奏 市庁舎前
11月4日~7日 物産展示会 市庁舎
11月7日 郷土展 市庁舎
農産物品評会 市庁舎
木炭品評会 市庁舎
敬老会 中央会館
11月5日 緬羊品評会 つつじ公園
11月10日 肉牛品評会 今泉家畜市場
10月25日~11月15日 菊花品評会 市役所前空き地
●新市庁舎の使用に先立って、11月4日、5日、6日の三日間、庁舎を一般人に公開した参観者約2万名
■昭和34年11月 長井市施行5周年記念式典行う。ミス長井カーニバル等の記念の祭行う。市役所前道路の舗装工事行う
■昭和36年6月 市報、回覧から各戸配布に
■昭和38年2月11日 市初の市政功労者表彰。市役所2階会議室で
■昭和38年9月3日 初の移動市民相談
■昭和38年10月17日 長井市章制定、デザインは長沼孝三氏
■昭和39年1月1日 市内五地区の出張所を廃止 写真は豊田支所 白川橋付近にあった
2013.09.25:n-old:[歴史的建造物]