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長井まちあるき物語13  旧桑島眼科医院

  • 長井まちあるき物語13  旧桑島眼科医院

山形県長井市。それは、水と緑と花の奥座敷・・・・・
ゆっくりと まちなみに ふれてみませんか・・・・・
魅力あふれる 深い建物を醸し出す風景に 足を運んで下さい


(資料:旧桑島眼科医院 曳き移転版、置賜文化フォーラム、二宮正一氏) 


 
  昭和2年、初代桑島眼科院長・桑島五郎が、洋行を取りやめてまで擬洋風建築の粋を集めて竣工しました。昭和3年の新聞には「新医院は純洋式鉄鋼コンクリート2階建てにして高層巍々たるもので、実に長井町に一つの美観を添えたるものである」と紹介されています。材料も吟味されており、当時のお金で1万6千円をかけ、旧県庁舎(大正5年竣工、現文翔館)を忍ばせます。ゴシック建築の名残の棟飾りやドーマーウインドウ、石造りに似せた人造石洗出しの外壁などの特徴があり、日本建築学会の「日本近代建築総覧」にもリストアップされています。視察に訪れた東京大学の伊藤先生からは①昭和初期医院建築の貴重な遺構、②筋違いなどの耐震工法の採用、③建築当時の資料一式の残存、の3点について高い評価を得ています。今回の曳き移転・保全により将来にわた利用されることとなりました。


タオルかけだろうか 柱部のデザインがおもしろい

  間口7間、奥行き4.5間、総2階建てで、正面2階に鉄製のバルコニー、玄関部に化粧持ち送りの庇(ひさし)がついています。新聞では「鉄鋼コンクリート」と紹介されていますが、実際は木造の骨組みです。ただし、外の洗出し壁は5cmもあり、その下地はらせん状の鉄網へ砂利を入れたモルタルで固めた強固なもので、鉄鋼コンクリートと表現されたとうりです。二宮正一氏によると、筋違いが一般の建築に取り入れられるようになったのは、関東大震災以降で、その対応の早さに驚くとのこと。筋違いを提唱した佐野利器博士は白鷹出身でありその因果関係もあるのでは、と話されています。また、建物南面の妻面・アーチ模様ですが、設計されていません。この模様が何を意味するのか、誰が考えたのかは不明です。また、玄関の両端に丸玉飾りが設計されていましたが、竣工時の正面写真にはありませんでした。どんな意味で丸玉が設計されたのか不明です。
  なぞが深まるばかりです。




建築概要  昭和2年竣工時
●建築名  桑島眼科医院
●建築主  桑島五郎
●設計者  吉岡惣作
●棟梁    稲垣茂兵衛
●左官    飯沢道蔵
●建具    早川木工場
●ペンキ   片山信次郎
●面積    延べ面積:242.2㎡   一階床面積:104.3㎡   二階床面積:137.9㎡
●高さ    軒高さ:7.4m   最高高さ:10.0m
●仕上げ  屋根:銅版葺き  鼻隠し:銅版包み  軒天井:人造石洗出し  外壁:人造石洗出し(御影石・黒霞)  開口部:木製上げ下げ窓  内部床:縁甲板張り  内部腰:羽目板張り  内部壁:漆喰塗り壁  内部天井:羽目板張りの上塗装

2013.10.21:n-old:[歴史的建造物]

長井まちあるき物語12  小池医院

  • 長井まちあるき物語12  小池医院
山形県長井市。それは、水と緑と花の奥座敷・・・・・
ゆっくりと まちなみに ふれてみませんか・・・・・
魅力あふれる 深い建物を醸し出す風景に 足を運んで下さい


(協力:本町・中央まちづくり協議会、景観部会  二宮正一氏 小池てる子氏 文教の杜)


昭和23年の本町通り  左に小池医院、その隣は長井郵便局


曳き移転後の小池医院

  旧小池医院の建築は、重厚な一階部分自然石洗い出し外壁の上に、木の骨組み間にリズミカルな斜材や円状の木装飾が並ぶ軽快なハーフティンバーの二階部分、そして矩勾配(90°)の大屋根にどっしりと突き出た八角形の望楼がそびえる。基壇から屋根に至るまで実に興味深い造りとなっているが、特にハーフティンバー様式の遺構は数少なく、時代の経過とともに日本における貴重な建築物となるであろう。昭和6年の時代に西欧のハーフティンバー様式が何故日本に出現したのだろうか?  


ハーフティンバー様式  とても美しい  昭和6年当時、回りの驚きが想像できる

  日本の洋風建築の建設は、ペリー来航数年後には始まり、柱を煉瓦、擬石、ペンキ羽目板で蔽った作りであったが、元来日本建築は柱や梁を現しその間を壁や板でふさぐ。西欧の土着の民家も同じである。大正末期ハーフティンバー様式が紹介されると同時に広まったことも理解できる。


昭和6年(1931)竣工時の写真(小池氏所蔵)  奥玄関部にバルコニー付ポーチ、瓦屋根が見える

建築概要
(竣工時)
昭和6年(1931年)
■建築名  小池医院
■建築主  小池 力
■設計者  泰・伊藤建築設計事務所
■施工    加藤組
■棟梁    加藤久八
■面積    建築面積:118.8㎡  延べ面積:237.6㎡  一階床面積:118.8㎡  二階床面積:118.8㎡

■高さ    11.5m(屋根)
■仕上げ   屋根:瓦葺き(創建時)、カラー鉄板平葺(現在)  望楼:銅版葺き  二階外壁:ハーフティンバー  漆喰壁  一階外壁:自然石洗い出し  開口部  木製建具

(曳き移転工事)
■建築主  小池てる子
■監理    二宮正一
■施工    大泉建設株式会社  曳き工事 四釜建設 
 
2013.10.20:n-old:[歴史的建造物]

長井まち歩き物語 11 やまいち松龍園

  • 長井まち歩き物語 11 やまいち松龍園
山形県長井市。それは、水と緑と花の奥座敷・・・・・
ゆっくりと まちなみに ふれてみませんか・・・・・
魅力あふれる 深い建物を醸し出す風景に 足を運んで下さい

(資料:長井市史、神奈川大学工学部建築学科 西和夫 長井市歴史建造物調査報告書、文教の杜)



    あら町地区の街道西側に店舗を構え、現在も営業しています。店舗の奥に主屋が続き、主屋と店舗の間には取次ぎがあります。敷地奥に3棟の土蔵があり、家財蔵・質蔵・お茶蔵で構成されています。当主は4代目で、「明治40年(1907)からお茶屋を始め、昔はお茶師が6月に新潟県村上から来ており、静岡の二番茶のときが、ここの一番茶だった」とのことです。それ以前は質屋を営んでいました。
  店舗は木造2階建て、平入、切妻造、銅版葺。正面に庇をつけ、1階はガラス戸に格子、2階は障子戸に格子。壁は漆喰塗りで入口に大きな看板を掛けています。ガレージがあるが、もとは大戸がついていました。建築年代は明治36年(1903)、様式技法からもこの頃のものとして矛盾しません。


金看板は昭和35年に静岡の製茶問屋から寄贈されたもの  前身は昭和10年に掲げたが戦争による供出で失ってしまった

  主屋は木造2階建て、平入、切妻造、銅版葺。背面に下屋をつけています。壁は漆喰塗り。南側に玄関を設け、玄関は腰まで下見板張り、建築年代は明治43年(1901)です。
  質蔵は敷地奥の南側に建っています。木造2階建て、妻入、切妻、置屋根形式の鉄板葺きです。背面にトタン被板の覆い屋をつけています。壁は腰まで下見板張り、上部は白漆喰塗り、1・2階とも主屋側に窓が二つずつあります。建築年代は、主屋に質蔵を建てた時の大工の給料を記した文書があり、それによると明治36年となります。
  お茶蔵は質蔵の北側に並んで建ち、木造平屋建て、切妻、妻入、置屋根形式の鉄板葺きです。壁はモルタル塗り、主屋側に庇をつけています。質蔵と同じく覆い屋と前室をつけ、入口脇に小部屋があります。建築年代は、質蔵とお茶蔵が連続していたことから、明治36年と判断できます。
  道路に面した外観は、歴史的雰囲気をよく伝え、建物の構成もこの地域の町屋の屋敷構えを知る上で大切な建物で、あら町地区の町屋の好例として貴重な存在です。



やまいち松龍園のわきを流れる水路  屋敷から流れ込む  そこかしこに水路が張り巡らされている

2013.10.12:n-old:[歴史的建造物]

長井まち歩き物語10  山一醤油店

  • 長井まち歩き物語10  山一醤油店
山形県長井市。それは、水と緑と花の奥座敷・・・・・
ゆっくりと まちなみに ふれてみませんか・・・・・
魅力あふれる 深い建物を醸し出す風景に 足を運んで下さい

(資料:長井市史、神奈川大学工学部建築学科 西和夫 長井市歴史建造物調査報告書、文教の杜・昭和11年長井町町要覧)



  あら町地区の南北に走る街道の東側に立地し、現在も醤油製造場として営業しています。街道沿いに店舗、その奥に若衆の間・醤油蔵・塩蔵・便所、さらにその奥に仕込み場・味噌蔵・納屋が建ち、敷地内に水路が通っています。水路は仕込み場に流れ、桶を洗うのに利用されていました。
  聞き取りによれば、「明治末年の大火により以前の建物は全て焼けてしまったが、その後すぐに着手し、大正9年に現在の建物が一挙に建ち営業を再開した」とのこと。建築技法からもこの頃のものとして矛盾しません。
  多くの建物で構成され、この地域の屋敷構えの様相を知ることができますし、現在も営業していることから、建物の使い方もよくわかります。建築年代は大正期ですが、建物は江戸期の様相を色濃く伝えていると思われます。以上のように多くの意味で、すべての建物が総体として実に貴重。



  平成23年1月26日、三棟が国の登録有形文化財となりました。
①仕込み場 木造平屋建、鉄板葺、建築面積は209㎡。大正9年築。
②醤油蔵 木造平屋建、鉄板葺、建築面積は207㎡です。大正9年築。
③店舗 木造2階一部平屋建、鉄板葺、建築面積248㎡です。大正9年築。



店の正面  店構えと暖簾に歴史を感じさせる


東から臨む  蔵の上部に やまいち醤油の文字
2013.10.10:n-old:[歴史的建造物]

長井まち歩き物語9 旧羽陽銀行

  • 長井まち歩き物語9 旧羽陽銀行

山形県長井市。それは、水と緑と花の奥座敷・・・・・
ゆっくりと まちなみに ふれてみませんか・・・・・
魅力あふれる 深い建物を醸し出す風景に 足を運んで下さい
(資料:長井市史、神奈川大学工学部建築学科 西和夫 長井市歴史建造物調査報告書、文教の杜・昭和11年長井町町要覧)



西南から臨む  初めてのコンクリート造と考えられている


   旧羽陽銀行は、あら町地区の南側の角地に建ち、長井で初めての鉄筋コンクリート構造と言われています。羽陽銀行は大正3年、赤湯銀行・置郷銀行・荒砥銀行の3銀行が合併新立したのが始まりで、昭和15年に両羽銀行に買収され、両羽銀行は昭和40年に山形銀行に改称し現在に至っています。


入口から上部を臨む

  昭和4年に羽陽銀行長井支店が設置され、開業していますが、銀行内の金庫の銘板に昭和9年の年紀があり、他に年代を示す資料を欠くため、建築年代は昭和9年と考えます。様式技法からもこの頃のものと見て矛盾していません。玄関の両脇には、イオニア式柱頭をもつ半円柱が二本立っている。外壁は、元々人造石洗い出しでしたが、今は吹きつけ塗装を施しています。内部は見る事できませんが、金庫室の存在や室内全体の雰囲気など、昭和初期の銀行を伺うに十分です。特にコンクリート造であることや外観の意匠は当時たいへん珍しい存在だったろうと思われます。内部は見学不可。



正面のドア部  当時のまま

2013.10.09:n-old:[歴史的建造物]