長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。
太平洋戦争の激化に伴い、全国で昭和17年から18年にかけて金属回収が繰り広げられました。長井でもその憂き目にあった様々なものがあります。
昭和34年の写真で「横山孫助」翁の胸像移転時のもの。場所は長井小学校南西角。もともと、長井町役場に自治功労者として昭和5年9月29日に建立されたものですが、戦前の金属供出で台座だけになりました。戦後、山形に型が残っていたため、改めて建立されました。写真の胸像は二代目ということになります。現在はつつじ公園にあります。
昭和34年ころの長井橋写真。木製欄干が危険な状態になっています。金属供出後は、木製でしのいでいたのでしょう。鉄製に改修されたのは昭和35年秋ですから、18年近く木製の欄干が設置されていました。
昭和32年5月3日、長井小学校に長沼孝三作「慈愛の像」が建立されました。これは、新学制10周年を記念してPTAが寄贈したものです。この台座をよく観てください。側面を見るとわかりますが、底辺が狭く、上の方が広くなっています。この台座には、「大楠公銅像」がありましたが、供出されています。桑島五郎氏が昭和15年2月11日に寄贈したものでした。長沼氏は、台座だけとなったものを上下逆に使用したものでした。
明治39年10月、つつじ公園南西に建立された「西置賜郡招魂碑」。明治37・38年の日露戦争の戦没者を祀ったもの。青銅製の砲身型の碑も供出されました。昭和18年7月15日に供出の壮行式を行い、昭和18年9月4日、秘密裏に運ばれたとのことです。
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長井古写真物語 49 金属供出
2014.04.08:n-old:[歴史的建造物]
長井古写真物語 48 長井警察署二代目庁舎
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。
長井警察署の二代目庁舎は大正9年、現在の山形銀行南に新築されました。一代目の庁舎が、時代の趨勢に合わなくなったことや老朽化したことにより、移転したものです。山形県県会では大正8年に新築予算が議決され、翌大正9年7月2日に起工、12月15日に竣工し28日に移転を完了しました。
敷地の535坪を県に寄附し、庁舎建物を県で建築したものです。建坪は121坪で、他に署長官舎30坪、経費は27660円でした。
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長井警察署の二代目庁舎は大正9年、現在の山形銀行南に新築されました。一代目の庁舎が、時代の趨勢に合わなくなったことや老朽化したことにより、移転したものです。山形県県会では大正8年に新築予算が議決され、翌大正9年7月2日に起工、12月15日に竣工し28日に移転を完了しました。
敷地の535坪を県に寄附し、庁舎建物を県で建築したものです。建坪は121坪で、他に署長官舎30坪、経費は27660円でした。
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2014.04.07:n-old:[歴史的建造物]
長井古写真物語 47 長井警察署初代庁舎
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。
初代長井警察庁舎は、明治14年、大町摂取院入口の北側、撞木橋の北隣に新築されました。明治14年4月7日起工、11月24日に開業しました。庁舎手前に写っているのは、撞木橋と上人松です。
敷地は東西14間(25.2m)、南北6間半(11.7m)で、本庁舎一棟(間口5間、奥行き5間)、外に留置場一棟、便所、掲示場、柵13間半、板塀19間半の整備でした。寄附で賄われ、寄附金総額は1967円。
洋風建築三層造りで三階は望楼で、警鐘台となっています。明治11年に洋風建築の西置賜郡役所ができ、続く14年にこの建物ができたわけですから、当時の人は驚いたと想像できます。最先端のハイカラな警察署庁舎は長井の名物となりました。
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初代長井警察庁舎は、明治14年、大町摂取院入口の北側、撞木橋の北隣に新築されました。明治14年4月7日起工、11月24日に開業しました。庁舎手前に写っているのは、撞木橋と上人松です。
敷地は東西14間(25.2m)、南北6間半(11.7m)で、本庁舎一棟(間口5間、奥行き5間)、外に留置場一棟、便所、掲示場、柵13間半、板塀19間半の整備でした。寄附で賄われ、寄附金総額は1967円。
洋風建築三層造りで三階は望楼で、警鐘台となっています。明治11年に洋風建築の西置賜郡役所ができ、続く14年にこの建物ができたわけですから、当時の人は驚いたと想像できます。最先端のハイカラな警察署庁舎は長井の名物となりました。
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2014.04.04:n-old:[歴史的建造物]
長井古写真物語 46 三由軒製糸場
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。
長井は、製糸業の盛んな地域でした。写真は昭和9年当時の工場です。
三由軒製糸場は、明治20年7月、つつじ公園の進展に寄与した横山孫助氏が、単独経営の工場として開業しました。当初は木製炭火製糸機20釜でスタートしたといわれています。明治28年、四ツ谷に工場を新設して仏国式製糸機械48釜を設備、32年には製糸講習所を設立するなど意欲的でした。43年にはボイラーを設備、70釜の大工場となりました。製品は優良で、羽前エキストラに含まれ、信用は確実で着実な成績を収めました。大正10年の生産高は、生糸4530貫目、屑物1400貫目、繭買入高春繭34000貫目、夏秋蚕14000貫目。従業員は163人。11年には工場の大改築を行い活況を呈しましたが、昭和17年2月の企業整備令によって製糸業を廃業しました。
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長井は、製糸業の盛んな地域でした。写真は昭和9年当時の工場です。
三由軒製糸場は、明治20年7月、つつじ公園の進展に寄与した横山孫助氏が、単独経営の工場として開業しました。当初は木製炭火製糸機20釜でスタートしたといわれています。明治28年、四ツ谷に工場を新設して仏国式製糸機械48釜を設備、32年には製糸講習所を設立するなど意欲的でした。43年にはボイラーを設備、70釜の大工場となりました。製品は優良で、羽前エキストラに含まれ、信用は確実で着実な成績を収めました。大正10年の生産高は、生糸4530貫目、屑物1400貫目、繭買入高春繭34000貫目、夏秋蚕14000貫目。従業員は163人。11年には工場の大改築を行い活況を呈しましたが、昭和17年2月の企業整備令によって製糸業を廃業しました。
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2014.04.03:n-old:[歴史的建造物]
長井古写真物語 45 長井小学校のさくら
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。
長井町立尋常高等小学校の南から撮影した昭和9年の写真と考えられます。小学校前は、田圃が広がり唯一1本のさくらが咲いています。現在は道路沿いに桜並木がありますが、この当時ありませんでした。しかし、桜並木は昭和9年に植栽されていますので夏以降でしょう。
この1本の桜は、ここに移転する前の敷地にあった中から、消防組や運送店の協力で道路をひきずり、移植したものと考えられます。その後、桜並木が形成されましたが、これらは皇太子の誕生を記念して西根村から若木を植えたものです。小学校の歴史は「長井まち歩き1 長井小学校第一校舎」を参照下さい。
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長井町立尋常高等小学校の南から撮影した昭和9年の写真と考えられます。小学校前は、田圃が広がり唯一1本のさくらが咲いています。現在は道路沿いに桜並木がありますが、この当時ありませんでした。しかし、桜並木は昭和9年に植栽されていますので夏以降でしょう。
この1本の桜は、ここに移転する前の敷地にあった中から、消防組や運送店の協力で道路をひきずり、移植したものと考えられます。その後、桜並木が形成されましたが、これらは皇太子の誕生を記念して西根村から若木を植えたものです。小学校の歴史は「長井まち歩き1 長井小学校第一校舎」を参照下さい。
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2014.04.02:n-old:[歴史的建造物]