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長井古写真物語 64 あやめ公園長井町編 1

  • 長井古写真物語 64 あやめ公園長井町編 1

「長井市文教の杜」に保管している古写真のコレクションを紹介します。

 

 長井市には二つの大きな公園があります。その一つ「あやめ公園」の昔を紹介します。あやめ公園といっても、植栽されているものは「花菖蒲」です。江戸の昔、花菖蒲は「花あやめ」と呼ばれていました。それが平仮名の「あやめ公園」となったものですが、全国に同じような命名の公園があります。長井のあやめ公園は、明治43年に開園されています。

長井市となった時期は昭和29年11月15日、以前の長井町となった時期は明治22年です。その間のあやめ公園の写真をシリーズで紹介します。

 

明治41年のスタンプが残る写真。高台と呼ばれている場所で、当時は「宮公園」と言われていました。この高台の下、北側にあやめ公園が誕生するわけですが、あと2年待つことになります。

 

明治43年、金田勝見が経営する茶屋近くの5畝ほどに、花菖蒲を植栽しお客さんに花を楽しんでいただいたようです。これがあやめ公園の創始となります。みぎがわに金田屋売店、中央の垂れ幕には土用うなぎの文字が書かれていますね。うなぎを食べながら、あやめを楽しんだのでしょうか。ちなみに、名物となったのが「棒鱈煮」でした。

 

(トップ写真は、文教の杜コレクション「ガラス瓶」です)

 

2014.05.30:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 63 つつじ公園 その3

  • 長井古写真物語 63 つつじ公園 その3

文教の杜保管の古写真から情報を読み取ります。

今回はつつじ公園・その3です。

 つつじ公園のシンボルである「七兵衛つつじ」の写真。北西からの撮影です。七兵衛つつじは明治29年に一部もらい受け、明治43年にすべてをもらい受け、現在の姿となりました。このときから「つつじ公園」と呼ぶようになりました。明治43年と言いますと、あやめ公園の開園した年と同じですね。つつじの本数は27本で現在は長井市指定文化財となっています。西側にある玉造りのつつじ4本は、指定文化財ではありません。残念ながら撮影年代は不明です。右奥に砲型の招魂碑と階段が見えますが、明治39年10月の整備、そして金属回収で撤去された年は、昭和18年9月4日です。昭和初期と考えられます。また、現在と異なるのは、植栽地の高さです。現在は、道路より若干の土盛り程度ですが、このときは小高い土盛りでした。写っている女性も着物姿ですね。

 

 皇大神社を東北の方角から映した写真です。境内を石柱で囲っていました。太い樹木は現在と変わっていません。神社東のつつじを植栽した築山と園路は現在と違っています。ベンチでくつろぐ男性も着物姿。

 

 皇大神社を南側から撮影した写真です。社殿も鳥居も現在のものではありません。現在の鳥居は、明治百年記念として昭和42年9月16日に建立されたものです。現社殿は昭和34年から35年に改築されたもの。境内の石垣の高さを現在のものと比べると高く、盛り土整地されたことがわかります。鳥居両側のご神木は今でも変わりませんね。

 

(トップ写真は、文教の杜コレクション「ガラス瓶」です)

 

2014.05.16:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 62 つつじ公園 その2

  • 長井古写真物語 62 つつじ公園 その2

古写真から情報を読み取ります。長井の昔を楽しんでください。

つつじ公園のその2です。

 つつじ公園南東から見た写真です。左側に「演芸館」が写っています。演芸館は、大正5年に山形市で開催された「奥羽六県連合共進会」の演芸館を移築したもので大正6年以降の写真となります。演芸館は、現在の文翔館(旧山形県庁)敷地内に音楽堂とともに設置されていたものです。演芸館の右側には「ひょうたん池」がありますが、いつ整備されたのかわかっていません。この時には、方形の公園が出来上がっていました。中央に茶屋が写っています。

 

 松ケ池に架かっていた「八千代橋」渡り初め前の写真です。中島に一行が待機しています。

 

渡り初め後の記念写真です。記録には、「昭和4年9月15日午前10時より、安部社掌の司祭の元、開橋式を行う。御大典記念の意を体して「八千代橋」と命名せらる。渡り初めに川崎氏母堂及両夫妻氏令息先導せらる。開橋初に参列せられたる諸氏は町長両助役収入役区会議員及区会議員候補者として推薦せられし諸氏なり」とあります。そして、参列された方々の氏名が記述されています。

 

(トップ写真は、文教の杜コレクション「ガラス瓶」です)

2014.05.15:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 61 つつじ公園 その1

  • 長井古写真物語 61 つつじ公園 その1

古写真から情報を読み取ります。長井の昔を楽しんでください。

 長井の花祭り、白つつじまつりが始まりました。つつじ公園は通称で、正式には松ケ池公園といいます。歴史は古く、あやめ公園より14年も前の明治29年に松ケ池公園として開園しています。市民、当時は町民と行政による開園で、往時のエネルギーが感じられます。

 

明治41年のスタンプが押されています。左に見えるのが「松ケ池」、右側に位置するのが記功碑を建立した築山、奥に見えるのが明治39年に建立された西置賜招魂碑が。この年から3年で整備され、区画も方形となりました。

 

明治30年に建立された紀功碑の後ろ側(東側)です。築山と築堤がつながっています。築堤も随分の高さがありました。四阿も。

 

記功碑のさらに東側にありました、明治39年の招魂碑。砲身型の記念碑のわきに、平成14年の強風で倒れましたポプラが立っています。右側に石柱がありますが、「五訓の森」の標柱です。ケヤキ・マツ・スギ・イチョウ・ヒノキの5種類が植えられました。現在ではその場所に「白龍山人菅原白龍先生碑」が昭和35年に建立されています。

(トップ写真は、文教の杜コレクション「ガラス瓶」です)

2014.05.13:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 60 両羽銀行

  • 長井古写真物語 60 両羽銀行

長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み取ります。

  両羽銀行は明治29年に創立、幾多の合併等を重ねました。そし昭和40年4月1日に山形銀行と改称しました。長井にはといいますと、明治30年3月29日、宮十日町に出張所が置かれ、明治34年8月には両羽銀行長井支店と改称しました。大正15年9月に栄町に移りましたが、写真がそれです。銀行のプレートが真新しく、玄関わきの立て看板には建て替えをするので迷惑をかけます、仮の建屋はと案内しています。

(トップ写真は、文教の杜コレクション「ガラス瓶」です)

2014.05.01:n-old:[歴史的建造物]