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長井古写真物語 69 あやめ公園長井町編 6

  • 長井古写真物語 69 あやめ公園長井町編 6

「長井市文教の杜」に保管している古写真のコレクションを紹介します。

 

長井市のあやめ公園は明治43年に開園しました。長井町時代(昭和29年11月14日まで)のあやめ公園の古写真を紹介します。

 

昭和10年、築山と滝が造成され、その前でとられた写真。現在のあやめ会館の東側に今も涼しげな風情を残しています。

 

昭和12年には「あやめ公園開園記念碑」が、公園南側に建立されました。写真は、昭和12年7月11日に記念碑の除幕式後の記念撮影。右から3番目が句を詠まれた一人、大谷五花村で明治期以降の川柳大家です。残る二句は、飴ン坊、剣花坊でいずれも川柳の大家です。この記念碑は、平成12年に公園改造に伴い中央に移設されました。

 

 詠まれた句の拓本も紹介します。

 剣花坊

人去りて 地にむらさきの 詩が残る

 

 飴ン坊

魂は ゆかりの色も よみかへり

 

 五花村

名園の 花を生かして 絵雪洞

 

(トップ写真は文教の杜コレクション「ガラス瓶」です)

 

2014.06.06:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 68 あやめ公園長井町編 5

  • 長井古写真物語 68 あやめ公園長井町編 5

「長井市文教の杜」に保管している古写真のコレクションを紹介します。

 

長井市のあやめ公園は、明治43年に開園しました。長井町時代(昭和29年11月14日まで)のあやめ公園の古写真を紹介します。

 

昭和8年には、民間団体の北斗会が高台入口南に「あやめ会館」を建設しました。あやめ会館の名付け親は高橋忠吉で、商品に米1俵でした。高橋忠吉はその後昭和27年、「長井あやめ鉢愛好会」を設立する人物。

あやめ会館に合わせるように、個人の建設によるカフェ「グリーンホール」が高台下西に整備されました。なかなかモダンな3階建てです。

 

(トップ写真は。文教の杜コレクション「ガラス瓶」です)

2014.06.05:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 67 あやめ公園長井町編 4

  • 長井古写真物語 67 あやめ公園長井町編 4

「長井市文教の杜」に保管している古写真を紹介します。

 

長井市のあやめ公園は明治43年に開園しました。長井町時代(昭和29年11月14日まで)のあやめ公園の古写真を紹介します。

あやめ公園南西側から撮影された写真。中央に、小さく写っている石柱が「山形県一名所」碑です。そのアップが下記の写真。

 

石碑の上部に丸い照明灯があります。現在はありません。

昭和5年、山形新聞社主催の「山形懸一十秀決戰リレー投票」があり、その名所の部で「あやめ公園」が県一に輝きました。その投票数、158,723票。名所の部以外に、名山、名湯、古跡、銘酒、名産、銘社寺、美人、名匠、子福者、大男大女の部がありました。子福者とは、子だくさんのことです。時代を感じます。石碑の銘板には窪田県知事による「山形縣一名所」と揮毫、その両脇に「縣民投票 最高當選」と表記されています。

この年のあやめ公園の面積は2ヘクタール、中央噴水と池が整備されました。

 

(トップ写真は、文教の杜コレクション「ガラス瓶」です)

 

 

2014.06.04:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 66 あやめ公園長井町編 3

  • 長井古写真物語 66 あやめ公園長井町編 3

「長井市文教の杜」に保管している古写真のコレクションを紹介します。

 

長井市のあやめ公園は明治43年に開園しました。長井町時代(昭和29年11月14日まで)のあやめ公園の古写真を紹介します。

 

大正10年の園内茶屋。場所は現在の公園南西で、金田勝見の経営する茶屋です。多くの人力車が待機していますね。

 

公園中央部。やはり水路には屋形船が浮いています。

 

高台北西の水路。土の橋が架かっていました。将来、左側に開園記念碑、中央奥に名所県一碑が建立されます。

 

(トップ写真は、文教の杜コレクション「ガラス瓶」です)

2014.06.03:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 65 あやめ公園長井町編 2

  • 長井古写真物語 65 あやめ公園長井町編 2

「長井市文教の杜」に保管している古写真のコレクションを紹介します。

 

長井市のあやめ公園は明治43年に開園しました。長井町時代(昭和29年11月14日まで)のあやめ公園の古写真を紹介します。

 

昭和初期のあやめ公園。絵葉書です。川面に屋形船のシーン、手前に花菖蒲が配置されています。場所は高台北側。写真下にかっこ書きで「曙売店」とあります。曙とは萩園のことで、売店で販売していたものと思われますね。

 

一枚目の写真を着色した絵葉書です。なかなかの出来栄えです。発行所の記載は、残念ながらありません。

 

水路とあやめのカットです。中央に堤防のようなものが見えますが、国鉄長井線です。赤湯長井駅間の開通が大正3年、荒砥までは大正12年に全線開通しています。中央上に角形の看板がありますが、「アヤメ」とはいっています。その奥には、うっそうとしたスギ林が見えます。

 

(トップ写真は文教の杜コレクション「ガラス瓶」です)

2014.06.02:n-old:[歴史的建造物]