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ながいまちなみ物語 古地図編4

  • ながいまちなみ物語 古地図編4

長井の街並み編の古地図を数回掲載します。古地図編3に続く大正3年の地図。駅前通りから南側、小出地区のものです。

 

 

道路沿いの番号の店等は下記に。

 

 

①松ケ池公園 明治29年、小出公園と呼んでいた場所を立原和愛によって松ケ池公園と名つけられました。明治26年には何もなかった皇大神社東側に造園していった。池を掘って松ケ池公園と名付けられことから明治29年には松ケ池があったが、ひょうたん池はまだない。池の東には明治30年4月に建立された征清記念碑と明治38年11月建立の西置賜郡招魂碑が記載されている。演芸館の記載はないが、大正6年築なので、3年後である。

 

■郡是製糸場 手書きで「羽陽館」を「郡是」に直しているが、郡是は大正9年操業なので、9年以降に手書きされたものと考えられる。郡是製糸株式会社は、大正8年11月に「羽陽館両角製糸所」を買い取り、長井工場が誕生、大正9年2月1日に操業開始した。

 

(資料:文教の杜、長井市史、続長井夜話)

2014.07.25:n-old:[歴史的建造物]

ながいまちなみ物語 古地図編3

  • ながいまちなみ物語 古地図編3

長井の街並み編。第1回から数回、古い地図が出てきます。大正3年の地図です。

 

  大正3年と言えば、長井の街並みが飛躍的に変わる年でしょう。軽便鉄道が長井まで開通し、長井駅が開業、合わせて長井町に初めて電灯が灯った記念すべき年です。この地図も鉄道が開通した記念に作られたもの。道路沿いに番号があります。この番号は、お店などを表しています。ちょっと見にくいかも知れませんが、下記に示します。

 

 

①長井駅 長井駅ではなく、長井ステーションとなっている。当時は人や荷物を運ぶ馬などの中継地としての「駅」がまだあったの、英語表記となっている。しばらくは、鉄道の駅を「停車場」と呼んでいた。

 

大正3年11月15日、開通記念時。ゲート奥に初代駅舎が見える

②長井小学校 古地図編2の小学校の位置とまったく違っている。中央十字路西から東に移動。長井線の開通に合わせて移動している。この地図が印刷された時は、まだ建築中で翌年の大正4年4月に完成した。しかし、この校舎は不運にも大正6年5月23日の大火で類焼してしまった。

 

 

 

2014.07.24:n-old:[歴史的建造物]

ながいまちなみ物語 古地図編2

  • ながいまちなみ物語 古地図編2

新シリーズです。長井の街並み編。第1回から数回、古い地図が出てきます。

 

大正元年ころの小出地区。上が西を示す。駅前通りから南側の地図。

 

①羽陽館製糸場 明治7年から操業、以降規模を拡大している。明治末には経営者が変わっている。

 

②裁判所 明治23年8月1日、長井区裁判所が設置されている。大正7年には廃止され、米沢区裁判所出張所となった。

 

③長井郵便電信局 旧小池医院の北側にあり、明治36年4月に新築された。当時は郵便事業と電信事業を合わせて実施していた。

 

④松ケ池公園 明治29年に開設。つつじ公園と呼ぶようになったのは明治43年で「花作の七兵衛つつじ」を移植完了した年。

明治43年当時

 

⑤白山神社・長遠寺

 

⑥横山製糸場 三由軒製糸場は、明治20年7月開業、四ツ谷に工場を新設したのは明治28年。昭和17年の企業整備令まで続いた。

 

⑦薬師堂

 

(資料:文教の杜、長井市史) 

2014.07.23:n-old:[歴史的建造物]

ながいまちなみ物語 古地図編1

  • ながいまちなみ物語 古地図編1

新シリーズです。長井の街並み編。第1回から数回、古い地図が出てきます。

 

       大正元年ころの地図  駅前道路から北側部分

 

大正元年頃の地図です。概ね宮地区で、上が西を示します。現在とだいぶ道路網が違います。当時の道路では、駅前通りやグンゼ通り、成田に抜ける道路はありませんね。

①品評會場 議事堂・郡役所・織物検査所

  ・郡会議事堂・・・明治44年10月。

  ・西置賜郡役所・・・明治11年11月。

  ・元郡会議事堂(織物検査所)・・・明治20年度。この建物が手狭に老朽化したため明治44年に郡役所北側に新築した。

 

明治44年以降の絵葉書。北に郡会議事堂、中に郡役所、奥に元郡会議事堂が。

 

 品評會場の表示は、大正元年11月に「山形県織物同業組合連合会品評会」がここ文教の杜を会場に開催されていることが、関係してるかもしれない。

 

②偕楽館(かいらくかん) 明治34年創設。宮公園の入り口に。花道・桟敷・枡席を備え多くの楽しみを提供したが、大正3年の改装の後、天童の業者に買い取られた。

 

③宮公園 現在のあやめ公園高台。あやめ公園と呼ぶようになったのが明治43年だが、地図上では宮公園を使用している。

明治41年当時の宮公園

 

④遍照寺・普門坊・總宮神社  現在と変わらないが、屋根が茅葺だった。

 

⑤十日町郵便局 明治41年2月1日に長沼酒造向かいに。昭和27年まで。

 

⑥税務署 明治26年12月1日に長井収税署として設置、翌年に長井税務署に改名

 

⑦長井警察署 明治14年11月24日に開業、大正9年まで。洋風建築三層造りで三階は望楼で警鐘台となっていた。

 

⑧常楽院 現在の建造物は二代目。初代は大正6年5月3日の大火で焼失している。

 

⑨町役場 明治27年に新築された。それまでは、摂取院・念仏堂と間借りした役場だった。

 

⑩長井学校 明治15年、宮小出小学校として新築。名前が、平章・高等尋常小学校・尋常高等小学校とかわり、軽便鉄道が長井に来るまでこの位置にありました。

明治43年の写真。左が小学校、右に盲学校

 

⑪私立置賜盲学校 明治43年4月、竹田嘉蔵氏が立ち上げた盲学校。下長井唯一の慈善公益事業だった。

⑫摂取院

 

(資料:文教の杜、長井市史)

 

  

 

2014.07.22:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 80 長井市章

  • 長井古写真物語 80 長井市章

古写真から情報を読み取ります。長井の昔を楽しんでください。「長井市文教の杜」に保管している古写真のコレクションを紹介します。

 

  長井といえば「あやめ」です。あやめは、長井市の花にもなっていますが、市章もあやめがデザインされています。デザイナーは長井市出身の長沼孝三氏。昭和38年10月17日に決定されました。今年は長井市制60周年にあたります。昭和29年11月15日に一町五カ村が合併、長井市が誕生します。しかし、当時は市章がなく、9年後にようやく作られました。当時、市章となったデザイン画のほかにも候補がありました。どのような経緯で今の市章となったかはわかりませんが、これまで見つかったデザイン画を紹介します。

  

    市章に決定したデザイン画

 

 

以下選にもれたデザイン画です。

 

 

 

最後のデザイン画には注意書きがあります。右側には

スぺニングを▸ 上向きに   末広がりの   力強く羽バタク鳥を形どり   長井市の発展性を表現す。

右側には

ポイントは▸ 「な」をデザインし、  幾何学的にして  常に正しい市政、たゆまぬ進歩  円満な市政

 

長沼氏の制作意図が書き込まれたものと思います。

これでようやく市章が決定し、市旗や徽章等に使用されました。

 

 

2014.06.24:n-old:[歴史的建造物]