HOME > 歴史的建造物

ながいまちなみ物語 5 長井駅前通り 4

  • ながいまちなみ物語 5 長井駅前通り 4

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。

 

 

 

昭和30年暮れから昭和31年冬の写真。中央十字路南西角にあった梅屋商店、写真右側の建物は朝日パチンコ店だ。その奥に小浦履物店、木村家がと続く。木村家の食パンの看板、非常に目立った表示で、夜はネオンが輝いた。道路中央には長井市で整備したできて間もない歓迎ゲートがある。夜になると、こちらもネオンがつくようになる。

 

この写真は、上記写真の年代の少し前のものと考えられる。初売りの光景で多くの町民でにぎわった。

 

(資料:文教の杜・長井市史)

 

 

 

2014.08.13:n-old:[歴史的建造物]

ながいまちなみ物語 4 長井駅前通り 3

  • ながいまちなみ物語 4 長井駅前通り 3

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。長井駅前通りの第3弾、昭和9年の駅前通りの姿だ。

 

昭和9年発行の市勢要覧に掲載された写真。前段の「長井駅前通り2」の20年後の写真だ。奥が長井駅、右端の建物は現在の中央安城の場所。すずらん灯が整備されているが、駅側と中央十字路近くのデザインが異なっているのが面白い。道路も舗装されている。舗装されたのは昭和8年6月4日で、長井で初めての舗装道路である。しかし、舗装はここまで(中央十字路付近)のようである。ボンネットバスが時代を感じさせる。

 

昭和8年の写真。上の写真の1年前である。舗装道路がきれいに写っている。道路の北側が写っているが、立派なまちなみを形成している。お菓子屋があり、常設映画館・菊水館も。すずらん灯が整然と並びなかなかの家並みだ。写真に写る「歓迎塔」はあやめ祭りのもの。あやめ公園は昭和5年に名所県一位になって以来、長井線を利用した観光客でにぎわった。長井駅からあやめ公園まで、人がつながったという話を聞くが、あながち嘘ではないかもしれない。

 

(資料:文教の杜・長井市史)

2014.08.12:n-old:[歴史的建造物]

ながいまちなみ物語 3 長井駅前通り 2

  • ながいまちなみ物語 3 長井駅前通り 2

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。大正3年は、長井にとって大きな飛躍の年になる。長井軽便鉄道が長井まで開通、長井駅が開業した。合わせて電気が初めて長井に。

 

この一枚の絵葉書も長井駅開通時のもの。写りこんでいないが、奥に長井駅。両側には連担したまちなみが見て取れる。現在の中村循環器科医院に所に長井小学校があったが、その西側の区域のように見える。目線も高い。このころになると、茅葺屋根だけではなく、トタン屋根も確認できるがそう多くはない。この人だかり、近郷から集まったとされているが、当時の息吹も感じ取れる一枚である。

 

(資料:文教の杜・長井市史・長井年表)

 

 

2014.08.11:n-old:[歴史的建造物]

ながいまちなみ物語 2 長井駅前通り

  • ながいまちなみ物語 2 長井駅前通り

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。大正3年は、長井にとって大きな飛躍の年になる。長井軽便鉄道が長井まで開通、長井駅が開業した。合わせて電気が初めて長井に。

 

大正3年11月15日、軽便鉄道が長井まで開通し、長井駅が「長井ステーション」として開業した。写真は「祝開通」の文字が入る歓迎ゲートだ。奥に見えるのが、初代長井駅。駅前からの撮影。

 

 

見物に集まった人々を撮影した写真。駅前通りの左側、小出地区側には建物が並び「祝開通」の文字も見えるが、右側、宮地区側には建物らしきものは見当たらない。臨時的なものはあるのだが、田んぼが広がっていたようである。道路の両側には提灯が下がり祝賀ムードを作っている。長井駅に伸びる道路は、長井駅開業に合わせた整備であるため、当時は田んぼだったことが当然であった。その後急速にまちなみが形成されていくことになる。

 

(資料:文教の杜・長井市史・長井年表)

2014.08.08:n-old:[歴史的建造物]

ながいまちなみ物語 1 本町通り

  • ながいまちなみ物語 1 本町通り

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。

 

 

明治43年12月月5日の日付が入る本町通り。石川肉店あたりからの風景とされている。日付の12月15日は「長井町内に51個所に特設電話が架設」された日。電柱100本建てられ、この写真には8本写りこんでいる。

この道路は明治以前からある。両側には切妻屋根が多く、茅葺屋根である。道路は砂利道で両側には側溝があり、切石組みと素掘りの堀が混在している。道路の修繕で砂利を敷いていくために次第に高くなっていく。そしてついには20センチもの高さになっていった。当時はあら町・本町・栄町・大町までのこの道路沿いが唯一の商店街だった。

この同じ年、舘町から神明町を通って病院までの「東裏道路」が出来上がる。

そして、同じ明治43年、長井の人がに初めて自動車を見ることになる。秋のこと。キリンビールの宣伝にのために、仙台からやってきたのである。その自動車はイギリス製で「ローレント・クロメントバイヤー号」。珍しい自動車を見ようと、弁当を持って集まったとされている。この道路も走ったにちがいない。

(資料:長井市史・年表・続長井夜話・文教の杜)

2014.08.07:n-old:[歴史的建造物]