まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。
昭和33年から34年の空撮写真。野川に架かる野川橋は昭和33年3月21日に渡り初めが盛大に催された。野川橋に伸びる道路は、十日町と成田を結ぶもので昭和10年に。それまでは、あやめ公園東を通る道が唯一の成田へ行く道だった。左側に斜めに走る道がそれだ。この街道の延長上に旧野川橋が架かっていた。それを如実に表した写真が下記の写真だ。
成田側の左には「萩公園」が。もとは、「あけぼの園」と言っていた。安部林蔵氏が私的に造園したもので、昭和2年から。もみじや萩など、大変な評判となった名物は、おはぎと棒鱈煮。
永久嬌となった野川橋の渡り初め。昭和33年3月21日のこと。以前の木橋はたびたび流されている。鈴なりの市民の多さに、永久嬌の期待が垣間見える。
昭和33年8月、成田地区から撮影。
左下には「あやめ公園」が写っている。現在の北駐車場にあたるエリアは、まだ整備が進んでいない。
(資料:文教の杜、長井市史)