まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。
中央十字路を北から南方に撮影した写真。昭和32年とされるが、長井中のゼッケンを着けて、大会旗を持って走る。中央十字路(当時は山交十字路と呼んでいた)には「喫茶と軽食すゞや ソフトクリーム・生ビール」が建っていた。後の齋藤時計店であり、ギャラリー十字路だ。その奥は鈴木薬局、茅葺屋根の駒屋と続く。この中央十字路に信号機がつくのは昭和37年。
まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。
中央十字路を北から南方に撮影した写真。昭和32年とされるが、長井中のゼッケンを着けて、大会旗を持って走る。中央十字路(当時は山交十字路と呼んでいた)には「喫茶と軽食すゞや ソフトクリーム・生ビール」が建っていた。後の齋藤時計店であり、ギャラリー十字路だ。その奥は鈴木薬局、茅葺屋根の駒屋と続く。この中央十字路に信号機がつくのは昭和37年。
まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。
昭和32年、四ツ谷佐藤商店並びの写真。奥隣は松岡自転車店。畳を出しているが、水害があったのか。年表にはこの7月に「大水害のため災害救助法を発動、市民長小に避難」とある。電柱には、出羽海一門大相撲の張り紙が。
まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。
栄町通り。昭和31年5月26日に繰り広げられた「山形県都市訪問駅伝競走」のスタート写真だ。場所は、現在の仁陽堂外田医院前から北方を撮影。現在の今野石材店北がスタートラインだった。真ん中に見える電柱の後ろが岩城屋さん。ちなみに、この競争は「昭和の大合併」を記念して昭和30年に第1回目、昭和31年ということは第2回大会である。岩城屋さん以外は街並みが変わっている。
まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。
ながいまちなみ物語16市役所前通りの東側の写真。昭和35年春。大正9年当時は「櫻堤防道路」と呼んでいた。木蓮川に架かる橋は「さくら橋」。橋を境に舗装道路と砂利道に分かれている。舗装は昭和34年11月のこと、まだ半年もたっていない。奥の堤防沿いには「大正天皇御即位記念桜」が見事な花を見せている。4間間隔で植えられた。両側はまだ田圃と畑が広がり、民家1軒が見える。のんびりと花見にいくのだろうか。気持ちよさそう。
さらに、その奥の写真。貸し切りバスで花見なのか、堤防に多くの人がいる。この時代には、堤防に通ずる道路南側にも桜が植栽されていた。
(資料:文教の杜、長井市史)
まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。
市役所前の通りの舗装工事写真。昭和34年の秋。工事完成は11月となっている。左側には、真新しい市役所庁舎が写っているが、完成は昭和33年11月3日なので、ピカピカだ。市役所の奥には長井小学校、手前に松の木が見えるが、当時の町会議員が植えたもので「議員松」と呼んでいる。現在は16本だが、古株は5株ある。その奥には、ちょっと見えにくいが、「慈愛の像」がある。昭和32年5月3日の建立で、PTAが新学制施行10周年を記念して長沼孝三氏に製作を依頼したもの。
目を右側に転ずると、西方石炭店、そして、写ってはいないが長井保健所、続いて市役所分庁舎が少し見える。保健所は昭和15年7月6日に完成しその後昭和26年に増築している。分庁舎は、現在の第二庁舎のところ。市報では、この建物は「昭和22年ごろの自治体警察庁舎」となっている。
同じ舗装道路工事写真で、長井駅の方向。右側に市役所の駐輪場と駅前の街並みが連担している。
同じ長井駅の方向写真。左側に山交バス駐車場、その奥に「組合のくすり」の看板。協同薬品だ。これは昭和21年に全国製薬株式会社東北工場として操業開始し、翌昭和22年には協同薬品工業株式会社と変名、昭和28年工場の増設、昭和35年には現在の郡是通りに移転した。
右側の建物は、佐々木釣具店、その西隣は職業安定所の建物がある。この建物は昭和37年まで使用され、以後市役所の分庁舎として利用された。
(資料:文教の杜、長井市史)