まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。
昭和35年の写真。いずれも中央十字路から東側を撮影したもの。
中央十字路東南角から、すゞや食堂・コンノ美容院・〇〇・第一生命・停留所・ハギノヤラジオ店・神戸食堂・協同薬品。
その反対側のまちなみ。中央に市役所の煙突部が見える。
まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。
昭和35年の写真。いずれも中央十字路から東側を撮影したもの。
中央十字路東南角から、すゞや食堂・コンノ美容院・〇〇・第一生命・停留所・ハギノヤラジオ店・神戸食堂・協同薬品。
その反対側のまちなみ。中央に市役所の煙突部が見える。
まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。
昭和36年から昭和39年までの本町通り。市内で一番にぎやかな商店街だ。現在は街路事業によってすべてが変わる。
昭和36年の写真。4月から長井市初の駐車禁止に。長崎屋前から撮影されたもの。右側の街並みは、末広・南金物店・宮城書店・大丸・加賀屋旅館。
同じ昭和36年8月、七夕まつりの写真。上記写真とほぼ同じ位置からの撮影。写真中央に駒屋の「中華そば」の看板が見える。
昭和37年、中央十字路から南側を撮影。長井市初の自動信号機が設置されたが、警察官が立哨し指導している写真。南角の店舗が「すゞや」から齋藤時計店に替わっている。隣が鈴木薬局。反対側は、梅屋・旧町役場と続く。
昭和35年、旧役場前あたりからの撮影。左側に店舗は、川村硝子・加賀屋旅館・大丸・宮城書店・南金物・末広。右側は、新橋・羽田時計店・床屋小川・風林堂・梅村呉服店。
昭和39年の写真。末広の南側から中央十字路方向を撮影。
昭和39年、現在の労働金庫前から本町通りの方向を撮影。左からコンノ写真館・竹田履物店。正面は金田自転車店。道路はまだ舗装されていない。
昭和39年には次のような出来事があった。
昭和39年4月 公益質屋、犬税がなくなる
昭和39年4月 巡回文庫「いなほ」号スタート
昭和39年6月 新潟地震
昭和39年7月 野呂川整備始まる
昭和39年9月 平野小学校の桂谷分校廃止
昭和39年11月 市制施行10周年と鉄道開通50周年で記念式典
まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。
昭和35年から38年代の栄町通り、中央十字路(当時は山交十字路)から北側のまちなみだ。
昭和38年撮影。中央十字路鈴木薬局から栄町が撮影されている。信号は長井市初めての設置で昭和37年9月。写真から読み取れるお店は。
十字路から右側:山交営業所・○○・船山床屋・ストウヤ呉服店・○〇・長井消防署・長井警察署(昭和37年から長井郵便局)・両羽銀行・仁陽堂・○○・東北電気工事・富士電化センター・鈴木タイル工業所・八木洋服店・○○
十字路から左側:安城支店・ますや・○○・電報電話局・橋本茶舗・芳賀醤油店・今野石材店・小野木工所・ガソリンスタンド・岩城屋
奥に大町の歓迎ゲートが写る。右側には両羽銀行の看板が見える。山形銀行となるのは、昭和40年4月1日。
昭和35年の写真。ますや前から撮影。
左側の建設中の建物は長井郵便局。昭和37年10月にオープンした。隣に消防署、そしてレンガ造りの建物は旧羽前銀行。緑色のレンガタイルだった。昭和37年当時は、山形中央信用組合は入っている。当組合は、もともとは置賜信用組合で、電電公社の庁舎新築に伴い移転したもの。
昭和37年、撞木橋あたりからの写真。右側が岩城屋。電報電話局、消防署の火の見櫓が見える。
昭和35年から38年までの主な出来事をまとめた。
昭和35年5月 長井南駅誕生
昭和35年6月 第1回市民美術展開催
昭和35年8月 長井駅西土地区画整理事業完成
昭和35年9月 法施行後の長井商工会誕生
昭和35年11月 長井橋の欄干が鉄製に
昭和36年4月 本町通りが駐車禁止に
昭和36年10月 長井文化協会発足
昭和36年11月 第1回長井芸術祭開催
昭和37年1月 長井市子供会育成連絡協議会発足
昭和37年4月 長井工業高校設立
昭和37年7月 花菖蒲長井古種発見される
昭和37年9月 中央十字路に自動信号機
昭和38年1月 空前の大雪。38豪雪
昭和38年2月 初の市政功労者表彰
昭和38年6月 野川土地改良区設立
昭和38年8月 第1回長井パレード
昭和38年10月 長井市章制定
昭和38年11月 第1回文化財展、第1回市民音楽祭開催
昭和38年12月 市内5地区の出張所廃止
まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。
昭和34年から35年にかけての駅前街並み。昭和29年に長井市が誕生し、街並みがどんどん変わっていく。長井市の新庁舎が昭和33年11月に竣工し、その翌年に前の道路が舗装された。行政にも大きく変わる時期で、行政機構では市民課や商工課、財政課が新設された。置賜総合開発協議会もこの時期の結成、長井市議会議員選挙が新条例で行われたり、法施行後の商工会創立も昭和35年である。
これまでも出た写真だが、昭和34年、長井駅をバックに東側を撮影。ど真ん中に歓迎塔、奥に歓迎ゲートが見える。
中央十字路あたりから撮影した写真。昭和35年。この歓迎ゲートは昭和30年から38年まで使用された。
昭和34年の写真。現在の木村家前から長井駅方向の撮影。
これらの写真から読み取れるお店は次のとおり。解明できたものだけ掲載した。
中央十字路から南側 梅屋/クルテス(スーパー)/ゲート/クドウ洋装店/木崎家具/銀河ホール/ムスメヤ花店(支店)/農協倉庫/渋谷洋品店/丹波屋/郡是道路/家具/千代田生命/丸福食堂/イズミヤハイヤー/和泉屋旅館/長井駅
中央十字路から北側 安城支店/朝日パチンコ/小浦履物店/木村家/長井理研/ゲート/文化園/住友生命/みよしの/さかえや/○○/三春/菊水館/いなば/日本生命・ともえや/○○/長井駅
まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。
粡町通りの写真。56年前の昭和33年11月4日、市役所庁舎の落成記念で、神町自衛隊が行進演奏したときの一コマだ。左に山清、板塀があって山一醤油店と続く。反対側には水路があって、昔の時間も今の時間も同じだ。まったくといっていいほど変わらない街並みは、長井の宝物だ。庁舎の落成は、一代イベントであった。市内高齢者1,021名の招待、祝賀仮想行列、庁舎前の自衛隊演奏会、長井懐古展、物産展示、アマチュア無電(無線ではない)展示、地区回り駅伝、市民歌発表など盛りだくさん。一般公開も11月4日から3日間実施された。