「直江兼続VS最上義光」〜決戦!出羽の関ヶ原・慶長出羽合戦
慶長出羽合戦
伝国の杜(上杉博物館)の公式サイト。
伝国の杜は県立置賜文化ホールと米沢市上杉博物館の機能を併せ持った文化施設です。 博物館には上杉家の歴史がわかりやすく展示されています。 肖像画や文書など直江兼続関連の資料を多数所蔵しています。 織田信長が上杉謙信に贈った国宝「洛中洛外図屏風」も所蔵・展示しています。 →伝国の杜公式サイト |
最上義光歴史館の公式サイトです。
山形発展の基礎を築いた戦国武将最上義光の功績を顕彰する施設として、平成元年(1989)に開館しました。 最上家及び義光に関する資料が展示されており、直江兼続直属の部隊の旗といわれている「雁金の軍旗」ほか、長谷堂合戦の資料を所蔵しています。 →最上義光歴史館公式サイト |
出羽最上57万石、最上氏の居城です。
現在市民の憩いの場となっている「霞城公園」は山形城の二の丸部分。 国指定史跡となって、二の丸東大手門や本丸一文字門も復原されました。 南北朝時代の延文元年(1356年)、奥州大崎から最上に入った斯波兼頼が築城。 この山形城を全国でも指折りの大城郭にしたのは、第11代城主の最上義光でした。 堂々とした二の丸(今の霞城公園)は、文禄年間(1592年〜96年)以後に築かれたと推定されています。さらに慶長5年(1600年)以後には、57万石、出羽の太守にふさわしい巨大な城につくり改められました。 町には各地から集まった商人や職人が住み、市が立ち、生産や物の売買が盛んに行われていたと考えられます。寺や寺院を建て、街路にはクランクやT字路を設けるなどの防衛の配慮もなされています。 当時の山形の人口はおよそ3万人ぐらいで、奥羽地方でも最大の都市だったと推定されています。 史跡マップ>>こちら ...もっと詳しく |
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(C) 山形市・最上義光歴史館
上杉の城下町・米沢および山形県置賜地域から、「天地人」に関係する情報が満載です。
→大河ドラマ「天地人」直江兼続やまがた情報局