山形は映画の街と言われる。しかし、父が映画館「フォーラム」を創業した1984年当時は、観たい映画が上映されないことが多く、山形の映画ファンは東京まで行くしかなかったと聞く。
「フォーラム」は、地方都市のそんな状況を打破すべく、映画好きの仲間たちが作り上げた市民の映画館である。子どもの頃の私は、まだそんなことが理解できるはずもなく、集まった人々から遊んでもらいながら育った。大人になって分かったことは、映画の上映本数に関して山形は地方都市の中でズバ抜けて恵まれた状況にあること。フォーラムに関わる人々の努力の結晶によって、ここまで来ることができたのだと知った。
私は22歳から30歳まで中学校教諭という道を歩んだが、フォーラムをいつまでも残したいという思いにかられて戻ってきた。10年後も今と変わらず、フォーラムが山形の映画ファンにとって大切な家と思っていただけるように、毎日の仕事に誠実に取り組みたい。
フォーラムネットワーク|長澤 純
2015.11.05:[リーダーズ]
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