今年も娘の中学校では学年主任の先生が『おにぎり通信』を発行してくれています。
そこに書かれてあったこと(一部抜粋)
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かつて「学校」には自分たちで考え、自分たちで表現し、感動や仲間を意識を強く感じることのできる機会がたくさんありました。
つまり、自分たちが獲得するもの、優劣で表現できないものがたくさんあったのではないかと思います。
しかし、今の「学校」はさまざまな時間が削られ、生徒が生き生きと活動できた「放課後」すら一時間もない、という状況です。
(中略)
そうした中で、「学校」に対する違和感、圧迫感を感じる感性を持つ生徒が出てくることは何ら不自然ではないと考えています。
不登校の生徒が、依然として存在するのは、そのことと無関係ではないと考えています。いやそうした生徒がいる、ということの方が「人間らしい」といえるのではないでしょうか?
「高校受験」という「重石」の中で、私たち教師も、保護者のみなさんを含め、今日の社会を作り出しているオトナたちがそもそも「教育」とは何か?「学校」とは何か?「学力」とは何か?を真剣に考えなければならないのではないでしょうか。
今日の「学校」を制度として作っているのは、学校現場ではありません。東京の霞ヶ関にいる優秀な方たちとそれを後押しする教育学者や政治家のみなさんたちです。
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特に最後の文。私はハッとさせられました。
何かと、学校が悪い、先生が悪いと保護者は責めたてがちです。
現場の先生方は、もしたとえ「自分が思う教育」があったとしても、国の方針に従わざるを得ないのだということ。「何か違う」と思ったとしても、日々のやらなければならない業務に忙殺されて向き合う余裕がないのだということ。
さて、私たちに出来ることは何か?
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