今までは不登校というと、その子どもや親を中心に考えてきた。
不登校のきっかけはいじめだったりすることが多い。
いじめてる本人はだたの「からかい」や「冷やかし」のつもりなのかもしれないが。
直接いじめを受けていない子でも、
いじめられてる子を助ければ自分が次のターゲットになる恐怖からいじめを止めることのできない自分を責めて、苦しくなって不登校になる子もいる。
いじめがなくなれば学校に行きたくても行けない子は減ると考えるのは単純すぎるだろうか?
学校からいじめをなくすことはたぶんそうとう前から考えられているし、やってるわな。
でもなんでなくならない?
それで今、いじめの構造をくわしく分析している本を数冊読んでます。
精神科の医者が心理学の面から書いたもの、いじめを苦に自殺したお子さんの親御さんがいじめをなくすための考えを書いたもの、教育現場にいる先生が書いたもの・・・
それぞれにどう見ているのか。なかなか時間がなくて読み進められなくていますが。
いじめる子は家庭で親からいじめられてたりするんですよね。
その子は学校で自分より弱いと思った子をいじめてバランスを取ってるんですよね。
結局、ピラミッドの一番上は大人なんです。大人の社会なんです。
大人はさまざまな苦しい中で生きています。いじめだってあるでしょう。
仕事がうまくいかないとか、一人で子どもを育てているとか、貧困とか・・・
ストレスにさらされていつもイライラしている。
本来大人が守るべき子どもが、その感情のはけ口にされている家庭があるという現実。
不登校という表面化している部分の下の根っこは、実は身近な我々の大人の社会の日常というものなのではないかと考えている。
社会や教育を変えるなんて早々できたもんじゃない。
国は国民が国の言うことを聞くように小さいうちから教育したいもんだから、ちょっとやそっとの力でなんともならないのだけれど、今はとにかく子どもの命を守らねば。
さて、本を早く読み進めたいところだ。
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