娘の小学校では 父母と教師の会から【鈴っ子見守り通信】というものが発行されています。
とてもためになる内容で、毎号興味深く読んでいます。
少し前に発行された通信からですが、いい話をご紹介(^^)
ACジャパン創立40周年記念「作文コンクール」の優秀賞に選ばれた東京都の赤木洋さんの作文です。
『見えない缶』
一日が終わる少し前、仕事を終えて疲れて電車に乗り込む。
するとそこには、なんとも不愉快なものが乗っていた。ガラガラの電車内でガラガラと音を立てた転がる空き缶だ。仕事で疲れている体には、本当に勘に触る音だ。
一体誰が置き去りにしたのか?持って行ってホームの屑かごへ入れるくらいの事がどうして出来なかったのか?腹が立った。
ケータイをいじるふり、音楽を聞くふり、新聞を読むふり。
世の中の無関心に転がされている空き缶。
向こうに転がっていった。
よかった、私の方にはもう来ない。その瞬間、電車が揺れ、缶は私に一直線。来るな!と願うがそれはコツンと私のつま先に。ラッキーにもすぐに、向かいの席に遠ざかって行ったが、このままでは戻ってくる。
目の前の初老の男性が缶を手に取り、足元に立てた。
よかった、あの音は、もう聞かなくてすむ。そう思った瞬間に、電車が揺れ、また缶は倒れ転がり出した。
そして立っていた女性のつま先に。女性は、缶を手に取った。そこでドアが開いた。私は缶の行方を追いながらドアへと向かった。彼女がホームに一歩踏み出したその瞬間、私は頭の中が真っ白になった。
彼女は白い杖をコツコツと地面に当てながら、屑かごに辿り着き、手探りでその缶を捨てて行った。
その缶は目が見えない彼女に見えて、目が見える私たちには見えていなかった。自分が恥ずかしくなった。なぜ私は無視したのだろう?人の視線を気にしていたのか?それを拾うことで視線を浴びてしまうことへの恐怖か?彼女が拾えたのは、人の視線が気にならないからか?私も空き缶を捨てたものと変わらないのではないか?
善意を行うことにも他人の視線を意識してしまう自分、世間との関わりを拒んでいる自分、どうせ誰かがという無関心な自分、すべて自分が作り出している自分だった。
人の視線を意識する前に、自分の意識を変えれば、世間は変わるかもしれない。まず、「自分から」そのことを彼女から教えられた。 (終)
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