時々、シアワセについて なんて考えるんだけど。
最近は こう思うの。
この世に 幸せな出来事も 不幸な出来事もないんじゃないかって。
ただ 起きたことだけがある。
そういう事実があるっていうか。
起きたことに対して
それを幸せだと思うか
不幸だと思うか
だたそれだけのことなんじゃないかって。
何が起きても幸せだと受け取れる人
何が起きても不幸だとしか受け取れない人
ようは考え方ひとつで その瞬間から幸せになれるってことじゃない?
同じひとつの出来事が
ある人から見たら不幸なことでも
別の人から見たらすんごい幸せなことだったりするってこと。
どうだろ?
その通り
要は、明るいも暗いも、広いも狭いも、早いも遅いも
そして幸せも不幸も
相対なのである。
どう感じるかと言う事一つで、人それぞれが違う思いを持ち、それが個人の存在なのでしょう。
絶対とは何かと考えたのがアインシュタイン。
相対を絶対と対比して、絶対は光速であると・・・。
しかし、あらゆるものの全ては、神も含め、今生きている我々の個々の中にしか存在しないのではないかと思うのである。
幸せと感じる事の出来る心を持つことの方が、絶対的幸せを求めるより容易く現実的なのだろう。
僕は、そう生きたい。
菓樹も、きっとそうなのだろうと思うのです。
だって菓樹に行けば、ほんの一時でも僕は其処に居られる幸せを感じるもん(*^_^*)
そして幸せも不幸も
相対なのである。
どう感じるかと言う事一つで、人それぞれが違う思いを持ち、それが個人の存在なのでしょう。
絶対とは何かと考えたのがアインシュタイン。
相対を絶対と対比して、絶対は光速であると・・・。
しかし、あらゆるものの全ては、神も含め、今生きている我々の個々の中にしか存在しないのではないかと思うのである。
幸せと感じる事の出来る心を持つことの方が、絶対的幸せを求めるより容易く現実的なのだろう。
僕は、そう生きたい。
菓樹も、きっとそうなのだろうと思うのです。
だって菓樹に行けば、ほんの一時でも僕は其処に居られる幸せを感じるもん(*^_^*)
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