市側は「駅前立地」に至った意見集約の根拠について、①重要視された分類の上位五つは「アクセス」(56人)、「活性化」(51人)、「安全」(42人)、「周辺環境』」(40人)、「駐車場」(34人)となった、②この結果から、「活性化」「アクセス」については「明らかに駅前が良い」、「周辺環境」「安全」については「どちらかといえば駅前がよい」と4分類において駅前が評価され、総合花巻病院跡地については「駐車場」についてのみ「どちらかといえば病院側がよい」と評価されたことが分かった―としている。
以下に疑問点を列挙する。市民の多くも同じような疑問を抱いており、「新花巻図書館整備基本計画」(案)においては、その点に留意して記述するように要望する。
1)ヒアリングシートの「10分類」の指標は対話型「市民会議」の総意を反映する形で作成されたのか。メインファシリテーターである山口覚・慶応義塾大学教授の助言はあったのか。あるいは同種のひな型を参考にしたのか。
2)上位五つの選択は会議参加者に委ねたとのことであるが、AI による解析によると、そのほとんどが「知のインフラ」とも呼ばれる図書館立地にはなじまない指標となっている。むしろ、商業施設やアミューズメント施設などを対象とした意見集約といった方が的確かもしれない。逆に言えば、会議参加者の側に「図書館とは何ぞや」という根本的な認識が希薄だったことの証左とも言える。こうした「図書館」認識について、メインファシリテータ―や市側の担当者による助言・指導はなかったのか。
3)意見集約に当たって、なぜ上位五つの分類だけを適用したのか。むしろ、「他施設との連携」や「文化・歴史」「防災」など下位の方が図書館立地の適否を判断する上で重要な指標であると考えるが、それを除外した理由は何か。分類指標に順列を付けることを統計学上では「順序バイアス」と呼ばれ、今回の場合も「駅前立地」へ有利に働くような順列になっていると思われる。ただ、こうした腹の探り合いは余り生産的ではないので、この場では駅前立地の決め手とされた「4分類」の指標が”図書館もどき”ではなく、いかに真正の図書館との“親和性”に欠けているのか―以下に具体的な検証を試みたい。
●そのひとつの「周辺環境」について、AI は「駅前は人通りが多く、夜でも明るくて安心できる」(令和7年3月15日号「広報はなまき」)とその理由を回答している。周辺環境あるいは立地環境は図書館のような文化施設の場合、とりわけ重要視される指標である。そのケーススタディとして、以下の事例を取り上げたい。
岩手の地で「石と賢治のミュージアム」(一関市)を立ち上げるなど、賢治を“実践”したことで知られる吉成信夫さんは「公募」によって、岐阜市立図書館の館長を2015年から5年間務めた経験がある。その業績が認められ、2022年には先進的な活動に贈られる最高賞「ライブラリーオブザイヤー」に輝いた。
「みんなの森/ぎふメディアコスモス」の中にその図書館はある。岐阜駅から北へ約2キロメートル、岐阜城がそびえる金華山のふもとにその施設は位置している。設計したのは著名な建築家の伊東豊雄さん。「岐阜駅─長良川─金華山をつなぐ緑の拠点をつくることで、街に緑のネットワークが広がっていくことを期待したい」と設計の動機を語っている。メディアコスモスは開館9カ月半で、来館者100万人を達成した。図書館を含むこの複合施設を軸にした雄大な「周辺環境」が誘客に貢献しているのは言うまでもない。金華山を望むテラス席は人気の的になっている。
一方、当市の建設候補地のひとつだった「病院跡地」も霊峰・早池峰を眺望できる位置にあり(残念ながら、花巻城址はがれきの荒野と化して、見る影もないが)、広い敷地にも恵まれている。メディアコスモスもそうであるように図書館という建造物は「世界の美しい図書館5選」などのセレクションに見られるように、その造形美も試される文化施設である。駅舎やホテルなどに囲まれたビル群の中に造形美を求めるのはそもそも、無理である。「人通りが多く、夜でも明るい」というだけでは余りにもみすぼらしくはないか。これでは図書館が泣いてしまう。
●さらに、AIは「安全」について「駅前は交番が近く、明るく夜も安全」(同上「広報はなまき」)と回答している。一方で、会議参加者の一部からは「病院跡地」について、土砂災害や急傾斜地崩壊などの“災害リスク”を懸念する声も出されたが、議論を深めた形跡はうかがえない。「安全」の解釈の天地の隔たりにびっくりさせられる。
言うまでもなく、建物本体の「安全」の確保は周辺環境に劣らずに重要な指標である。図書館の立地予定地は病院跡地の一部とされたが、市側は確たる証拠を示さずにその安全性は担保されていると述べるに止めた。しかし、当該地全体が市有地である以上、そうした災害リスクを除去することこそが行政の使命である。仮に図書館用地に限らずとも将来、公共施設の利活用に供することを考えれば、安全性の確保の議論こそが急務ではなかったのか。「交番が近いから…」とはこれまた、図書館論議とどう絡むのか。。
●「アクセス」と「活性化」の指標はいずれも通常の「賑わい創出」には欠かせない指標である。公共交通と図書館との相乗効果による駅前活性化(賑わい創出)は他都市(広島市や和歌山市など)でもよく見られるパターンである。しかし当市の場合、「病院跡地」という有力候補地があったにも関わらず、最初から「図書館は駅前でなければならない」という特殊な事情があった。裏を返せば、今回の意見集約は図書館の駅前立地の適否を判断することではなく、「駅前立地」そのものの“お墨付き”を取り付けるのが狙いだったということである。「図書館」はとどのつまり、”刺身のツマ”に過ぎなかったのである。
「年間80万人」の誘客をスローガンを掲げた総合花巻病院の移転・新築が結局は”空手形”だったことを苦々しく思い出す。華々しい謳い文句の背後には必ず、隠された闇が存在するという”教訓”である。そろそろ、結論を急ごう。
「駅橋上化事業(東西自由通路)の見返りが図書館の駅前立地だった。この二つの巨大プロジェクトによって、『受益』する利害関係者にとっては最初から、『駅前』以外の選択肢はなかった」―。反論がある場合は4月23日付で提出したパブリックコメント「『駅前立地』に至る経緯の記述について」に対して、誠意ある回答を寄せてほしい。
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5年有余にわたった新花巻図書館の“立地”論争の結末を見ながら、私はこの絵に描いたような“茶番劇”に妙に得心する気分になった。JR花巻駅前のスポーツ用品店敷地にある日突然、「青天霹靂(せいてんへきれき)」劇場が幕を開けた。鳴り物入りの演目は「ある不幸な出自―「『住宅付き図書館』の駅前立地」物語…上田東一市長自らが脚本・演出を手がけたこのサプライズこそがすべての始まりだった。
多くの時間と莫大な金を投じたこの長編劇の筋書きは乗客(市民)をいかにして、終着の「JR花巻駅」まで無事に“道連れ”にすることができるかどうかにかかっていた。その都度、”中立・公正”を装うための、色んな小細工が用意された。たとえばー。度重なるワークショップや市民説明会、「事業費比較」調査、公募「プロポーザル」、果ては真っ黒く塗りつぶされた公文書や議会質疑における虚偽答弁と反問権の乱発…。返す刀で今度はこの私的なブログを”ウソ”呼ばわりしたりと…ありとあらゆる「権謀術数」(けんぼうじゅつすう)が山と積まれた。
進行を妨げようとする市民は強制排除され、電車の前に立ちふさがった市民はまるで、“暴徒”扱いされた。そして、終着駅にたどり着いた途端、詰め腹を切らされたのが市民会議の参加者ではなかったのか。ある意味、最大の犠牲者だったのかもしれない。
万が一将来、“駅前図書館”に何らかの瑕疵(かし)が生じるような不都合な事態が発生した場合、その責任の一切は市側にあることを最後に明記しておきたい。仮にも「市民会議の意向を最大限に尊重した結果…」などという口吻(こうふん)は口が裂けても許されないと…
(写真は白雪に輝く早池峰山。こうした景観を包み込んだ図書館構想は見果てぬ夢と化した=2024年12月末、花巻市内の中心部から)
≪追記ー1≫~『賑わいを創出する図書館』
ブログで紹介した吉成信夫さんが岩手で過ごした19年間の”賢治”体験の後、岐阜市立図書館長や「みんなの森/ぎふメディアコスモス」の総合プロデューサーを歴任した足跡を記録した上記本(KADOKAWA)を上梓、6月23日に発売される。サブタイトルは「開館9ヶ月半で来館者100万人を達成した『みんなの森/ぎふメディアコスモス』の冒険」ー
吉成さんはFBにこう記している。「岩手からなぜ、岐阜に来て図書館長になったのか。…僕の10年にわたる旅の理由も書いてます。ワタクシからパブリックへ、ジブンゴトとして思い切り書いてみました」。座右の書は賢治の『農民芸術概論綱要』だという。新図書館問題で揺れる花巻市民にはぜひ、読んでほしい1冊である。
《追記ー2》~指鹿為馬(しろくいば)
「憂う市民」を名乗る方から、こんなメールが寄せられた。ピッタリだなと納得した。
指鹿為馬とは、鹿を指して馬だと言い張ることから、誤ったことを無理やり押し通すこと、権力で白を黒と言い張ることを意味する故事成語です。具体的には、中国の秦の始皇帝の没後、趙高が鹿を献じてこれを馬だと白を黒に言い張った故事に由来します。この故事成語と同じ現象が、今も起きていることを深く憂うものです。
《追記―3》~「こんにゃく問答」も顔負けの市民説明会!!??
新花巻図書館の「駅前立地」の最終決定を受け、市当局は4月中旬から旧一市三町で、「整備基本計画」(案)の市民説明会を開いた。延べ118人が参加し、63人と最も多かった「まなび学園」では質疑応答が4時間にも及んだ。その会議録が2日、HP上に公開された。冒頭いきなり、以下のようなやり取りがあった。
噛み合わないどころか、“こんにゃく問答”も顔負け、図書館問題に対する意識のずれは実はしょっぱなからだったことに今さらながら、気がついた。意識的にこう答弁したのだとすれば、それは詭弁どころか詐欺行為にも該当する。国会でも重要案件については、最高責任者の首相発言が欠かせない。質問者の意図は100年の計とも言われる図書館建設に「ゴーサイン」を出したトップの真意を問いただしたもので、至極当然である。とぼけるのもいい加減にしてほしい。それとも、市長への忠誠心、いや忖度(そんたく)かな。
(市民)「この説明会にですね、建設場所を決定した市長が顔を見せていないと。これは非常に問題だと思います。すぐ市長室に電話して来てもらうべきだと思ってるんですよ」
(市側)「令和2年の1月29日に駅前のスポーツ用品店の場所に図書館をつくって、そこに複合施設ということで、賃貸住宅を図書館の上に併設した図書館を作る構想というのを発表したことがあります。その発表は、市長がしたのではありません。私が議員の方々に発表をしたというものであります。したがいまして、市長がなにも今日来なければいけないということではないと思います」
《追記―4》~教育委員会議も強行突破か!!??
「新花巻図書館整備基本計画の策定に関し、議決を求めることについて」―。この案件を審議する「教育委員会議」(委員長・佐藤勝教育長ら委員6人)が5月19日に開催される。「整備基本計画」(案)に関するパブリットコメント(意見書)は4月1日から同30日まで公募されたが、その締め切りの2週間余りの時期に「議決」を求めるという拙速ぶりに驚かされる。図書館の”本家筋”に当たる同会議がどう対応するかが注目される。
一方、この計画案を議題とする「市立図書館協議会」の臨時会が5月13日に開催されることも告知されるなど市議会6月定例会(5月30日開会、6月7日まで会期19日間)に向けた動きが慌ただしくなってきた。市側は同定例会に関連予算を上程したい構えだが、市民の間には「パブコメがきちんと、計画に中に反映されるのか」と不安の声が聞かれる。
ちなみに、「花巻市パブリックコメント制度に関する指針」(意見の処理)にはこう規定されている。①実施機関は、提出された意見を考慮して意思決定を行うものとする ②実施機関は、提出された意見に対する考え方を取りまとめ、提出された意見と併せて公表するものとする。
《追記ー5》~憲法記念日に寄せて
憲法擁護者を名乗る方から、以下のようなコメントが寄せられた。私自身、当市の図書館問題は実は民主主義や憲法を考えることと根っ子で通底していると認識している。同じ思いに意を強くした。
(公務員の選定罷免権、公務員の本質、普通選挙の保障及び投票秘密の保障)第十五条
1)公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2)すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。(略)
新図書館整備事業の進捗状況を見るにつけて、花巻市長を始めとする公務員たる市の職員が、この条文をどのように理解しているのか、疑問を覚える。
《追記―6》~夢枕の「東一」さんと「東民」さん!!??
図書館問題に明け暮れたせいなのか、最近、夢枕に「上田東一」市長がしょっちゅう現れる。大抵はまなじりを決して議論しているか、ののしり合っているかの“悪夢”である。ところが、昨夜は「東民」を名乗る人物が…。よく観察すると、昭和30年から3期12年間、釜石市長を務め、落選後に市議に返り咲いた「鈴木東民」元市長ではないか。
反骨のジャーナリストとして知られ、「東民」名は自由民権運動にちなんで名づけられたと言われる。ともに「東大」出身のエリートで、上田市長もちょうど就任3期目の後半に入った。「東大」とは実に日本一を豪語するにふさわしい命名ではないか。と思いながら、この2文字を凝視しているうちに、「大」から「人」が消え、いつの間にか「耳なし芳一」ならぬ、”人(で)なし”「東一」に変身していた。「東民」と「東一」と。まさに、名は体(たい)を表すとはこのことか―と思っていたら、目が覚めた。寝汗がびっしょり…
≪追記ー7≫~素朴な疑問
市民を名乗る方から、以下のようなコメントが寄せられた。私自身も7本のパブリックコメントを提出。それが基本計画(案)の中に具体的にどう反映されるのか気になっていただけに、同じ疑問を抱く。
市のホームページに5月2日、教育委員会議が新花巻図書館整備基本計画の策定に関し議決を求めることについてを議題として、5月19日午前11時頃というような不確定な日程で開催されることが掲載されています。その後5月7日に、市図書館協議会の開催(13日)が新花巻図書館整備基本計画(案)という案の段階の議題が提案されることが市のホームページに掲載されました。
案の段階の新花巻図書館基本計画が市図書館協議会で審議される前に、どうして教育委員会議で案の段階でなくて成案として議題となるのでしょうか。市役所のルールではOKなのかもしれませんが、普通に考えると出来レースのような手続きのように感じられます。
≪追記―8≫~何やら、天井裏が騒々しい!!??
追記の「4」と「6」で指摘したように、教育委員会議や市図書館協議会の日程設定の拙速さが目立っているが、念のためにその経緯を調べた結果、市図書館協議会臨時会のHP上の開催告知の初出はパブリックコメントを募集中の4月28日付(締め切りは同月30日)。この時の議題は「新花巻図書館整備基本計画(案)」で、開催日時は5月13日午前10時となっていた。その後、5月7日付の告示で、開催時間が「午後2時」からに変更になったが、初出の28日付の告知はすでにHP上から削除されている。
図書館協議会で審議する内容については「審議会等の設置及び運営に関するガイドライン」の規定で、遅くとも会議開催3日前までに資料を配布しなければならないとされている。しかし、その3日前にあたる5月10日現在、その資料となるべき新図書館整備基本計画のパブリックコメントの結果が公表されていない。審議する内容が確定していない現状で、図書館協議会を開催することは同上ガイドラインに違反している。
一方、当日の審議資料が仮にパブコメ抜きの「計画案」だとすれば、市民参画の上位に位置するパブコメ(市民の意見表明)を無視した単なる“お墨付け”を取り付けるだけの儀式と見られても致し方あるまい。最終の「成案」を審議するのが図書館協議会の役割であり、場合によっては、図書館問題の成否をにぎる図書館協議会自体の存在意義も問われかねない。