<「平和」メッセージの発信拠点から、「イーハトーブ」の建国に向けて>~IHATOV・LIBRARY(「まるごと賢治」図書館)の実現を目指して(その5=完)

 

 東日本大震災の際、米国の首都・ワシントン大聖堂で開かれた「日本のための祈り」やロンドン・ウエストミンスター寺院での犠牲者追悼会などで、英訳された「雨ニモマケズ」が朗読された。また、この詩に背中を押されるようにして、世界中からボランティアが被災地へ駆けつけた。そしてまだ、復旧のメドさえついていない能登半島地震の被災地でもこの詩に詠われた「行ッテ」精神が被災者を勇気づけている。そして今度は、追い打ちをかけるようにして宮崎・日向灘地震。さらに、海の向こうでは…

 

 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)―。ウクライナやガザ…世界全体の悲しみの地にこのメッセージを届けたい。「平和」を希求する賢治の心の叫びを積み込んだ「銀河鉄道」…新図書館こそがその始発駅にふさわしいと思う。この列車が銀河宇宙の旅に出て、今年でちょうど100年を迎える。

 

 「豊かな自然/安らぎと賑わい/みんなでつなぐ/イーハトーブ花巻」―。当市は「将来都市像」をこう描いている。いうまでもなく、「イーハトーブ」とは賢治が未来に思いを馳せた「夢の国」や「理想郷」を意味する言葉である。一方、図書館学の父とも呼ばれるインド人学者のランガナータンは「図書館は成長する有機体である」と述べている。そして、賢治もまた、『春と修羅』の序をこう書きだしている。「わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽霊の複合体)」―。ことほど左様に、「まるごと賢治」図書館(IHATOV・LIBRARY)が目指す”夢の図書館”は世代を継いで成長し続ける永遠の有機体である。自らを「幽霊の複合体」と称してはばからない、この天才芸術家のその”お化け”の正体を暴いてみたいというのが偽らざる気持ちである。

 

 旧病院の中庭に「Fantasia of Beethoven」と名づけられた花壇があった。設計者の賢治は「おれはそこへ花でBeethovenのFantasyを描くこともできる」(『花壇設計』)と大見えを切って、こう豪語した。「だめだだめだ。これではどこにも音楽がない。おれの考へてゐるのは対称はとりながらごく不規則なモザイクにしてその境を一尺のみちに煉瓦(れんが)をジグザグに埋めてそこへまっ白な石灰をつめこむ。日がまはるたびに煉瓦のジグザグな影も青く移る。あとは石炭からと鋸屑(おがくず)で花がなくてもひとつの模様をこさえこむ。それなのだ」
 

 「賢治とは一体、何者なのか」ー。いざ、「イーハトーブ」の建国に向けて…

 

 

 

《終わりに》

 

 私は“賢治教”の信者でも、いわゆる「オタク」でも、ましてや当然研究者なんかではない。かといって、賢治嫌いでも食わず嫌いでもない。『注文の多い料理店』にうぅ~と唸ったり、『風の又三郎』と一緒に風に飛ばされたり、『銀河鉄道の夜』の無辺空間に腰を抜かしたりする、普通の賢治好きである。それがどうして、「IHATOV・LIBRARY」(「まるごと賢治」図書館)などという大風呂を広げたかというと…。ひと言でいってしまえば「もったいない」からである。

 

 現役市議時代、視察先の自治体関係者から「御市には賢治さんがいらっしゃるから、まちづくりも賢治さん頼みでOK。うらやましい限りです」としょっちゅう言われたことを思い出す。ところがである。「賢治まちづくり課」とは名ばかりで、最近では賢治を”食い物”にして、ふるさと納税を肥え太らせようとする“錬金術”が目に余るようになった。「賢治最中」や「よだかの星」、「山猫軒」…。この程度のお茶受けならまだ許せるが、(前掲『花壇工作』の賢治ではないが)新手の“詐欺手法”にこの「おれ」もついに切れたのである。で、どうせなら、ガブッとまるごと「賢治」にかぶりついてみたいという欲求が押さえきれなくなったという次第である。だから、「まるごと賢治」図書館…

 

 「あなたにとって、賢治さんとは何ですか」と問われた際、私は「希代まれなる詐欺師ではないか」と答えることにしている。そんじょそこらの寸借詐欺師とはちがって、この大詐欺師に“騙(だま)された”と思うと、得も言われぬ清々しい“充実感”に満たされるからである。騙されたいという欲求はもしかしたら、“賢治教”のもうひとつの亜種なのかもしれないなぁ。

 

 

 

 

(写真はかつて、総合花巻病院の中にあった賢治の花壇「Fantasia of Beethoven」。この旧病院跡地に新図書館が完成した暁にはその入り口付近にぜひ、復元してほしいと思う=インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

《追記》~冷酷な侵略者も、血も涙もない……暴君も、記憶を、記録を、そしてそれらを歌にして時に刻む言葉を、恐れている(師岡カリーマ・エルサムニー)

 

 「パレスチナ・ガザ地区については、その現況と歴史的経緯を伝えて民の保護を訴える声に、沈黙を強いる圧力が多方向からかかる。だが『ガザの蹂躙(じゅうりん)が許される世界は、誰にとっても安全ではない世界』だと、文筆家は言う。だから私たちもあらゆる場所から声をあげねばならないと。論考「『圧政者が恐れるもの』」―「地平」創刊号)から」(8月12日付朝日新聞 鷲田清一「折々のことば」)

 

2024.08.12:masuko:[ヒカリノミチ通信について]