沖縄の「民意」…問われる本土住民

 

米軍普天間飛行場の移設に伴う辺野古沿岸部埋め立ての賛否を問う県民投票が24日投開票され、即日開票の結果、開票率100%で埋め立て「反対」の得票が有効投票総数の72・15%の43万4273票に達した。反対票は、県民投票条例で「結果を尊重」し、首相と米国大統領への通知を義務付けた全投票資格者数(有権者数)の4分の1を大きく上回る37・65%に上った。玉城デニ-知事は「新基地建設の阻止に改めて全身全霊をささげる」と述べ、政府に方針の見直しと普天間飛行場の一日も早い閉鎖・返還を求める考えを強調した。結果を通知するため近く上京する方向で調整している。一方、安倍晋三首相は、玉城知事が希望すれば週内にも会談に応じる方向で調整に入った。


 投票率は52・48%で半数を上回った。有効投票総数60万1888票のうち、埋め立て「賛成」は11万4033票で19・10%、「どちらでもない」は5万2682票で8・75%だった。県民投票に法的拘束力はないが、辺野古新基地建設を進める日米両政府が今後、県民の意思にどう対応するかが焦点となる。1996年に日米両政府が米軍普天間飛行場の返還に合意してから23年、県民は、知事選や国政選挙などに加え、新基地建設の賛否だけを直接問う県民投票でも、明確な反対の意思を示した。

 投票率は昨年9月に行われた県知事選の投票率63・24%を約10ポイント下回った。一方、埋め立てに「反対」票は知事選時に玉城知事が得票した39万6632票を上回った。今回の県民投票条例を直接請求した「辺野古」県民投票の会(元山仁士郎代表)は結果を受けて出した声明で「明確な反対の民意が示された今、問われるのは本土の人たち一人ひとりが当事者意識を持ち、国の安全保障と普天間飛行場の県外・国外移転について国民的議論を行うことだ」と強調した。その上で「政府は普天間の危険性除去(基地閉鎖・返還)を最優先に米国政府との交渉をやり直し、沖縄県内移設ではない方策を一刻も早く検討すべきだ」と提起した。

基地の整理縮小や日米地位協定見直しの是非を問うた96年の県民投票では賛成が89・09%に上り、有権者数の過半数(53・04%)に達した。投票率は59・53%だった(2月25日付「琉球新報」)

(写真は勝利を喜ぶ県民投票連絡会のメンバー=24日夜、那覇市内で。インターネット上に公開の写真から)

 

《追記―1》~「大弦小弦」(25日付「沖縄タイムス」コラム)

  名護市の投票所は小雨に包まれ、人影が少なかった。24日午後、県民投票で訪れた男性(57)は「静かすぎてびっくりです」と辺りを見回した。1997年の名護市民投票とは様変わりだ

 

あの時、投票所入り口は辺野古新基地建設に条件付き賛成と反対、両派の訴えで騒然としていた。何より、政府が全力で勝ちにきていた。防衛庁の職員が戸別訪問に回り、長官は自衛官に文書で集票を求めた

なぜ今回は静観し、「県民の理解」を求める絶好の機会を放棄したのか。菅義偉官房長官は「地方公共団体が条例に基づいて行うもの」と言うが、それは市民投票も同じだった

基地建設に合理性がなく、議論では勝ち目がない。政府がそう認めたに等しい。「不戦敗」に追い込んだこと自体、21年余りの間に県民が蓄えた力を示している

そして論戦が成立しない中でも過半数が足を運び、昨年の知事選を上回る反対の票を積み上げた。県民の意思は最終結論が出た

24日夜、反対を訴えてきた県民投票連絡会の名護支部。市民投票の時のはじけるような万歳はなく、穏やかに結果を喜び合った。参加者は「賛成派に勝った、万歳、ではない」「本当の相手は政府。県民が一緒になって向き合っていく」と語った。何度裏切られても諦めない、不条理に鍛えられてきた民主主義の言葉があった。(阿部岳)

 

 

《追記―2》~「金口木舌」(25日付「琉球新報」コラム)

 

 1996年は19歳だった。日米地位協定の見直しと基地整理縮小の是非を問う県民投票では、選挙権がないため投票できなかった。「1年早く生まれていたら」。意思表示をできなかった悔しさは今も消えない

 

名護市辺野古の新基地建設のための埋め立ての賛否を問う県民投票は投票率が50%を超え、結果は反対が賛成を大幅に上回った。県民は1票を投じ、それぞれの意思を再確認した
名護市の61歳の男性は1997年のヘリポート基地建設を問う市民投票では賛成だったが、今回は反対に投じた。「振興のため必要だと自分に言い聞かせてきたが、もう限界だ。沖縄への理不尽は何も変わらなかった」
辺野古の20歳の男性は県民投票の費用対効果に疑問を抱きつつ、「権利だから」と足を運んだ。「国と争っても補助金が減るだけだ。基地に悪いイメージもない。賛成に入れた」
名護市の投票所には車いすやタクシーで訪れた高齢者、入院患者を示すリストバンドを巻いた若い女性も1票を投じていた。取材に涙を浮かべ思いを語る男性もいた
名護市出身の元副知事、比嘉幹郎さん(88)は米統治時代、琉球列島米国土地収用委員会の通訳を務めるなど基地の変遷を見詰めた。「政府は沖縄を外交の道具として使ってきた。分裂を中央政府が喜ぶ」と指摘し、その脱却のため結束を呼び掛けた。分断は乗り越えられる。県民が票に託した願いだ。

 

 

《追記―3》~本土大手メディアの目

 

 世論調査に答えたものでも、街頭でアンケートに答えたものでもない。18歳以上の沖縄県民一人ひとりが投票所に足を運んで一票を投じたのが、今回の結果だ。1996年の県民投票は「米軍基地の整理・縮小と日米地位協定の見直し」がテーマで、賛成が89%を占め、有権者の過半数に達した。この時は前年に少女暴行事件があった。賛成票を投じやすいテーマでもあった。今回は、安倍政権が辺野古の海に土砂を投入し続ける中での県民投票だ。「工事は止まらないかもしれない」。多くの県民はそう考えながらも「意思表示をしなければ」と動いた。

 

 米軍普天間飛行場から辺野古まで直線距離は40キロ程度。辺野古に移っても、米軍機は沖縄の上空をこれまでと変わらず飛び回るうえ、子や孫の代まで使われると、沖縄の人たちは肌感覚でわかっている、だからこそ、23年ぶりの県民投票を、沖縄の歴史に残る重要な機会と受け止め、将来への責任を背負いながら「反対」に投票した人が多かったと思われる。「将来、子どもたちに『県民投票の時にお父さん、お母さんはどうしたの?』と聞かれたら、堂々と答えられるようにしたい」。取材で何度か聞いた言葉だ。

 

 県民投票実現に向けた署名集めから条例制定と改正、そして投票。沖縄は行動することによって、重い民意を示した。今度は、本土に住む人たちが、この歴史的な結果を受け止め、自分たちに何ができるか考える番だ」(2月25日付「朝日新聞」)

 

 

《追記―4》~現地では工事強行

 

【辺野古問題取材班】米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設で、43万人を超える県民が埋め立て「反対」の民意を示した県民投票から一夜空けた25日、政府は工事作業を強行した。辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前では市民約60人が座り込んだ。「これ以上、民意を無視するな。民主主義国家のやることか」と怒りの声を上げた。市民は早朝から、県民投票の結果を伝える新聞記事や「海を壊すな」と書かれたプラカードを走行する車に掲げた。午前9時半、基地内に建築資材を搬入する大型車がゲート前に到着すると、県警の機動隊員が市民を強制排除した。


 機動隊は「あなたも心の中では反対でしょう」と語り掛ける市民の声を遮るように次々と排除した。大型車の排出ガスが充満するなか、建築資材が基地内へと運び込まれた。沖縄防衛局は海上でも工事を強行した。辺野古崎突端部付近の「N4護岸」では被覆ブロックを積む作業が確認された。市民はカヌー9艇と抗議船を出して、民意を顧みない政府に憤りの声を上げた。抗議船船長の山口陽子さん(55)は「これだけ民意を反映しない政府とは一体何なのか。国民の1人として許せない。県民の叫びを聞いてほしい」と話した。【2月25日付「琉球新報」電子版】

 

 

 

 

 

 

 

2019.02.25:masuko:[ヒカリノミチ通信について]