南側といっても自転車置き場があって、ゆあーずの南側にちょっとした異空間があるのをご存知の方はいらっしゃるのでしょうか。
子供の頃より怪しげな場所として認識はしていましたが、余り近づくこともなく時間が過ぎておりました。
ここには大きく分けて三つのモニュメントがあります。
一つ目は「いぼころり地蔵」という二体の石の地蔵様です。周囲には一杯の小さな石が供えられ、それでいぼをこするといぼがとれるのだそうです。
二つ目は1909年明治42年に福島県赤岩信号場で起こった脱線転覆事故の殉職記念碑です。川の石に刻んだようなシンプルな石碑です。
三つ目は鉄道の犠牲者の忠魂碑で、数年前までぼろぼろだったものが最近修復されたようです。これはコンクリート製の堂々としたもので、そのときの鉄道大臣が揮毫した銅版が埋め込まれています。
手許に資料がないので詳しくは分からないのですが、福島から米沢に奥羽線を通したものの、公共交通機関としては、実際はかなり不完全な方法であったのだと思います。
一回敷いた線路も、数回変更されているし、機関車はこの線のためのいつも特注です。山線と呼ばれ、鉄道マンの間でも難所として知られていた場所。
それにしても赤岩信号場の事故は、米沢機関区の人が乗務員で確か3名が殉職されたときいています。
その日が明日6月12日、またこのときの写真が現在ヤフオクに出展されているというのも、ちょっとした因果を感じます。101年前の出来事です。
写真はいぼころり地蔵の奥が、赤岩殉職記念碑、右側の家の前にあるのが鉄道忠魂碑です。
