な子供でした、私は。
小学校一年のとき山形から大沼がやってきて、米沢に支店を構えました。それはもう米沢人にとってはエポックメーキングな事件だったことは間違いありません。
それらしきものはたとえば今の商工会議所にあった糸屋とか、この間閉店した松野屋のところにあった十字屋とかあったのですが、、、
何が違うのか、たとえば糸屋は2階に食堂があってお子様ランチを出してくれました。また十字屋にはエスカレーターがありました。そしておもちゃ売り場もありました。それはあのころの米沢にはかなり新しいものでした。
では大沼には何があったのか?
それらの店にあったものが全部あって、しかも屋上に遊園地があったのです。
今考えると屋上があるかないかはかなり大きな違いでした。それほど大きくない米沢盆地を一望したとき、鉄柵をなめながら吾妻を仰いだとき、それは殿様が天守閣からやってる状況を子供たちは手に入れたのです。
しかもそこにはスナックコーナーがあり、おばちゃんが焼きそばを焼いていました。お祭りなどで売っているものが常設している。=素晴らしいという構図でした。
多分一人前30円ぐらいだったと思いますが、ある日友達3人で遊んでいると、今から考えるとどうみても百貨店に営業に来ていた人がなぜか自分たちに焼きそばをおごってくれたのです。しかもおばちゃんに50円で3人分に分けてくれといっているではありませんか。今考えるとそのセンスが泣かせますね。
おいおい兄ちゃん、そんなことできるの?大人は、、、といった感じです。おばちゃんも分かったよといった風情で3つに焼きそばを分けてくれ、はいよっといって出してくれました。さあ、お前ら食えっ!とその知らないお兄さんが言ったのです。
ちゃんとありがとうっていえたのかなぁー。とにかくご馳走になりました。今いいます。ありがとう、そしてご馳走さま。
今からみるとこういう夢のような時代にいたんですねぇー。ありがたいなぁー。とおもう今日この頃です。
写真はいろんな漆器です。話とはまったく関係ないですがいいのありますよ。
