さくらんぼの季節、
到来です。 本日、天童は下荻野戸からいただいちゃいました。ありがとうございます。 山形になぜ根付いたのか。多分明治時代、いろんな果実などを各県の試験場に配布して、合うものを選んだ。それが山形はさくらんぼだった、ということだと聞いております。 しかも米沢は主産地だったこともあるようです。今でも部分的に、例えば関根の中島、窪田の藤泉、江俣、矢野目あたりに園地が点在しています。 イザベラ・バードが新潟から山形に入り、手の子辺りから眺めた景色を「東洋のアルカディア(桃源郷)」といったという話があります。 実際、江戸時代置賜盆地は、桃、杏、梅、葡萄、栗など果実の産地だったそうです。現在では果樹栽培は村山地方にお株を奪われてしまいましたが、それは製糸業の発展、養蚕と大いに関係があるのではないかと私は読んでいます。
2009.06.22