一杯の珈琲から、
夢の花咲く こともある 街のテラスの 夕暮れに 二人の胸の ともしびが ちらりほらりと つきました 一杯のコーヒーからは、昭和14年(1939年)3月20日にコロムビアレコードから発売されました。 作詞:藤浦洸 作曲:服部良一。歌は霧島昇、ミス・コロムビアご夫妻です。 昭和14年といえば第二次世界大戦が勃発し、軍靴の音が次第に大きくなった年です。 日本軍がノモンハン攻撃を開始。満蒙開拓青少年義勇軍が神宮球場で大規模な壮行会を行い、男子長髪禁止令、白米禁止令と状況が悪くなっていく時に、よくもこんな曲をリリースできたものだと感心します。 珈琲を商売とすることになったとき、この曲とコーヒールンバが頭の中で鳴っていました。 珈琲というのは、夢の花咲くこともある飲物だというのは本当です。 昔アラブの偉いお坊さんが~というのも本当ですが、、、 今日は市内の珈琲店、珈琲家さん、Gootさんで先輩の美味しい珈琲を味わってきました。 両店ともとても高いクオリティの珈琲を戴ける店です。 森繁久弥の代表作、夫婦善哉や屋根の上のヴァイオリン弾きは見たことがないので分かりません。駅前シリーズ、社長シリーズも余り見ていません。見れば爆笑なのは分かっていますが、どうしてものり平のほうに目が行ってしまいます。 私にとっての森繁久弥は、東野英次郎がやっている頃の水戸黄門で時々出てくるニセ黄門です。 実際そのような回があったのかどうかわかりませんが、(多分あったと思います。)狡猾で憎めない、しかも馬鹿馬鹿しい感じはこの人の真骨頂だったと思います。 お供は青空はるおあきおだったのかなぁ。球児好児ってことはないよね、時代が違うよ、時代が。 兎に角何回かあると思うのですが。 そしてこの人は軍事教練を拒否して早稲田大学を中退、で話は戻りますが「一杯のコーヒーから」がリリースされた昭和14年、NHKアナウンサーとして満州に赴任します。 昔といえば昔なんですが、それほど前でもありません。父母共に生まれてますから。 謹んでご冥福をお祈りします。
2009.11.11