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天元台ロープウエイから

  • 天元台ロープウエイから

天元台高原、リフト営業は、既に10月14日で終了していて、ロープウェイのみの営業になってます。そのロープウェイも来週の月曜日11月4日で終了します、紅葉は高原駅1350m付近はダケカンバの葉が落ちて、下のモミジ等の赤が良く見えて、いい塩梅になってます、今はちょうどロープウエイ間がいい感じになってます、白布温泉街も色づいてきました・・今日含めて営業は6日間で終わる、昨日早朝、湯元駅4℃と冷え込んでました・・11月3日の週には気温-・・湯元でも雪が落ちることもある西吾妻スカイバレーは現在夜間通行止めとなってます・・

西吾妻スカイバレー 夜間通行止め  期間:10月21日~11月5日 時間:17:00~7:00
冬季通行止め  期間:11月5日17:00より4月23日予定

2024.10.30:li-no3:コメント(0):[気ままなつぶやき]

米沢市中部コミセン

  • 米沢市中部コミセン
米沢市の中部コミセン音楽室、ここでギター弾きの練習したりします。来週の日曜日11月3日川西町浴浴センター温泉ロビーで行う、コンサートの音響機器セッティング兼ねた、リハーサル練習でした~
自宅で月2回ほど、集まり練習しますが、思いきりできないので、たまにコミセン練習しますが、気持ちいいですね~
2024.10.29:li-no3:コメント(0):[気ままなつぶやき]

ペンションアミティエ秋フェス

  • ペンションアミティエ秋フェス

昨日10月27日(日)天元台高原のペンションアミティエは秋フェスと称した音楽イベントでした。総勢10組の個人とバンドの演奏会、入場は無料で12時開始の1人約30分で入れ替えセッティング込みの交代ですが、かなり時間は適当でした・・昼ランチしながらですが泊まる人が多く、お酒飲み飲みのメンバーが多かったですね、この日兄2番目、わたくし3番目で引き語りしてきました・・11月3日の川西町浴浴センター”まどか”温泉棟ロビーで14:00からボーカルしていた”ネコ”さんが昨年亡くなりその追悼コンサート開催の練習兼ねて、アミティエのフェスに初参加ということです・・私と兄は3時から中部コミセンでまた練習があり演奏後はそそくさと下山しました、フェスは夕方までやって、夕食後にまた大宴会の歌会だった様です・・・私と兄以外はフェス毎年参加の常連メンバーの様でした

2024.10.28:li-no3:コメント(0):[気ままなつぶやき]

9年ぶりNEC府中クラブ

  • 9年ぶりNEC府中クラブ
  • 9年ぶりNEC府中クラブ

9年ぶりにNEC府中に行くことになりました。久しぶりに南武線西府駅降りて歩きで5、6分です、元会社、東芝小向時代の後輩、初めて職場の新人教育した2人が定年となった、東芝小向で働いていた職場は航空、宇宙、防衛、官公庁、放送機、民生電源までと幅広く電源を開発する部門でした、2001年に東芝の宇宙事業部(川崎市小向)とNECの宇宙事業所(横浜鴨居)が合併となりました、それぞれ多くの人員リストラを行っての合併で宇宙事業部以外、特例ではあるが東芝の電波部門から私とその後輩2人ともに合併会社に移籍することになる、それまでは航空、宇宙、防衛、産業エレクトロにクスに民生品まで幅広く開発していた電源開発専門部からの移籍でした、移動後は衛星搭載電源の開発に関わることになる、その後、2015年には東芝が宇宙事業から撤退したため、東芝出向社員は東芝に戻るかNEC社員となり宇宙に関わるかの選択がありましたが、ここでも多少のリストラがありましたが、私も後輩2人も残って、ここで定年を迎えることとなった、私は定年で田舎にUターン、田舎暮らしを始め、あれから9年が流れました、そろそろ後輩たちが定年激励会などはじまる歳である、師匠といわれては行かないわけにはいかんということで行くことになりまして、車では疲れるから新幹線でいきました、NEC府中は防衛部門、放送機部門と東芝小向と業務形態が似ているところでした、当初NEC宇宙部門は鴨居にありNEC相模原にも製造場所があった、一方東芝は小向と大型製造は東芝浜川崎で製造していた、合併後もそれぞれ製造個所としてあったため開発者は鴨居にいるだけでなく、浜川崎とか、NEC相模原とか行くことが多かったが、東芝が撤退したことを機会に大型から小型衛星も一貫した製造試験できるように府中に宇宙事業部を新設して集約したのである・・定年間際は宇宙小型衛星利用のNEC衛星オペレーションセンターを新設するところでした、あれから9年、見たことないビルが建っていた・・きたらびっくりすると言っていたがこれかと思いました・・2026年には人員1000人増となるようです・・・宴会場はNEC府中クラブ利用でここは昔から少しも変ってなかったです・・

2024.10.28:li-no3:コメント(0):[気ままなつぶやき]

武蔵府中熊野神社古墳

  • 武蔵府中熊野神社古墳
  • 武蔵府中熊野神社古墳
  • 武蔵府中熊野神社古墳
  • 武蔵府中熊野神社古墳

元会社、東芝時代の後輩、初めて職場の新人教育した2人が定年となった、師匠といわれては行かないわけにはいかんということで、9年ぶりNEC府中に行く、宴会には時間が早く、NEC府中からすぐの武蔵府中熊野神社古墳へ立ち寄った、この古墳は、日本国内でも3例しかない上円下方墳(じょうえんかほうふん)という貴重なものであるとあります。他の2例(奈良県,静岡県)が7世紀後半~8世紀前半とされるのに対し、ここは7世紀前半と判明し、上円下方墳の国内最大で、最古級の古墳とわかったのだそうです。2005年7月には国指定の文化財(史跡)に指定されているとある。東京湾西岸に注ぐ多摩川が形成する立川段丘崖から500mほど段丘内に入ったところにあり、南東500mには古墳時代後期の群集墳である高倉古墳群が所在するものの、単独で所在する古墳。20号線沿いにあります。
詩の説明では、最下部の1段目は一辺約32m、高さ約0.3mで切石を外周に並べる。2段目は一辺約23m、高さ約2.5m、3段目は直径約16m、高さ2.2mで、2段目及び3段目には河原石による葺石を施す。墳丘盛土は版築によって積み上げられる。
内部主体は凝灰岩質砂岩を用いた切石積みの横穴式石室である。石室は南からハの字に開く前庭部、羨道、胴張り気味の前室と後室、胴張りの玄室へとつながり、内側にせり出す門柱状の石材によって各々が区切られる。羨道は長さ約0.9m、幅約1.6m、前室は長さ、最大幅、高さともに約1.8m、後室は長さと最大幅が約1.9m、高さ約1.8m、玄室は長さ約2.6m、最大幅約2.7mで、石室全長は約8.8mである。また、墳丘の南と東で部分的に周堀の可能性がある溝が確認されている。

 

2024.10.27:li-no3:コメント(0):[歴史探訪]