九里学園WEB部活動|写真部

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これが、最上の合戦での最大の激戦地となる。
それは、関が原の戦いで石田光成の敗戦が原因で。

 「わが命より大切なものを守るため散っていく、
       あの紅葉のようになりなさい」と 諭す母

余六(直江兼続)の母の実家が南陽市宮内にある。
その、宮内の宮沢城主「尾崎家」の出(蘭子)が余六の母。

上山市 斎藤茂吉記念記念館 ここも「天地人の効果あり」タクシーで訪れる方が多く見かけられた。
 アララギ派の歌人で医者でもある茂吉。生家はここから北へ2キロ近くにある。
この庭園の中に歌碑があった。(紅葉に染まった秋の蔵王山を詠んだのだろう)
 
「夏されば 雪消わたりて 高高と あかがねいろの 蔵王の山」(茂吉)

特に、茂吉が戦争を賛美したことにより敗戦後非難を受け挫折。
疎開先の金瓶から大石に身を潜める。日本のチベットといわれる厳しい環境の中ですばらしい
作品を世に出していく。代表的な作品が「白き山」。 
 わたしの大好きな詩、イエスキリストの弟子の苦しみと茂吉の挫折(苦しみ)をかさねて心情を表現している。
 
「オリーブの あぶら如き 悲しみを 彼の使徒も つねに持ちて いたりや」 (茂吉)

 茂吉の歌の中で唯一、聖書から引用した詩です。  
                              (須田忠光)
 



上山市 斎藤茂吉記念館 庭園 連絡路の入り口、最高に良い時期に来てくれたね!
 「と歓迎をしてくれた」

上山市 斎藤茂吉記念館 庭園 丁度良いときに来てくれたね!

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