HOME > 転職あれこれ

【転職成功物語13】不思議な「縁」を感じました。

恒例の【転職成功物語】
今回は転職が決定したのが昨日!という、季節柄暑々(違うか!)の物語です。

寄稿をお願いしたのが昨日の夕方。
快く引き受けて下さったAさんは、今回が3社目という転職歴ですが一社目からの心の動きを丁寧にまとめてくださいました。
歴代トップ級の超大作です!

自身に重ねるといろいろな気づきを得られます。

Aさん本当におめでとうございます。
この山形で、これからも末永く宜しくお願いします。

以下、原文のまま、お送りいただいたメールの内容からご紹介します。

--------------

長文、駄文、申し訳ございません。今の気持ち、前職で希望退職に応募した時からの経緯を含めてまとめてみました。

思い返せば、山あり谷あり。思い悩んでばかりですが、それぞれの会社でとても多くのものを学んだんだなと、思えるようになりました。

山形を離れ、都会を十分経験したからこそわかる山形の良さ。
私が山形に戻るのは、やはり、今なのかもしれません。

これからは、仕事だけではなく、親戚づきあい、隣組などのご近所づきあいにも積極的に顔をだしつつ、人の輪を広げてゆきたいと思います。

引き続き、よろしくお願いいたします!
---------------

最初の転職は2008年です。約8年勤めた企業を希望退職に応募する形で退社しました。山形県内に本社を置く企業の中では最大規模の歴史ある会社です。そのなかで、現場重視の経理を徹底的に叩き込まれました。会社全体の経営計画策定まで任せていただいたところで、新たな環境へ移ろうと決意しました。「開示業務など、より上位組織での経理業務に携わりたい。」これが退社の理由でした。1年間の親会社への出向経験が自分を動かしたのです。

ただ、今になって思うことは、この8年間で得た経験が、今の自分の支えになっているという事実です。先輩から時に厳しく、根気強く、指導していただいたことは、私の人生の宝となりました。2001年9月11日。あの日。深夜まで数字が固まらず、悶々としていた自分に付き合って、居残ってくれた先輩の温かい後ろ姿を忘れることは出来ません。私もそういう先輩でありたいし、あらねばならない。そう思います。先輩の厳しい指導の裏にある温かさが、今になってわかるようになりました。

転職とはなにか。恥ずかしながら、当時の私は、その進め方をまったく理解していませんでした。ただ、希望退職での退社であったことが救いでした。会社が契約した再就職支援会社からのサポートを受けることが出来たからです。時おりしもリーマンショックの只中。本当に道はあるのかと不安になりました。そんな中、担当のアドバイザー氏から、「転職を専門に支援するエージェント」の利用を薦められたのです。その一つが「キャリアクリエイト」さんでした。そのときは、残念ながら、お世話になることが出来ませんでした。しかし、このときの記憶が、後に大きな「縁」をわたしにもたらしてくれることになります。そのときは、まったく想像できませんでしたが。

山形での再就職をあきらめ、大手エージェントに求職登録し、全国に視野を広げました。遠くは北九州小倉。某製鉄メーカーの子会社の面接を受験。「明日面接に来てくれないか。」JTBに飛び込んで、急いでチケットを入手。面接に向かうため、生まれて初めて飛行機に乗りました。自分の世界が大きく広がってゆくのを肌で感じました。ゲーム機最大手のメーカーでは、東京青山の本社で最終面接にまで臨むことができました。不合格ではありましたが、偉大な先輩の足元にも及ばないと思っていた自分のスキルが、一定の評価をいただいた。大きな自信になりました。

約半年間の再就職活動を経て、最終的に2社から内定を得ました。そのうちの神奈川県にある会社に入社しました。決め手は、上場企業であったこと。勤務地が山形に似て、自然豊かな環境であったこと。そして、特急で1時間で都心にアクセスできたことです。

2年半お世話になりましたが、ともても得がたい経験をすることが出来ました。経営状態が極めて悪化している状況での入社。給与・賞与ともに大幅にカットされ、退社までそれは解除されませんでした。ですが、企業の最悪の状態と再生の過程を体感し、直接的にではないにしろ、再生への活動に携わることが出来たこと。これは今後の自分の宝になると思います。

そのなかで感じるようになった違和感。現場からかけ離れたところで、机上の数値から資料を作ってゆく。これでいいのだろうか。開示規則にしたがって資料をまとめてゆくことが、果たして経営に生かされるのだろうか。現場主義を叩き込まれた自分にとって、現場から乖離した経理は、「自分が目指すべきものではない」と感じたのです。と同時に、「現場に根ざした経理、投資家といった会社の外へ向けて情報を発信する」のではなく、「経営に生かすべく会社の中へ情報を発信する経理に、再び、腰を据えて携わってゆきたい。」そう思い立ち、再び、転職のための情報を収集するようになりました。

そのさなか、東日本大震災がおこりました。

事務所でパソコンに向かっていたとき、これまでに感じたことの無い大きな揺れに恐怖を覚えました。かつて東京の親会社へ出向中に遭遇した中越地震を思い出しました。すぐに停電になり、避難指示がでました。全社員が非難した後、即退社を命じられました。会社から15分ほどの自分の部屋に帰ってすぐTVをつけました。幸い電気は通じていました。次々と映し出される、現実とは思えない光景。記憶にある、実際に何度も訪れたことのある風景が、消え去っている。いったい何が起きたのか。実家と連絡が取れたのは夜遅くのことでした。家族の無事を確認しほっとしました。ただ、家族の無事な姿を「この目で見るまでは」安心できない。私に出来ることは、TVに映し出される映像を携帯で撮影し、山形の家族にメールすることだけでした。停電のなか、情報を入手する手段を絶たれた家族の助けになればとの思いです。このときの思い。山形から離れ、家族のために何も出来なかった悔しさが、私に、山形へのUターンを決意させました。震災から1週間後、羽田から庄内空港へ、庄内空港から高速バスでなんとか山形へたどり着き、家族の無事な姿を目にしたときは、心から安心しました。

それから、年度末の本決算。1か月以上休みなしという、毎年恒例の激務を終え、ゴールデンウイークの代休を取得し山形へ帰省したとき、私はスーツと革靴を持参していました。履歴書に添付する顔写真を撮影するためです。6月初旬のその日。再就職時にお世話になった近所の写真館へ予約の電話をしたところ、臨時休業とのこと。仕方なく、明日の予約をとりました。時間は昼過ぎ。せっかくスーツを着ているのだからと、頭に浮かんだのが再就職の折お世話になれなかった、「キャリアクリエイト」さんでした。「直接、山形の求人動向を聞いてみよう。」だめでもともとです。「電話しよう!」そうしたら、何と「すぐに来れますか?」その足で事務所に伺いました。代表の原田様より簡単なカウンセリングを受けた後、紹介されたのが「B社」です。その日のうちに書類を揃え、原田様に送付。翌日には佐藤様と、より詳しい面談を行いました。「こんなキャリアを持った方を探してたんです!」そんなお言葉を頂いたときは正直驚きました。先方様より待ったなしの催促を受けられているさなかとのこと。「とにかくこの流れに乗ろう!」と思い、進めていただくことに。その後は、こわいくらいスムーズに進展し、翌週には面接受験の機会を頂きました。面接では、社長様はじめ、皆様と深く意見を交換することが出来ました。B社の進む道と自分が歩んできた道が重なり、一つに重なってゆく姿が見えました。「ここで働きたい。」そう思える環境に巡り合うことができたこと。しかも、生まれ育った山形の地で。うれしかったです。

その日の夕方、東京へとんぼ返りし、翌日の出社に備えていた深夜2時、祖母が亡くなったとの連絡が山形の家族からありました。これは果たして偶然なのか。いや偶然ではない。祖母は私が山形に戻り、家を支える決心をしたことに安心したのではないか。そう思わずにいられません。翌日山形へ戻り、人生で初めて、喪主を務めることになりました。ここで感じた、親戚の皆さん、山形の暖かさ。忘れかけていた大切なものを、祖母は最期に私に思い出させてくれたのかもしれません。

翌週、内々定の連絡を頂きました。そして、7月6日。私の34回目の誕生日。採用決定のご連絡を頂きました。

Uターンを決意し、行動に移してからちょうど1ヶ月。これほど早く、ベストな結果を得ることができるとは想像できませんでした。これまでの人生で感じたことのない「縁」を感じます。ですが、やはり、「キャリアクリエイト」さんと出会えたこと。原田様、佐藤様、黒川様。皆様と出会えたことが一番の「縁」だとおもうのです。

一人でも多くの方が、素晴らしい「縁」に巡り合い、自然豊かで心が温かい人々でいっぱいの山形へUターンされることを、心より祈っております。

皆さま、このたびは、本当に、有難うございました!
これからもよろしくお願いいたします!


2011.07.07:kouichi:コメント(0):[転職あれこれ]

【転職あれこれ】面談でセールスされたのは初めて...Aさんの起業計画

「次の方!Mさん、お待たせしました。こちらの面談室にどうぞ!」

山形にUターン希望のMさんの第一印象。
目ぢからがあり、いかにも度胸と行動力がありそうな営業のプロ。
そんなMさんは、学卒後、アラサーまで本気でミュージシャンを目指して、音楽活動に真剣に取り組んでいました。

しかし、残念ながらこの夢は断念。
その後、いくつかの道を通り、たどり着いたのがこれぞ天職では?と感じる営業職でした。

しかも、この営業している商品が、Mさんのコミュニケーション力を更にパワーアップさせるようなコミュニケーションツールを販売されているのです。
このツールの営業にかけては、ベンチャー企業といわれた時代から丸5年以上の経験。
今ではすっかりメジャーになり、今後は医療や福祉分野において、更なる機能発揮を期待されている分野です。

「Mさん、それではザックリ現在の業務を説明していただけますか?」といういつものステップに入った途端、ドサッと机の上に出てきたのはこの自慢のコミュニケーションツールのプロモーション資料。
素人にもわかりやすく、しかも簡潔にしつこくない流れるような説明のあと、思わず「すばらしい商品ですね!」とその気にさせられてしまいました。

Mさんは、続けて言います。
「このコミュニケーションツールを震災復興に役立てたいんです。」
説明を聞くとこれもなるほど....。

立て続けに出てきた言葉。
「申し訳ありません。実は転職相談ではないんです。起業相談なんです。山形の市場、東北の市場を体感されているプロの意見を伺いたかったんです。」

実はMさん。週7日間(全部)全国を飛び回って営業活動されています。そんな中でUターンを考え出した近年、意識的に東北地区の開拓を優先させてきたとのこと。
もちろん、お世話になった現在の会社に後ろ足で砂を・・・ということではなく、東北支社(のれん分け)を正式に会社に提案しているとか。

第二印象。
頭の切れる若手社長。。に見えてきているのに気がつきました。

いろいろな形で絡んでくれる皆さんから、新たな絡まれ方を教わり「これも心地よし」と感じた面談でした。

Mさん、将来なにか絡めるかもしれませんね!

文:佐藤広一
2011.06.28:kouichi:コメント(0):[転職あれこれ]

【転職あれこれ】まさに、縁とタイミング! <続編>

6/9に、弊社代表がアップした記事、
まさに、縁とタイミング」の続編です。

前回記事の流れはこうです。

ずーーっと以前からいただいていたA社の求人案件がありました。

ずーーっとお待たせしていた求人ご担当の役員様の転勤が決まりご挨拶の電話をいただいた。
「もう、そんなに待てなくなりました!」

その翌日、ずーーっと探していたのに見つからなかった、「ニーズにぴったり」のUターン希望者Bさんから求職登録をいただいた。

早速面談し、「これはやはりぴったり!」と判断、A社に写真付書類で紹介差し上げたのが、頂いた電話から実質3営業日でした。

これだけずーーっと探していたし、実際に面談もさせていただいていたのに巡り合えなかった「ぴったりの方」に、ご担当役員の転勤連絡直後に巡り合えた!「縁」てすごい!

という流れでした。


あれから2週間。さてさて、その後どうなったでしょうか?



Uターン希望者のBさん。内定おめでとうございます!


Bさんは、現在東京で就業中ですので、面接の段取りはさすがに「では明日山形で面接しましょうか!」というわけにはいきませんでした。
仕事の都合をつけてもらい、平日に面接に臨んでもらいました。

それでも、実質2週間!
私も面接に同席させていただきましたが、社長様以下、総勢5名の役員・マネージャー様をそろえて頂きA社様も一方向からの面接にならぬよう、そして意思決定のスピードもMAXで行えるような態勢を完全に仕上げて、面接機会をご準備いただきました。
このことは、企業側として「本当に欲しい人材に巡り合えた時」を想定すると、企業側の採用姿勢を求職者にアピールし、求職者の動機付けを喚起し、ひいては意思決定に結び付けていくための最良の方法の一つであることを実感しました。

本日、Bさんは意思決定をしました。めでたく8月には念願のUターンが叶いそうです!

今回感じた、大きな縁の流れ。。。。これに「乗ろう」と意思決定したBさんの文章をご紹介します。

----
○○様からの内々定のご連絡、有難うございます。
なんというか、感謝の気持ちで胸があふれております。

内々定、謹んでお受けしたく存じます。

面接で感じた、皆さまの温かさ。
佐藤様のお言葉通りの温かさに正直驚きました。
そして、面接の最後に、○○社長様からいただいたお言葉。
私の頭の中ではっきりしなかった部分がすっと晴れわたり、今、そしてこれからの○○様の進むべき姿と、○○様で自分がなすべきことがはっきりとイメージできたのです。

 ~~ 中略(久々に帰省した際の心を動かされた出来事が記載されています。)~~

山形の温かさをこれほど感じたことはありません。
と同時に、自分は山形で、家を守ってゆくべきだと改めて強く思った次第です。

震災以降、心の中で山形へのUターンを考えてはおりました。
しかし、6月3日にキャリアクリエイト様を訪問し、その日に○○様をご紹介いただき、6月○日には面接受験のチャンスをいただき、本日内々定というお答えをいただいた。
信じがたいことですが、この「大きな流れ」に乗るべきと思うのです。

長文失礼いたしました。
以上が私の率直な気持ち、考えであります。
皆様によろしくお伝え願います。

-----

また一人、山形に誠実で元気な若者が帰ってくることになりました!

末永く、宜しくお願いします。


文:佐藤広一
2011.06.23:kouichi:コメント(0):[転職あれこれ]

【東京出張面談報告】5月28日にお会いした皆さんありがとう。

昨年より17日早く梅雨入りした5/28の東京新橋。
恒例の東京へ出張しての面談日を設けました。

今回の担当は私佐藤です。
毎回、上りの新幹線はワクワクしながら面談予定の方々の履歴書と職務経歴書で予習しながらの旅になります。

現在も働いていらっしゃる方々が多いので、お仕事の都合で直前でお会いできなくなることもあるのです。
今回はこれが起きてしまいまして、計3名の方々との面談でした。
でも、パタパタせずにお一人お一人ある程度余裕を持って面談させて頂けたかもしれません。

Sさんは向上心旺盛。。。旦那様の仕事がキッカケで日本にいらっしゃいましたが、一家皆んなで日本が大好きになってくれて永住権のもと頑張っていらっしゃるそうです。母国中国で習得した会計の知識を、ワールドワイドで活躍する企業で活かしたい、と意欲満々です。

Oさんは26歳。「これでいいのかなー」と仕事の現状と故郷山形に向き合っている好男子。多摩川で芋煮会を開催しながら郷里を想ってくれています。スキルが何も身についていないのです。。とおっしゃる姿は、自己分析力と謙虚さを持ったしっかりした社会人でした。是非是非、今度は芋煮会も参加・手伝わせていただきたい。

Sさんは飛び込みOKの過酷な営業もこなすキャパでありながら、「自分は2番手3番手」との自己評価。支え・守る側に意欲を燃やす好青年です。やりたいこととか、そのフィールドを山形で・・とか、まだすべてが繋がっていないのかもしれないですね。。。ビジョンが見えて、突破する対象が明らかになった時にこそ力を発揮するタイプに見えましたよ!もうちょっと時間をかけてみましょう。

毎回ですが、こうして山形を出て面接させていただき、皆さんの山形への思いをうかがうと、早く山形に帰りたくなります。
私自身の大事な振り返りの時間にさせていただいています。

いつもいつも、元気を頂いて有り難うございます。

文:佐藤広一
2011.05.30:kouichi:コメント(0):[転職あれこれ]

【転職成功物語12】「働かされる」ことと「働く」こと

「働かされていてはダメ!」
「自ら仕事を創って働くぐらいでないと!」

大半の方々がOJTの中で体感した、もしくは隣人が指導を受けている場面で耳にした事がある言葉だと思います。
これは、ご存知のとおり「主体的に仕事に取り組みましょう。職場も自分も活性化しますよ。」という指導の場合が多いと思います。

一方で、「それは昔。古き良き時代の話。今は経営効率化、固定費圧縮の下に、人員削減・労働時間削減が進められ業務が増えても増えてもさっぱり人員を増やしてもらえない。結果、働いても働いても「働かされ続ける」、と指摘する方もいらっしゃいます。

もちろん、仕事量MAX期に合わせた人員を固定している経営者はいないと思いますが、ずーっと恒常的な労働力不足状態は従業員を疲弊させ、その家族にも影響を及ぼしてしまう・・・と考えさせられるAさんのご相談内容でした。

Aさんは、前職の仕事が好きでやりがいを持って主体的に働いていました。
ですから、同じような仕事が出来ること、つまり職場を変えたいという転職活動をしていたのです。
「主体的に働きたい」一心で・・・。

結果、残念ながら思い通りの同業とのご縁は結べませんでしたが、「働くこと」ができる職場にめぐり合えたようです!

以下、原文のままご紹介します。

------------------------
以前から、勤めている会社と自分の考えのギャップに苦しみつつ仕事をしておりました。
しかしながら、会社からは管理職をまかされ、他のものからみれば充実した毎日をおくっていると思われていたと思います。
そんな時、体を壊しました。
1週間入院して治療をしましたが完治せず、後遺症が残ってしまいました。2週間後、会社に復帰しましたが、後遺症を抱えながら嫌な思いをして仕事をこなしていくことが苦痛になり、退社を決意しました。
退社を決意したものの仕事をしながらの就職活動は困難であったため、キャリアクリエイトに登録し、就職活動を支援していただくことにしました。登録後、佐藤様からすぐに連絡があり、履歴書や職務経歴書の書き方などの指導をいただきました。
登録後の約3か月後に1社紹介していただきましたが、お互いの条件が合わず不採用となりました。その時、面接担当者から、自分の取得資格の少なさを指摘されました。
その後、就職先は決まっておりませんでしたが、会社を退職して就職活動をすることにしました。当初、勤めていた会社と同業界を希望する旨を佐藤様に伝え、就職先を探してもらっていました。自分でも頻繁にハローワークに通い情報を集めましたが、これまでと同業界の求人はありませんでした。気が付くと退職してから5か月余りがたっていましたが、自分の体のために少し休んでいるのだと考え、あせらないようにしました。
その後、少し希望する業界を広げて活動することにしました。すると、すぐに3社の求人が見つかり、3社ともに面接させていただけることになりました。その中で、キャリアクリエイトの佐藤様から紹介していただいた会社の「精神・人柄」に「惚れ」、入社を決めさせていただきました。

会社に入社し、2か月余りが経ちました。まだまだ慣れてはいませんが、頑張っております。

就職活動中は、キャリアクリエイトの原田様、佐藤様には大変お世話になりました。感謝しております。また、就職活動中の自分を支えてくれた家族にも感謝の気持ちでいっぱいです。

------------------------

Aさん、お体に気をつけて!ご家族を大切に。。。

文:佐藤広一
2011.05.10:kouichi:コメント(0):[転職あれこれ]