石巻市震災遺構 門脇小学校 見学です。
説明して下さったのは、館長のリチャード・ハルバーシュタットさん。彼は、以前鶴岡市のALT.その後、イギリスに帰ったのですが、日本のことが好きで、石巻専修大学で教えていました。そこで震災に遭ったのです。日本の友達からいろいろと助けてもらったから、石巻に残って震災のことを伝えようと決めたのだそうです。熱く熱く語ってくださいました。
あの大震災は、6年生が生まれる前の出来事になってしまいましたが、みんな真剣に聞いていました。
石巻市は、太平洋に囲まれているところなので、一番被害が大きかった所。
この写真の青い矢印が津波です。
この門脇小学校は、このラインまでしか水は来ませんでした。子どもたちは、津波の訓練をしていたので、上級生が下級生をおんぶしたりして学校にいた児童はすべて助かったそうです。でも、下校時刻が早かった1・2年生の中には、命を落としてしまった人もいたそうです。
これは、津波が運んできた暖房の火と思われるものが、学校まで流れてきて2階3階が焼けた跡です。凄まじい火事の跡だということが、一目でわかりました。
これは、廊下。教室の戸は、すべて焼け落ちていました。
これは、体育館の床の泥です。地域の方が避難した場所。また、お家の方に児童の逃げ場所を伝えるために残っていた教職員もいました。地震の後、1時間ほどして襲ってきた津波や火事から逃げるために・・・
なんと、みんなで知恵を出し合い、思いついたのは、この教壇。これを橋にして校舎から裏山へ続く道に逃げたのだそうです。しかも、この重い教壇を一人で運んだのだとか。1階にいた方も、今度は、これを「はしご」にして裏山へ這いあがったそうです。本当に「火事場のばか力」が出たと、あとで話していたそうです。襲ってくる津波、燃え盛る炎から逃げたことを考えると、ぞっとしてしまいます。
この言葉は、石巻の方々の思い。私たちは、決して2011年のことを忘れず、またこれを教訓にして大事な命を守らなければいけないと改めて思いました。
リチャード館長さん、ありがとうございました。館長さんの話は、6年生の心にしっかりと焼き付いたことでしょう。
この記事へのコメントはこちら