けんのーと

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「南陽支部親子行事 ボランティア&バーベキュー」のサムネイル「東日本大震災被災地の一つ東松島市にて活動」のサムネイル「嘘でも間違いでもなかった 」のサムネイル「米沢でもできることはある!こんな時こそ「譲」の精神!」のサムネイル「1年2組担任の私の主張「IT機器への個人的な挑戦状…私がほしいもの」」のサムネイル
「南陽支部親子行事 ボランティア&バーベキュー」の画像
本日南陽支部にて親子行事を行いました。
役員会を何度か開き、ただバーベキューして食べて終わりでは何か物足りない… ということで南陽市花公園にてボランティア活動をさせていただきました。4時に集合し、活動開始。ボランティア実施を決めた1〜2か月前の段階では「4時なら涼しくなるだろうから、ボランティアもしやすいだろう」と結論をだしたのでしたが、その考えは甘かったようで、今日もとっても暑い1日。そんな中、南陽支部支部長辻さんを始め、お母さんたちと生徒達が頑張ってくれました。今回の親子行事参加者での男は私と辻さんの二人のみ。次回はお父さん方や男子生徒達にも顔をだしてもらいたいなと思いました。短時間のボランティアでしたが、けっこうな量の草をみんなでむしりました。その後、公園の滑り台で生徒達はハッスルし、青春を満喫していました。

そしてハイジアパークに場所を移し、バーベキュー大会。最初は「この量ならすぐ食べ終わるね」なんて言いながら食べ始めたものの、実際には食べても食べても減らず、みんな満腹になりました。夜風も気持ち良く、久々に外での食事、良いものだなぁとシミジミしてしまいました。 食後には豪華賞品を賭けたじゃんけん大会と写真撮影大会(写真撮り合いごっこ?ほとんど動いていない人を連続撮影したり、人工心霊写真を作ったり…女の子の発想力にびっくり!!)。 最後まで笑いがつきない親子行事で、たのしいひと時を過ごせました。 
南陽支部、今後も活動を計画し、役員の方中心に実施へむけ検討しつつあります。是非、お一人でも多くの参加者をお待ちしております。

ご協力いただいた辻さん、小川さん、佐藤さん、風間さん、生徒のみなさん
一日ありがとうございました!
2012.09.16:ken20:[メモ/コンテンツ]
明日、石巻に行かれる2年5組の皆さん&JRCのみなさん&引率されるみなさん!!

宮城県民の一人としてお礼を言わせてください!!


復興への力添えの申し出・協力 どうもありがとう


怪我などしないように 十分に気をつけて

被災地復興への手助けよろしくお願いします


自分の学校の生徒
それも
自分と同じ学年の生徒が
(もちろん他学年の生徒のみなさんも)復興ボランティアに参加してくれること
遠藤はとても誇りに思っています。

普段は2年5組とのかかわりありませんが(掃除と授業で一部生徒としか関わりがないけれども)…

本当にありがとう!
そして明日はよろしく!!

PS:今回参加できない遠藤の分「男子1名分」の力も皆で分担して注いできてください
2011.07.01:ken20:[メモ/コンテンツ]
「東日本大震災被災地の一つ東松島市にて活動」の画像
先日、東日本大震災被災地の一つ東松島市にてボランティア活動をしてきた。到着して早々、何とも言えないにおいと埃っぽさに、被災地に着いた実感がわいた。自分以外にも本当に大勢のボランティアの方々がいて、活動していた。宮城出身の一名として、本当にありがたく思っている。震災から3ヶ月が過ぎ、各家庭・ボランティアの方々が毎日復興へ向けて、日々精一杯活動しているのはいろいろな報道から知っていたが、それでも復興への道のりははるか長く、我々にできることは山のようにいくらでもあった。私は、東松島市で20名ほどの団体の一員として、朝から夕方まで活動してきた。私たちの団体の向かいには、愛媛県から来てくれた団体、早稲田大学の団体などが汗を流しながら活動していて、またまた私はとてもありがたく思った。20名で1日一生懸命活動してどのくらい復興が進んだかだが、私の想像よりはるかに遅く、「通り1本(50Mほど)」の片付け・清掃位だった。誰も手を抜いていないのに、1日これしか進まない。もっともっと、もっともーーーーーーーーーーっとボランティアが必要だ。今度、2年5組がボランティアに行ってくると聞いた。とても嬉しく、頼もしい。 男子も各個人で良いから、今できること・継続してできることを精一杯してほしい! 





2年2組担任遠藤はまたボランティアに参加し、宮城・東北復興へ向けて汗を流そうと決意した。



昨日1才になった娘にとって、自慢の父親になるためにも。
2年2組にとって、自慢できる担任になるためにも。
2011.06.24:ken20:[メモ/コンテンツ]
「嘘でも間違いでもなかった 」の画像
先週末一泊で宮城に帰ってきた。 大震災以降初めての宮城への帰省で、宮城の様子を自分のこの目で確認し、宮城に住む人から話を聞いて自分に何が出来るか心から考えたくて宮城へ帰った。21日、宮城県内陸地にある実家加美町にむかった。私がいたころも度々大きな地震にあっていたが、今回の地震はやはりこれまでのものより桁外れの大きさだったのだと実感、瓦が落ちてしまっている家がたくさんあり、ブロック塀が崩壊し、墓が倒れ、道路が歪み、道路と道路の間に大きなずれができ、車での走行もこれまでのようにはいかないところもあった。22日、自分が幼い頃過ごした多賀城、それから七ヶ浜に行った 言葉が出なかった、あまりのひどさに… テレビや報道雑誌で被災地の様子は知ったつもりでいた。だけど、どこか非現実的に感じる自分がいて、実はテレビが嘘をついているんじゃないかなんて思っていた。だけど…やっぱり報道は本当だった。夢ではなかった。自分が関わった土地が変わり果てていた。自分の目で見たのに、確認したはずなのに、親友のお母さんから現実を聞いたのに、それでもまだこれは夢であってほしいと祈ってしまう。 宮城でできること、自分は今は米沢で生活してるけど、自分も何が出来るか2年2組の生徒と共に被災地のこと考えて行動する。2組の生徒には、被災地のみなさんのことを想って、積極的に行動できる人になってほしい! ささやかだが、明日、募金をする。被災地のみんなも頑張ってるの知ってるけど、keep on 頑張れ!!米沢から、心の奥底から復興を願っている。それから、被災地にはいなかった自分も他の人も頑張れ!!現実から、目をそむけてはいけない!現実を受け入れ、上を向いて歩こう。 自分は死ぬまで、少しづつでも故郷宮城に恩返ししていく! 
PS:それから、2年前の3年2組卒業生、力矢が被災地に行って、被災者の方々のために仕事を頑張ってくれているとお父さんからお聞きした。とっても嬉しい、ありがとう! 力矢これからも頼むど!!!!!!!

2011.05.24:ken20:[メモ/コンテンツ]
明日から野球の県大会。
野球部のみなさん、頑張ってください!!
みなさんのハキハキしたあいさつ、みなさんの隅々まで行き届いた朝の掃除、みなさんのその他もろもろに
遠藤は爽やかさと元気などをいっつももらっています。

一戦一戦全力プレーで、九里野球部を見せ付けてやってください!!

今日は帰りのSHRで、2年2組の野球部員の壮行式をおこないました!
2組の応援団長尚展が大きな声で元気にエールをしました!


いっけーいけいけ いけいけ九里!
いっけーいけいけ いけいけ大和!
いっけーいけいけ いけいけ功雄!
いっけーいけいけ いけいけ綜!
いっけーいけいけ いけいけ幸樹!
いっけーいけいけ いけいけ拓夢!
いっけーいけいけ いけいけ祐哉!
いっけーいけいけ いけいけ九里!
                』
ありがとう、尚展!

そして担任が率いたことではなく、尚展中心にクラスメートのみんなが自ら考え動いてくれたこと、とてもうれしく思っています!

とにかく野球部のみなさん、2年2組は応援してます!

がんばれー!


あっ…

写真撮り忘れた
2011.05.12:ken20:[メモ/コンテンツ]
「米沢でもできることはある!こんな時こそ「譲」の精神!」の画像
11日、本当に悲惨で悲しい光景がテレビを通して、自分の故郷宮城を始め東日本で起きたこと、これからも一生忘れない。いや、忘れられない。

地震前のありふれた何気ない日々が、幸せだったんだ。今になって実感、遅いようだけど。

振り返ってみたら私が産まれて2ヶ月、昭和53年6月にも宮城県で大地震があった。母は私と姉を抱きかかえ、避難したらしい。今回の地震は、専門家も予想外だったと言っている。自然のことだから、みんなの予想を越えることはありうる。今回のことであの時震災を経験した人々(国境なんて関係ない)・海外でこの震災を知って援助を申し出てくれた方々は

を強めた。これから先どんなことがおこっても乗り越えられそうなくらい頼もしく思う。私のうちでは今回の震災で被災した人に何ができるか考えた。とにかく『今すぐに』できること。宮城などに行って被災者の方をサポートするのが一番なんだけど、赤ちゃんがいることを考えると『今すぐに』それはできない。今できること、ほんとに小さくて、みんなをサポートできてる実感が湧かない面もあるけど、『節電』してる。これまでより寒い部屋で、耐えて生活してる。押し入れからこんなものを出してきて、使っている。(画像参照)全然つらくなんかない。心の中は『ほんのちょっとでも宮城のためになりたい!』という一心。今できることはこんなちっぽけなことだけど、絶対に形をかえて宮城にもっともっと恩返しする!

自分を育ててくれた宮城、仙台を、また造りあげよう!
また杜の都に行くぞ!

人の幸せと自分の幸せに
境界線なんてないんだ。
武田双雲

道は必ず拓ける!


宮城県民歴32年遠藤より、様々な救いの手を差し伸べてくれている人へ

『ありがとう』
2011.03.20:ken20:[メモ/コンテンツ]
「1年2組担任の私の主張「IT機器への個人的な挑戦状…私がほしいもの」」の画像
今の生徒の様子を見ていて、とても残念なことがある。今のこの世の雰囲気のせいなのかもしれないから、しかたがないと言えばしかたがないのだが、あまりにも多くの人間が「携帯電話中毒」になっているのではないだろうか。そんな私も半ば携帯電話中毒気味なのかもしれない。必要に迫られているわけでもないのに、何かにつけ、携帯電話を見て使ってしまうのだ。そんな自分が嫌だ。
私が大学に入ったころ、ちょうど「ポケベル」が流行り始めた。その頃は「便利な世の中になって良がったなー」なんて思っていた。その後すぐに、今度はPHS・携帯電話が流行し始めた。あっという間に周りの友達はPHS・携帯電話を持ち始め、持っていないことが「非常識」のようになっていた。自分もその一員になった。いつでもどこでも友達と連絡が取れ、携帯電話さえ持っていれば、何でも出来たような気がした。
だけど、ある時ふと感じた。「俺って携帯電話に捕らわれてないか?」
自分の行動が、携帯電話で支配されてきたような、制限されたような気がした。
携帯電話がないときって、どんな生活だっけ?思い出してみた。

「もっと自分の時間を持てた」、「邪魔も入らず、友達と集中してとことん遊べた」、そして何より「自分だけの時間をゆっくり過ごせた」。良かった。友達と連絡をとるには、自宅に電話をしなければならない。友達の親が出ることもあれば、友達のお姉さんが出ることもある。時には、友達本人がいないこともある。それが面倒で、本当に遊びたい時以外は、電話をせず、家でT-BOLANを聴いたり、ギターを弾いたりしていた。今の携帯に縛られた忙しいゴチャゴチャした世界よりは良い。

一回携帯を持ってしまうと携帯を持たない生活をするのは困難だ。私の場合は仕事上携帯が不可欠だが、できることなら持ちたくない。無くて不便なこともたくさんあるだろう。だけれどもなくともどうにかなるかな自分は。現に、13年前は持っていなくとも、平和に生きていた。もっと家族との時間を大切にしたい。

今私が欲しいもの。それは「ゆっくりできる時間」。せめて休日は、産まれた赤ちゃんと家族と、邪魔が入らない「のんびりした時・ゆっくりできる時間」がほしい。T-BOLANの名曲”boy”をBGMにかけながらそうしたい。
叶う日は来るのか? 携帯電話へ挑戦状をたたきつけよう、そして携帯電話と距離を置いてみようかと考えている今日この頃。
2010.09.08:ken20:[メモ/コンテンツ]
「九里祭1年2組展示の答えは… そして今頑張っていること」の画像
九里祭1年2組夏休みも学校に来てコツコツとやったこと…

それは、

「ドット画作成」 


でした。合計で 17,374マス分の折り紙をとにかく貼って作りました。単純な作業ではありますが、とにかく折り紙を作成すること・折り紙を準備することがとっても大変でした。 大変なだけあって、完成したときの喜びは、とても大きなものでした。私も教員になって、トップ3に入るくらいの感動でした!

たいへんだったけど、やって本当にいがった〜〜〜〜(*~。~*)

そして今2組が頑張っているのは「私の主張」を書くこと。みんなどんなことを書くのか、どんなことを考えているのか、楽しみです。近日中に担任も去年に引き続き、このブログで主張してみようと思います。今回はIT機器への挑戦状ネタの予定です。
2010.08.30:ken20:[メモ/コンテンツ]
「九里祭1年2組は…画像がヒントです。」の画像
1年2組の展示は、夏休みも登校し、休日返上で取り組んできました。夏休み明けてからもまだまだ作業が残っていて不安でした。今朝になってもまだ完成できず、みんな不安にかられました。そういうわけで、残念ですが2組の展示は間に合いませんでした…



なんて言う日が来てしまうのではないかと本当にヒヤヒヤしました。

みんなで力を合わせて、みんなで工夫して、時にはぶつかりながらも、みんなで汗を流して

なんとか先ほど16時ごろに完成しました。

良かったー、間に合ったーーーーーーーー

体育館内に展示したので、是非ご覧になってください。

巨大な「○○と□□」を一点展示しました。ステージ向かって右手側です。お待ちしています。





以降 業務連絡
1年2組のみんな ほんとうにお疲れさん! クラスみんなで頑張った結果としての達成感を味わえたこと、担任として幸せです。部活返上・休日返上でほんとうに頑張った!君らはすごい!

2010.08.27:ken20:[メモ/コンテンツ]
「6/10-11 1年2組の初体験その壱、その弐!!!!」の画像
6/10-11学年行事へ行ってきました。

体験その壱は「植林」。とっても暑い中でしたが、2組はみんなで3本の木を植えてきました! 数年後、卒業前にみんなで木の成長を見に行ければと担任は思っています。みんなが汗水ながして植えた木が、どんな花を咲かせるのか楽しみにしています。

初体験その弐は「トレッキング」、およそ26キロを歩いてきました。天気は快晴、この日も暑い1日でした。生徒の多くにとっては、初体験のこととのこと。始まる前から「もう無理だー」なんて言うO君もいましたが、何だかんだ言いつつも、最期までやりきるのがO君の良いところ。

2組の合言葉はなぜか「シャーッ セイ!」  中継地点で休んだ後も、気合を入れるため「シャーッ セイ!」。2組の大地隊、大泉隊、山科隊で力を合わせてゴールの九里まで歩ききりました。ゴールしてから歓喜の「シャーッ セイ!」かっこよかったぞ、一体感があって!

昭和生まれの担任は2度目のトレッキングですが、平成産まれの若者に負けじと、何とかかんとか生徒達についていき、ゴールできました。

2日間本当に充実した体験ができました。




トレッキング後、担任は学校から自宅まで数キロ、テクテク歩きました。
その後の達成感は最高でした。無茶した甲斐がありました。


貴重な経験ができた一日でした。
2010.06.14:ken20:[メモ/コンテンツ]
「1−2担任の机の目前の窓に□□を!!!!!!!」の画像
九里学園2度目の1−2担任遠藤です。(3年前も1−2担任をしました。)
宿泊HRやこれまでのLHRなどを経て、クラス目標や各個人の目標をたてました!

うちの生徒たちの目標は
「甲子園出場」
「インターハイ出場」
「どの大会でもユニフォームをもらう」
「地区総体優勝」
「3年間皆勤」
「全国制覇」
「スタメン入り」
などでした。
一人一人の目標を叶えるためにも、担任の机の前に生徒の目標を掲示しました。
毎日クラスの生徒の目標を自分の目標と意識して、生徒のみならず担任も精一杯頑張りたいと思います。


アントニオ猪木さんが言う「元気があれば、何でもできる」

人生において先輩の言葉には何かしら学ぶべきことがある。担任も猪木さんの言葉に学んだ。
そうして1年2組担任はこのように考えた。「元気と目標があれば、何でも頑張れる!」

向上心をもって、がんばろう! 
NEVER GIVE UP1−2 !!


今年も1−2は面白い面子が 勢ぞろいだ!













PS:本日の面談でクラスの生徒のアンケートに「担任は熱い!」とか「熱血教師」とか書いてあった。その「熱い」とか「熱血」という言葉は「松岡修造さん」を彷彿させると言う。確かにテニス部顧問という意味では分からなくはない。担任本人にその自覚症状はないんだけどなぁ…
2010.05.20:ken20:[メモ/コンテンツ]
「森友嵐士」の画像
ファミコン(現在のPSみたいなもの)が大好きで、ゲーマーになるほど没頭していた小学生の時の私を救ってくれたのは他ならぬ音楽だった。中学校に入って、たまたまあるCM曲に心を奪われた。それがT-BOLANというバンドの「じれったい愛」という曲だった。その曲に出会ってから、私は「音楽馬鹿」になった。このバンドは、ボーカルのハスキーボイスが特徴で(もちろんメロディーも良い!)、ファンになった人が多いのだと思う。私ももちろんその一人だ。 中学校3年生の時、家族を説得し、アネゴと仙台へ人生初のライブに行った。もちろんT-BOLANの。生で聴く演奏は初めてで、音圧につぶされるかのような感覚だった。

それから数年、T-BOLANはなぜか突然姿をくらませ、1999年私が大学生のころ、何の前触れもなく突然解散を発表した。すごくショックだった。 待っていたんだけどなぁ…。

それからいくら時が流れても、T-BOLANの曲は私の車の中で流れ、カラオケで歌われ、私の記憶から消えることはなかった。教員になり、山形に来て数年。2009年、結婚し、さまざまな状況が変わり、世間ではT-BOLANの名が消えかかっていたことと思う。結婚式ではT-BOLANの曲を使用した。あの時は復活するとは全く想像していなかった。 そんな昨年末のある日、本当に突然だった。あのボーカルがソロで復活すると発表した。

森友嵐士。

なんで今復活?14年も沈黙してたのに…

14年もの沈黙の理由は、声がでないというものだった。ボーカリストにとっての死刑宣告。どれだけ苦しかったことか…

それを聞いて、ふと思い出した。自分のこと。
今から2年前。私が1年生男子クラスの担任をもって一か月もたたないうちに、私も森友さんと同じく「声」が出せなくなった。まるで肺に穴があいたかのように、声をだそうとしても、腹に力が入らない。いつも生きる上で、息をすうのと同じく「楽」にできていたのに、それすらできない。教員として声が出ないこと、それは教員を続けられないということ。

担任一カ月ももたずに辞める…? 何のためにわざわざ米沢まできたんだ?

たくさん考え、たくさん苦しんだ。あの時、支えてくれた先生方は、当時は、「健先生はもう駄目だ。」と思ったとのこと。もちろん、情けないけれども自分自身でもそう思った。今となっては何がきっかけで回復できたのか思い出せないけれども、本当にとてつもなくつらく、苦しい日々だったのは覚えている。

偶然にも森友さんのファンだった自分が、短い期間ではあったけれども森友さんと同じ「声が出せなくなる」という境遇があり、どれだけ辛かったかは想像できる。森友さんご本人が一番苦しんだだろうけど14年もの長い間復活の為にリハビリを続けてくれたこと、私たちは14年間も待ったけれども、ボーカリストとして戻ってきてくれたこと、とてもうれしいし、励まされる。このブログをご本人が読まれることはあるだろうか? いづれにしても私はこれからも森友さんを、そしてT-BOLANを16年前の中学生時代と変わらず応援する。 明日3/24、森友さんは本当に久しぶりにCDをリリースする。もちろん購入。早く聴きたいな。中学時代を思い出すかもな。 明日は間違いなく良い一日になりそうだ。森友嵐士さんサイト→
www.moritomo-arashi.jp/top.html





あっ、しまった…















明日は会議があったんだ…
2010.03.23:ken20:[メモ/コンテンツ]
「てがみ」の画像
先週3月3日、我が3年2組の生徒29名が全員卒業した。
今年1年本当にアッと言う間で      はなかった。本当に長かった。4月から3月まで、3年2組は毎日何かがあった。いや、起きた…いやいや起こした(?)  毎日周りの先生方からも3年2組は心配され、本当に卒業式大丈夫かと心配してた。 淡々と進んだように感じた卒業式だったけども、みんなが卒業していくことが少し寂しく、来週からどうなるんだろと感じてた。
 今、卒業式終わって一週間。みんなが卒業して、静かな日々を送っている。本当に静かで穏やかな日々だ。 2組は不器用な男子だけで、多くの生徒は気持ちを表に出すのは苦手だったけれども、みんなの様子からいろいろ気持ちは伝わってきた。 
 最後のSHRで、2組のある生徒からもらった手紙。人生初、男子からもらった手紙。担任が涙しかける言葉がつまった手紙…夕方、お父さん・お母さんと話をすると、前日の夜、一生懸命自分で考えて書いていたとのこと。ありがたくて、泣きそうだ。   自分が小さい時に両親にあげた手紙や絵を思い出した。きたない字だし、うまくはない絵をもらったはずなのに、両親は喜んでいた。ずっとその気持ちが実感できずにいたけど、その気持ちが実感できた。こんなに発展してパソコンやインターネットがある時代に、自分の為に、時間を割いて、そし何より手書きで書いてくれた手紙… 宝物だ。ありがとな。
 最後のSHRでも言ったけれども、みんなの武器は「若さ。」 少々の無茶が成功に結び付くこともある。 陰ながら、みんなの活躍見させてもらうよ。 遠藤にとって九里一期生の3年2組。たくさんの想い出…  それからたくさんの事件(?)を糧に来年も頑張るぞ。

それから英語を担当した、元気で少々ヤンチャな3年5組のみんなも陰ながら応援してるぞ。

 それからそれから、1年時に自分をいつも支えてくれた柴田先生!
 無事に生徒達卒業させました! ありがとうございました!!
2010.03.10:ken20:[メモ/コンテンツ]
I read RYOKO's report
I can easily know that she and Kunroi-girls have had her wonderful times at Australia now. I remember my staying at Australia.That was my first time to go to foreign country. Since that was my first time and I had to take my active and noizy students to Australia, I was really nervous. In australia My students didnt't take care of me(maybe), they said they wanted to try to get down the rock 10Meters,30Meters,60meters!) Of course I wasn't a student but HR teacher, so I had to try to climb the rock before my students as a model! When I was getting down the rock, I couldn't see the scene, having closed my eyes. But I managed to get down the 60meters rock!(really terrible!!)
Except for this,I could have many wonderful experience that we couldn't have in Japanese life and make many many wonderful memories!
If possible, I want to go there without students(with ) longer than before! I love Australia and the people!

Ryoko and Kunori-girls, make many precious memories at Australia! Take care!

Ken -from kunori-gakuen English teachers room Oct.28 6:16pm really cold.

PS: Do you know? - Australia starts from 1901.
Kunori also starts from 1901.
Both starts from the same year.

PS2: to Monique - Stop tricks! Don't use our wedding pictures in English teachers' PC screen(^. ^; )
  
2009.10.28:ken20:[メモ/コンテンツ]
久しぶりにブログ更新します。今日3学年では、クラス代表の「私の主張」発表会をしました。みなそれぞれ言いたいことがあり、「私とセロリ」についてであったり、「九里学園陸上競技部」についてであったり、発表してくれました。
ということで、3年2組担任も主張してみようかな… と思います。

「3年2組担任が想ふ… 感謝の心」        
 突然ですが、31歳にして、兄弟が同時に2人増えた。一人は10歳年下、もう一人は7歳年下。
 私には姉がいるが、男兄弟はいなかったので、これまで何度も兄や弟がほしいなと思っていた。小さい頃、姉とは犬猿の仲で、毎日ケンカをしては、コテンパにやられていた。姉に手を出すと親に怒られ(イスを横に倒して姉をはねたり、お茶を故意にかけたり)、かといって言葉では女の子特有の意地悪でしつこい言葉に勝てるはずもなく、まったくもって勝てる要素がなかった。こんな時、兄や弟がいたら、いろんな話できるんだろうな〜と思っていた。 
 そんな姉とも、私が大学に入って仙台で一人暮らしを始めた頃から、いっきに仲が良くなっていった。あんなに仲が悪かった姉だったのだけれども、意外にも、かっこいいと感じる音楽やファッションが似ていたのだった。4〜5年前の話だが、先日亡くなってしまった川村カオリさんのライブにも二人で行って(当時カオリさんが組んでいたSORROWというバンドを観た、すごくかっこいい!!!!!!カオリさんは私たち姉弟が尊敬する人だった。ご冥福を心からお祈りします。)、騒いできたこともあった。姉の考えは、いつも筋がとおっていて、実の姉なのだけども、素直に心からかっこいいと思っていた。今は、二人とも地元宮城を離れ、私は米沢で、姉は石川で頑張っている。距離の問題や、休みの日程の都合で、なかなか会うことができなくなって、あんなにケンカをした姉なのだけども、少しさみしく思う。
 そんなこんなの今年の7月、文頭にもどりるが、2人の兄弟ができた。結婚し、妻の弟達が兄弟になった。まだ、仕事が忙しくて、あまり多くのことを話せる時間がないけれども、一緒にビール飲んで、ご飯を食べて、そしてまたビール飲んで、時にカラオケに行ったりした。楽しい弟二人が増えた。
 姉とはあまり会えなくなくなって話もなかなかできなくなったけれども、これまで父や母や姉からもらった優しさや勇気とかを、妻や弟達に返していけたら良いなと思う。まだまだ頼りない兄貴だろうけど、慕われる兄貴になりたいな。小さくて、童顔な兄貴だけど、何かあったら、何でも言えよ!これでも31年間生きてるんだから。これからよろしく! 
 今は、本当に姉に感謝している。あんなに一生懸命、俺とケンカしてくれて。今の自分がいるのは、姉、いやいつも呼んでいるとおりに言うぞ、あねごのおかげだ、ありがとうな! 健は今めーーーーーーーーーーーーーーーーっちゃ忙しいけど、幸せだ。


PS: 3年2組 拓弥、勇司、鷹弘、彰洋 履歴書書きお疲れさん! 長かったなぁ、担任も大変だったぞ。今度は、採用試験だ、絶対合格しろよな!
 
2009.09.02:ken20:[メモ/コンテンツ]
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