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戦禍の跡。

ベトナム戦争でアメリカ軍が撤退してから今年で41年だという。

ベトナムでの、「ホー・チ・ミン」人気は相変わらずで「ホーおじさん」と呼ばれている。

しかし、経済では「ドイモイ政策」を取り入れ、今や国名から「社会主義」の名を取り外す動きが出るほどです。

ベトナムの「国民性」はとても勤勉なのです。

私の、ベトナムの友人も礼儀正しく手先も器用でした。

ところが、「戦争」というものは恐ろしいもので、アメリカ軍が使用した「枯葉剤」による健康被害者は300万人にも上ると言い、当時の米兵の3割が「ガン」を罹患しているのだという。

日本の「原爆症患者」、朝鮮半島の「慰安婦」など、戦争自体は終わっても、一人の「人間」として今も「戦争」の最中にいる方々が大勢いることを知りました。
2014.05.06:katsumin:[コンテンツ]

子供の日。

33年連続で、14歳以下の人口が減少し1633万人となり、総人口の12.8%という結果が総務省から発表されました。

残念ですが、「地政学」的にも予知できたことではないでしょうか?

「人口ピラミッド」が良い例でしょう。

中学社会で教えられた記憶があると思います。

「成熟国」になればなるほど、「富士山型」から「逆三角形型」なるのは歴史の事実です。

では、いかにして「欧米諸国」はそれを回避したのか?

それは、「移民政策」であることは言うまでもない。

自国民を誇りに思うのは、必要不可欠です。

しかし、他国民を「不当」に排除するのは如何なものか?

本当に、国の将来を慮るのであれば「移民政策」を本気で考える必要があると考えるのは私だけでしょうか?
2014.05.05:katsumin:[コンテンツ]

憲法改正の「限界説」

最高法規である憲法の改正は、下級法規である法律の改正と違って、下級法規の全体に影響し、かつ将来にまで影響するところが大きいので、この憲法では、その改正手続きをもって、法律の改正手続きよりも厳重に定めたわけである。

一般の法律は、総議員の3分の1以上の出席があって、出席議員の2分の1以上の賛成があれば制定・改正できる。すなわち、極端な場合、総議員の6分の1以上の賛成があれば良いのです。

これに対して憲法の改正については、総議員の3分の2、すなわち6分の4以上の賛成があっても、発議しかできず、それを国民投票にかけて、過半数の同意がなければ改正できないという、極めて厳しい手続きを持つところの所謂「硬性憲法」である。

このような「直接民主制」の採用は、この憲法が国民主権の憲法であり、憲法制定者が国民にあるという当然の結果として「改正権」を国民に与えたためというべきである。
故に、憲法の最後の保障を「国民」に求めたということができるのである。

次に、憲法改正の「限界」であるが、これは、改正規定によっても改正できない憲法規定があるかどうかの問題である。
学説では「無限界説」と「限界説」があるが、通説では「限界説」となっている。

「憲法改正権」は、「憲法制定権」によって与えられた権限である。従って、憲法制定権によって樹立された「根本原理」に反するような改正、或いは憲法の同一性自体を失われるような改正は行えないとするものである。

「日本国憲法」の限界としては・・・。
�国民の「憲法制定権力」に基づく以上、「憲法制定権力」の所在を示す国民主権原理は変更できない。・
�国民主権原理によって立つ「人権尊重原理」もまた、近代立憲主義に基礎を置く「日本国憲法」の基本的規範に含まれ、憲法改正の「対象外」である。
�「平和原理主義」もまた、国民主権及び基本的人権尊重原理を支える重要な「柱」であり、憲法改正の対象には入らないのである。

              拙著 「憲法96条」小論文より抜粋
2014.05.04:katsumin:[コンテンツ]

憲法考。

99条。

「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」。

これは重大な条文ですぞ。

まず、「国民」という文言がありませんね。

ですから「権力側」を縛る法律ということは明らかです。

一般公務員の場合、「憲法破壊活動」等の履歴があると「欠格条項」といって試験も受けられません。

さてそこですよ。

最初から、「改憲」を叫ぶような輩は「欠格条項」にならないのでしょうか。

不思議なもので「議員」にはそれが有りません。

「矛盾」してますね。

しかしそこは、「思想信条の自由」という憲法条文で逃げられます。

だからって、「解釈変更」をご都合主義で出来るものでもないはずです。

それをやろうとしているのが、「時の権力者」であることを私達は忘れてはならないのです。

自分たちの「思い通り」にいかないから、「尊重・擁護」する立場の人間が、もっと言えば「縛られている」立場の人間が、自ら「縛り」を解こうとしているのですよ。

「独裁」への一歩かもしれませんよ。
2014.05.03:katsumin:[コンテンツ]

昭和ブルース

何気に、ユー・チューブを見ていたら、懐かしい「映像」があり大笑い致しました。

プロレスラー「ラッシャー木村」のマイク・パフォーマンスです。

殺伐とした「流血戦」あり、ラッシャーのような「芸」ありで、とても楽しめました。

「ババ!ババ!、今日はな焼肉15人前食べて来たけど失敗したよ、コノヤロー!今度はな、今度は焼肉20人前食べて来るから、覚えてろ、コノヤロー」

「ババ!お前ハワイへ行って、グヮバジュース飲んで鍛えたかもしれないけどな、コノヤロー。俺だって、俺だって日本でポカリ・スウェット飲んで鍛えてたんだぞ、コノヤロー」

「アニキ!久々に、アニキとやったら、興奮はするは、上がっちゃうわで困っちゃたよ。それから、鶴見!鶴見!俺もあまり人のことは言えないけどな、あんまり反則するなよ。そうじゃないとな、なにかとアニキに頼み辛くなっちゃうから」

「アニキ!いつも博多に来ると明太子ばかり買うけど、今回は博多人形を2つ買おうな。そしてさ、1つは俺にくれよ!」などなど。

変な「お笑い芸人」より笑えるものでした。
2014.05.02:katsumin:[コンテンツ]