癌の中でも、「感染」する唯一の癌と言われています。
胃癌の「ピロリ菌」除去もそうですが、「予防医学」の観点からも「避けられる癌」であります。
男性から「性行為」によって女性にうつる病気なのでした。
大物俳優のM氏の「妻」になった方は、すべてこの病気に罹患しました。
極論から言えば、「一生処女」でいるならこの「予防接種」は必要有りません。
しかし、それでは困りますよね。
予防接種に関しては、その「副作用」はどの予防接種でも有り得ると考えます。
「死者」が出ていないのが「幸い」です。
昔、学校で行なわれていた予防接種の中にも「副作用」の頻発で問題になったものがあったと記憶しております。
その後、果たして「廃止」になったのでしょうか?
これは、「リスク」を個々人がどう考えるかの問題です。
予防接種による「副作用」を忌避するのか、将来「子宮頚癌」に罹患する可能性を残すかの「究極の選択」になるでしょう。
子宮頚癌の恐ろしさは、「若年層」に多いということです。
日本も、「性」に対して「柔軟性」というのか「甘い」というのか、若年時の性交渉が増えたのが「原因」であると考えます。
当然、「癌」ですから若い方が「進行」が早いのです。
私ならば、予防接種によりかなりの確率でこの病気に「罹患」しなくなるのであれば、家族を「受診」させるものと考えます。
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毅然たれ!
「集団的自衛権」に対する公明党の立ち位置についてです。
「本論」を差し置いて、優先順位を語るのは「覇道」である。
正面切って、切り捨てるのが「王道」ではないか。
公明党は、「民衆」の党ではないか。
「王道」で、勝負したまえ。
それが「達成」出来ないならば、悠然と「下野」せよ。
「公明政治連盟」創立の基本理念ではないか。
戸田先生を泣かせてはならないのであります!
「本論」を差し置いて、優先順位を語るのは「覇道」である。
正面切って、切り捨てるのが「王道」ではないか。
公明党は、「民衆」の党ではないか。
「王道」で、勝負したまえ。
それが「達成」出来ないならば、悠然と「下野」せよ。
「公明政治連盟」創立の基本理念ではないか。
戸田先生を泣かせてはならないのであります!
2014.05.14:katsumin:[コンテンツ]
負けるな公明党!
明日、「集団的自衛権」に対する見解が発表されます。
「安保法制懇」の報告を受けて、という形を取ってです。
しかし、「安保法制懇」という有識者の集まりは、そもそも「集団的自衛権」容認の立場の集まりなのだから、こんな茶番はないのです。
初めに答えありきの「無用の長物」。
内容も実に「玉虫色」であって、時の為政者次第になり兼ねない。
「立憲主義」を冒涜しているじゃないか!
前の大戦だって、「自衛のため」と言って始まったことを我々は忘れてはならないのではないか。
こんなふざけた「憲法解釈」を阻止するため、是非「公明党」には頑張って戴きたい。
こういう時のための「安全装置」。
期待します。
本当に「国難」なんだから・・・!
「安保法制懇」の報告を受けて、という形を取ってです。
しかし、「安保法制懇」という有識者の集まりは、そもそも「集団的自衛権」容認の立場の集まりなのだから、こんな茶番はないのです。
初めに答えありきの「無用の長物」。
内容も実に「玉虫色」であって、時の為政者次第になり兼ねない。
「立憲主義」を冒涜しているじゃないか!
前の大戦だって、「自衛のため」と言って始まったことを我々は忘れてはならないのではないか。
こんなふざけた「憲法解釈」を阻止するため、是非「公明党」には頑張って戴きたい。
こういう時のための「安全装置」。
期待します。
本当に「国難」なんだから・・・!
2014.05.14:katsumin:[コンテンツ]
楠木正成論
「太平記」など、なかなか読む機会はないかもしれませんが、文学として読むのであればとても面白いものです。
但し、歴史の事実とはかけ離れていることを「前提」に読むべきでしょう。
後醍醐天皇の即位から、細川頼之が管領に就任するまでの「動乱」を物語化したものです。
作者は不詳ですが、かなりの「硬派」であることは間違いありません。
「因果応報」や「悪霊」、「儒教的」な逸話が多いです。
その中でも「突出」しているのは、「楠木正成」ではないでしょうか?
その登場の仕方もすごいものです。
後醍醐天皇が、鎌倉方に追われ疲れて寝入ったときの夢に「南側に木があってそこに誰も座っていない玉座があったとか・・・」
そこで、帝は木に南と書けば「楠」だ、近くに楠という武将はおらんか、ということで呼ばれたことになっています。
「楠木正成」は当時、「悪党」と呼ばれていました。
これは、現在のそれとは違い「自由」に動く武将。
つまり「運送」などに関わっていた人間と考えられています。
「ばさら」という言葉がありますが、それに近い比較的時代の先端を行っていたのでしょう。
で、結局「楠木正成」は戦に敗れ戦死するのですが、その時代では当然「逆賊」となります。
しかし、時代は過ぎて「江戸時代」になると様相は一変するのです。
「水戸黄門」の大日本史で、「大楠公」といって崇められました。
南朝を正統とする考えです。
「水戸学」と呼ばれ→「尊王攘夷論」→「皇国史観」になって行きました。
戦時中、「七生報国」という言葉がもてはやされました。
「七度生まれ変わって、敵を破ろう!」ということです。
これは、「湊川の戦」で「楠木正成」が言った言葉とされていますが、実際は、弟の正季です。
しかも、軍部は「七生報国」の言葉の前段を敢えて省きました。
本当は、「罪深きことだが・・・」の一言があったのです。
戦後、「楠木正成」の利用価値がなくなったのか、「話題」に上ることなどありませんね。
但し、歴史の事実とはかけ離れていることを「前提」に読むべきでしょう。
後醍醐天皇の即位から、細川頼之が管領に就任するまでの「動乱」を物語化したものです。
作者は不詳ですが、かなりの「硬派」であることは間違いありません。
「因果応報」や「悪霊」、「儒教的」な逸話が多いです。
その中でも「突出」しているのは、「楠木正成」ではないでしょうか?
その登場の仕方もすごいものです。
後醍醐天皇が、鎌倉方に追われ疲れて寝入ったときの夢に「南側に木があってそこに誰も座っていない玉座があったとか・・・」
そこで、帝は木に南と書けば「楠」だ、近くに楠という武将はおらんか、ということで呼ばれたことになっています。
「楠木正成」は当時、「悪党」と呼ばれていました。
これは、現在のそれとは違い「自由」に動く武将。
つまり「運送」などに関わっていた人間と考えられています。
「ばさら」という言葉がありますが、それに近い比較的時代の先端を行っていたのでしょう。
で、結局「楠木正成」は戦に敗れ戦死するのですが、その時代では当然「逆賊」となります。
しかし、時代は過ぎて「江戸時代」になると様相は一変するのです。
「水戸黄門」の大日本史で、「大楠公」といって崇められました。
南朝を正統とする考えです。
「水戸学」と呼ばれ→「尊王攘夷論」→「皇国史観」になって行きました。
戦時中、「七生報国」という言葉がもてはやされました。
「七度生まれ変わって、敵を破ろう!」ということです。
これは、「湊川の戦」で「楠木正成」が言った言葉とされていますが、実際は、弟の正季です。
しかも、軍部は「七生報国」の言葉の前段を敢えて省きました。
本当は、「罪深きことだが・・・」の一言があったのです。
戦後、「楠木正成」の利用価値がなくなったのか、「話題」に上ることなどありませんね。
2014.05.13:katsumin:[コンテンツ]