HOME > 記事一覧

寒の最中 空は快晴

  • 寒の最中 空は快晴
「通学路に除雪車が来ない」などの心配を吹き飛ばすような快晴になった。
真っ白な飯豊山がはっきり見える。気分爽快だ。

 

雪囲いの杭に積った雪がモンスターだ、横から見た鎌倉の大仏サマだなどと囃していたのがウソのようだ。

 

ミヤマザクラの枝に積った雪もみな落ちて、売れ残りの実がまた目立つようになった。

売れ残りと言えばこれもそう。
カンボクの実。このままだと木になったまま朽ちていくしかないのだろう。
赤く熟れた実を口に含む。
酸いも甘くもない。吐き出した後口中に残った後味のエグさは強烈だ。



緑中に咲く花は、どちらも雪のように白くてさわやかないい感じなのだが・・・
2017.01.30:k-ichiro:コメント(0):[コンテンツ]

雪の朝 これでいいのか

  • 雪の朝 これでいいのか
よく降る。
去年は 少雪だったからか、こんなこと気にならなかった。

写真は我が家の前の『県道161今泉停車場線』。
7時30分頃に30人前後の子どもたちが登校していった後の歩道の様子だ。

大人の足のくるぶしのあたりまでだから、積雪は10cmぐらい。
それでも小さな子どもには楽な条件ではない。
吹き溜まりだってあるだろう。

以前は、登校時には歩道に除雪車が入っていたと思うのだが・・・
記憶違いだべか?

人力除雪車しかない偏屈老人は自宅の前の雪をどけるだけで精いっぱい。
「ごめんね、気を付けてね、行ってらっしゃい」に、
「はーい、行ってきまーす」の声がけなげですがすがしかった。



ちなみに『国道287号』も同様だった。

なんとかならないもんだべか?
それにしてもよく降る。

2017.01.24:k-ichiro:コメント(0):[コンテンツ]

「あけおめ」も 「ことよろ」もなく 三が日

  • 「あけおめ」も 「ことよろ」もなく 三が日
2017年、あけましておめでとうございます。
誕生日がくればまた一つ年を取る。今年は昔流に数えると大台に乗る。
だからそんなにめでたいわけではない。

仕事が忙しいとかで帰省しない長男と、英さん。さんのブログを肴に市内某所で新年の酒を飲んだ。
・・・「あけおめ」でも「ことよろ」でも年始の挨拶がくるだけいいべー。・・・
・・・うちの息子なんかナシのつぶて、電話もなければメールもない。・・・
メーターは上がるばかり。延々とおだをあげた。

ふと気が付くと隣の席で英さん。さんが正妻とお嬢さんと3人で新年会をやっていた。
・・・おや!英さん。さん、お久しぶり!
   あけおめ! ことよろ!・・・

鈴木酒造店長井蔵の磐城壽の盃が進んだ。
2017.01.03:k-ichiro:コメント(0):[コンテンツ]

夏至から冬至まで 90度 2時間40分

  • 夏至から冬至まで 90度 2時間40分
2016年12月21日は冬至。
1年で最も昼の時間の短い日。
偏屈老人の中で冬至といえば、雪が降る寒い日、雪は降らなくてもどんよりと雪雲がかかり1日中寒い日、午後4時前には薄暗くなる陰気な日、といった暗いイメージしかない。

ところが今年の冬至は、朝の濃霧が晴れたらこの時期には珍しい快晴となった。
4日前に降った雪は跡形もなくなり、穏やかな日和に誘われて散歩に出た。



ミヤマザクラの実だけが落果もせずに枝をしならせている。
鳥も食わないのか・・・
実を口に含んでみる。  マズイッ! スッパクもなければ、ニガクもない。
「味もそっけもないとはこのこと」とナットク。

そして、冬至の夕日がどこまで南下しているのかを確かめる絶好の天候でもあった。
我が家から見てどのあたりに日が落ちるのか。
このあたり、あのあたりと予想しながら日暮れを待った。
午後4時すぎ、太陽は予想よりもはるかに南の飯豊連峰の向こう(南西方向)に沈んだ。



夏至の時は6時50分ごろ葉山連山の南端あたり(北西方向)に沈んだと記憶している。
地図で線を引いてみるとおよそ90度移動していることを確認してこれまたナットク。
2016.12.23:k-ichiro:コメント(0):[コンテンツ]

〇〇よりも  山響のライブ

  • 〇〇よりも  山響のライブ
先週とは別の隣町のホールでモーツァルト最後の交響曲を聴いてきた。
カッコつけて記すと「交響曲第41番 ハ長調 K.551」となる。
自宅から車で20分の区域内で、2週連続でナマオーケストラを聴けるとは・・・
想像したことすらなかった。快挙だ!

聴衆220~230人前後の小規模ホールにフルオーケストラ編成だから、音の迫力は圧巻で、各パートの演奏もハッキリ判別できて、ライブならではの立体感のある演奏を満喫した。

偏屈老人はただ好きで聴いているだけだから、専門的な意味での音の良しあしはわからないし、演奏の巧拙ももちろんわからない。
それでも「CDと同じだべ」とならないのはナシてだべ?
個人的には、「演奏者と聴衆の一体感が醸成されるからだべか」と感じたりしているのだが・・・

それにしても山形交響楽団(山響)の存在は素敵だ。
存在は県外にいるときから知っていたが、活動が素晴らしい。郷土の至宝だ。
‐‐‐遠くのウィーンより目の前の山響、ベルリンのCDより山響のライブ‐‐‐
手軽に山響の演奏を聴ける我々は幸せだ。

2016.12.18:k-ichiro:コメント(0):[コンテンツ]